5-2
放課後、初めて友人が自宅へ遊びに来る。
その時はノリと勢いで誘ってしまったので何とも思わなかったが、千博は今になってうれしさが込み上げてきた。
学校が終わって自宅に帰ると、千博は母の里美へ開口一番に言う。
「母さん、今日友だちが家へ遊びに来るんだ」
てっきり母も喜んでくれると思ったが、話を聞いた彼女の顔が曇った。
「お友達って、どんなお友達? まさか女の子じゃないでしょうね」
「んなワケないだろ。男だよ。鬼灯鳴郎ってヤツ」
「そうなの……。でもうちに来るのは――」
「まずかった?」と千博が聞くと、里美の目線が天井に上がった。
上にあるのは、兄の勝の部屋である。
勝は引っ越して来てから、まだ一度しか転校先の高校へ行っていなかった。
それどころか、自室から出るのも食事の時だけという始末である。
里美はそんな自分の息子を、部外者の目に触れさせたくないのかもしれない。
そう思った千博は、母がはっきり結論を出す前に告げる。
「大丈夫だよ。兄貴は自分の部屋から出てこないし、高校行ってないのも言わなきゃ分かんないから」
「でも……」
「平気だって。じゃ、三時半ごろに来るから」
多少強引だったが、千博は話を切り上げて二階の自室に上がった。
中学生の部屋の割には片付いている部屋を、さらにきれいに掃除しておく。
途中でなんだか彼女を呼ぶみたいだと思った千博は、自分で自分が気持ち悪くなった。
「まあ男同士だし、むしろ汚い方がイイだろ」
わざと部屋を汚していると、ちょうど玄関のチャイムが鳴る。
急いで出たインターホンの液晶画面には、見慣れた鳴郎の顔が映っていた。
「こんにちはー。千博君の友だちの鬼灯ですー」
ぶすくれた顔で丁寧語を使う鳴郎に笑いながら、千博は彼を家の中に通す。
「この人が俺の母さん。兄貴はいるけど今部屋の中だ。母さん、コイツが鳴郎だよ」
鳴郎を里美に紹介すると、彼女は彼の顔に釘付けになっていた。
無理もない。
中身はともかく、彼は人が振り返るレベルの美形である。
妹も大層な美少女だと母に言って、千博は鳴郎を自室に案内した。
「お前の部屋汚いな」
部屋の中に入るなり、彼は室内を見回しながら言う。
相手が鳴郎だからといって少し汚しすぎたのかもしれない。
「悪い。今片づけるから」
「テメェ、友達でも女呼ぶときはキレイにしとけよ」
ありがたい鳴郎の忠告を、笑って受け流しながら千博は部屋を片付けた。
約束通り鳴郎がゲームを持ってきてくれたので、二人は備え付けてあるテレビの前に陣取る。
「これ、地デジ対応してないからゲームしかできないんだ」
「ふーん。お前もゲームするのか」
下らない話をしながら、鳴郎が持ってきたゲーム機を協力してテレビにつなげる。
「これでいいかな?」
「いいんじゃねーか?」
電源をつけた機体にソフトを入れると、ゲームが始まるまでの沈黙が訪れる。
鳴郎は気を利かせるタイプではないので、千博がまず口を開いた。
「そういえば今日授業出てないのに、どうしてあんなところにいたんだ?」
なんとなく口から出た疑問だったが、千博は言ってから不思議になった。
サボりというにはどこか物陰にいたのだろうに、どうしてこちらの騒ぎに気付いたのだろう。
それにあの時、鳴郎はなぜかジャージ姿だった。
着替えてるところも見てないし、妙だなと思っていると、彼がムッとした表情になる。
「授業なら出てたよ。テメェが気付かなかっただけだろ」
「いや、いなかっただろ。つーかいつもいないだろ」
「いるよ! つーかいちいち確認してんのか気持ち悪い」
「いや、そういうワケじゃ……」
いつも仲良くしている友人がいるかどうかぐらい、すぐに分かるのが普通である。
