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夢見ノ森怪奇譚  作者: 種子島やつき
第五話 助けての声は
18/69

5-1

 森妃姫子との一件以来、千博は鬼灯兄妹と以前のように話すことができなくなってしまっていた。


 一トン近い鉄の塊を自在に振り回す鳴郎。

一軒家の屋根まで軽く跳躍できるキクコ。


 二人が大勢の子供を殺した化け物を退治してくれたのは分かっている。

しかし千博の本能は彼らに対して、あらがえない恐怖を覚えいた。

子供を引きずり殺す化け物よりも、あの二人の方がずっと恐ろしいモノだと原始的な直感が告げている。

「恐ろしくて、強いモノ」――初めてあった日に彼ら自身が言った言葉を、千博は今さらながらにかみしめていた。

鬼灯兄妹は何者なのか何度となく己に問いかけるが、答えが出そうな所でいつも考えるのをやめる。

はっきりとした答えを出してしまったら、もう二度と兄妹に挟まれた席へ座れないような気がしたからだ。


 朝、いつものように登校してきた千博は、後からやってきた鬼灯兄妹に「おはよう」と告げる。

二人の様子は森妃姫子を倒す前と全く変わっていなかった。

まるで「普通の人間のように」授業を聞き、昼食を食べ、部活があれば参加し、後は家に帰る。

変わったところといえば、千博が余り話しかけなくなったため、こちらとの会話が減ったくらいだった。

何も知らない人から見れば、二人は驚くほど容姿に恵まれた兄妹としか見えない。


「今日の一時間目は体育か」


 席に着いた鳴郎が小さくつぶやく。

こちらに言っているのか独り言なのか分からないので、返事はしないでおいた。


(そういえば、コイツが体育参加してるとこ見たことないな)


 どこでサボっているのか知らないが、鳴郎はなぜか体育の授業に出ない。

ずっと不思議だったが、先日の戦いぶりを見て、千博はサボる理由になんとなく見当がつくようになった。

あり得ない身体能力を持つ彼にとって、体育の授業などかったるくてしょうがないのだろう。

きっと今日の授業もサボるのだろうなと千博が思っていると、案の定予想通りになった。


(まぁ参加したら大惨事になりそうだから、これでいいか……)


 彼には悪いが、いない方がお互いのためになる時もある。

始業のチャイムが鳴り、千博がいる組と隣の組の男子は、いつもの待機場所へ集まった。

一クラスでは男子の数が足りないため、体育の授業は二クラス合同で行われることになっているのだ。

整列して待っていると、校舎の方から教師がやって来る。

しかし現れたのはいつも授業を受け持っている先生と違い、転校初日で千博に絡んできた男性教師だった。

皆で顔を見合わせていると、男性教師が耳をつんざくような声で怒鳴りつける。


「しゃべるな! 前を向け前を! おい! 体育委員出てこいっ!!」


 両クラスの体育委員が恐る恐る前へ出ると、さらに教師は怒鳴る。


「貴様ら、体育委員のくせにクラスメイトを騒がせるなんてたるんでる、俺に謝罪しろっ!」

「えっでも……」

「口答えするんじゃないっ!!」


 あまりの剣幕に、体育委員はしぶしぶと頭を下げる。

しかし教師は納得せず、何度も委員を謝らせてから、やっとなぜ自分がここに来たかを説明し始めた。


「俺はこの学年の副担任、丸山田だ。体育の乗川先生の身内に不幸があって、俺が代理で授業を受け持つことになった。今日の授業はランニングをする。全員俺がいいというまで校庭を回り続けろ」


 今体育で学んでいるのは、ランニングではなくバレーボールである。

皆不満そうな表情になったが、丸山田が怒鳴るので仕方なく走り出した。

それぞれ自分のペースで校庭を回るも、丸山田は進みの遅い生徒を許さない。

運動に慣れていない一部の生徒たちは合わない速度で無理やり走らされ、疲労困憊といった様子だった。


「とっとと走れこのグズがっ!」


 足がもつれ始めた生徒へ、丸山田の檄が飛ぶ。

別に彼は手を抜いているわけでもないし、言い過ぎではないかと千博は思った。

時計を見ると、もう四十分も走り通しである。

慣れている運動部連中にはまだ余裕が見られたが、それ以外の生徒はもう限界だった。


(まさかチャイムが鳴るまで走らせるつもりなのか……?)


 走れない生徒には、そろそろ別のことをさせるなりするべきである。

千博は平気だったが、後ろを振り返ると、真っ青になり、ぜんそくの発作が出る寸前にまでなっている生徒もいた。

そんな限界すれすれの彼らを、丸山田はヤクザ張りに罵倒して走らせ続ける。


「ちょっとマズいんじゃないか?」


 千博が近くにいたサッカー部の生徒に囁くと、彼