しかしそう言うとまた気持ち悪がられそうなので、千博は話題を変えることにした。
今日他に話すことといえば決まっている。
「あ、そういえば、あの丸山田って教師、一体何なんだろうな? 教師失格だろ」
思い出して若干怒りのこもった声で言うと、コントローラーを握りながら鳴郎が答えた。
「ああ、アイツか? 部長の調査によると、あの教師、前の学校で部員二十人熱中症にしたらしい」
「ホントかそれ?」
「部長の管狐に調べさせたんだからホントだよ。今日みたいに平気だ、いつも怠けてるせいだって言ってな。心配する他の部員を恫喝して倒れた奴をほっといた結果、七人に後遺症。四人は脳死状態になって話だ」
「それってほとんど人殺しじゃないか」
「でも本人は『これくらいでどうにかなる方がおかしい』つって退職勧告にも応じず、こうして他県から特例で夢見の森送りというわけ――つーか、ゲーム始まるの遅くねぇか?」
鳴郎は真面目な話を途中で切り上げると、配線のあたりをいじり始めた。
「おいコラ千博! テメェプラグの色間違えて差してるぞ!」
「……すまん」
慣れないせいか、うっかりしていたらしい。
鳴郎がちゃんとプラグを差しなおすと、のどかなBGMとともに可愛いどうぶつたちが現れた。
『ほのぼの森物語』という題名が躍るタイトル画面は、なぜか見てはいけないもののように思える。
「あっ、鬼灯のソフト間違えて持ってきたんだな? そうだろ」
「ちげーよ。オレのだコレ」
「な……に……?」
「今日はミルタンと四時からお茶会の約束なんだよ。急ぐぞ」
「ミルタン……? お茶会……?」
わけの分からないまま取り残される千博をよそに、鳴郎は早速プレイを始めている。
どうやら今家から出てた女の子が、彼の使っている主人公キャラらしかった。
ピンクの髪で目がキラキラしており、可愛いワンピースを着ている。
「このゲーム、どんなゲームなんだ? 動物たちと殺し合うのか?」
「ちげーよバカか! どうぶつの住人たちと仲良くしつつ、畑で作物育てるんだよ!」
「でも今カマを装備したぞ。それで戦うんじゃないのか?」
「畑の雑草を刈るんだよ!」
なぜだか分からないが、千博は頭が痛くなってきた。
いつもどすの利いた口調で攻撃的な鳴郎。
そんな彼が動物たちとほのぼのライフを送っているなんて、一体誰に想像できよう。
ワンピースを着た鳴郎、いや主人公キャラは畑仕事を終えると、可愛らしい煉瓦のお家の扉を叩く。
家の中では目がウルウルした牛と、お下げのついたウサギがテーブルを囲んでいた。
「ユキさんいらっしゃい!」――そう二本足の牛が主人公キャへに告げる。
「ユキさん!?」
「ウルセー、テメエは黙ってろ」
「今のがミルタンか?」
「そうだよ。なんか文句あるか!?」
(いちいち凄まなくても……)
画面内で牛ことミルタンは「今日のお洋服わたしに似合ってますか?」と聞いていた。
てっきり「似合ってない」を選択するものと思いきや、彼は「とても似合っている」を迷わず押す。
ミルタンはたいそううれしそうだった。
(そういえばコイツ、甘い物好きだし、カワイイの好きらしいし、一体何なんだろう……)
ダメ教師にも化け物にも容赦ない少年なのに、趣味趣向はまるで別人のようである。
恐るべき二面性を前に千博が考え込んでいると、ふと鳴郎が画面から目を離して言った。
「あ、見てるばっかじゃつまんねーだろ。テメーもやるか?」
「いいのか?」
「おう。でも花蹴散らしたら殴るぞ」
「やめとく」と千博は首を横に振った。
苦労して整備してるのか、「ユキ」の住む森は花だらけである。
どうぶつの住人たちとも仲が良さそうだし、鳴郎はゲームの中とはいえほのぼの生活を満喫しているようだった。
「あっヤベっ、間違えてフクロウ斧で殴っちまった」
時折物騒なセリフが聞こえてくるが、それはスルーしておく。
住人のおかしな行動に笑ったりしていると、そのうち母の里美が部屋を訪ねてきた。
「千博、オヤツ持ってきたわよ」
礼を言うとともに扉を開けると、なぜか少し不機嫌な様子で里美が入ってくる。
彼女の持つ盆の上には菓子皿が、そして一杯のジュースが置かれていた。
千博が疑問を口にする間もなく、里美は冷ややかな声で鳴郎に言う。
「あなた、鬼灯君て言ったけ」
「そうですけど……」
「随分と乱暴な話し方をするのね」
一気に部屋の空気が凍った。
しばしあっけに取られた後、千博は声を高くして母親に抗議する。
「何言ってんだよ母さん! 変なこと言うなよ!」
「だって殴るだのなんだの聞こえてくるから……」
「それは単なる冗談だって。中学生同士なら普通だよ。心配しなくていいから……」
千博が里美の背中を強引に押しやると、彼女は不満そうに部屋から出て行った。
慌てて鳴郎に謝り、一つだけのジュースを彼に手渡す。
「俺、実は友だち家に連れてくるの初めてなんだよ。だから母さんも動転してるんだと思う。ホントにゴメンな」
「気にしちゃいねーよ。オレが乱暴なのは確かだし」
「でも悪くないやつには優しいだろ。母さんが変なこと言って悪かった」
「だから気にしちゃいないって」
本当に気に留めてない様子で、鳴郎はジュースを飲みほしていた。
母の言動のせいで、千博の背中は汗びっしょりである。
鳴郎には動転していたせいと言い訳したが、本当のところは分からなかった。
ひょっとしたら鳴郎を不良と勘違いし、息子を非行に走らせまいとあんな態度を取ったのかもしれない。
彼が帰ったら、母に良く言い聞かせなければと千博は思った。
「おい千博!」
「ん!?」
考え込んでいたところに声を掛けられ、千博はハッとする。
「ん、じゃねーよ。さっきから話しかけてんだろ」
「そうだったか? ゴメン、考え事してた」
「ったく、もう一度言ってやるけど、お前兄貴がいるんだろ?」
再び千博の背中に嫌な汗が流れた。
里美と約束した手前、うまくごまかさなければならない。
「そうだけど、それがどうかしたか?」
「ちょっと仲がいいのか気になったんだよ」
「正直あまり仲良くないぞ。そういや、お前と鬼灯は仲いいよな」
「まーな。オレんとこは姉貴だから、兄貴ってどんなカンジか気になったんだよ」
さらりと彼の口から出た「姉貴」という単語に、千博は思わず「えっ!?」と叫んでしまった。
双子とはいえ、普段の役割からてっきり鳴郎が兄だと思っていたのだが。
意外な事実に戸惑っていると、鳴郎はその反応は当然だとばかりにうなずく。
「そうだよな。やっぱりそう思うよな」
「悪いけど、どう見てもお前の方が上にしか見えないぞ」
「だよな。アイツ子供だからなぁ~。でも実際はあっちが上なんだぜ。しかも五か月」
「そんなに!?」
「アイツが七月生まれで、オレは十二月だからな」
「鳴郎冬生まれなのかぁ……」
そうなんだと千博は何も考えずに相槌を打っていたが、そのうちおかしなことに気が付いた。
双子は、五か月も間を開けて生まれない。
双子じゃないとしても、五か月で下の子が生まれるわけがない。
大変なことに気が付いた千博は、勢いよく鳴郎の顔を見た。
ひょっとして鬼灯兄妹は、ものすごく複雑な家庭に育っているのではないだろうか。
聞いてはいけないと思いつつも、千博はつい口を開いてしまう。
「鳴郎お前、鬼灯と双子じゃなかったのか……?」
「そんなわけねーだろ、第一全然顔違うじゃねーか」
「でも血はつながってるんじゃ……」
「ねーよ。赤の他人」
とんでもない事実が軽く鳴郎の口から飛び出し、千博は目を見開いた。




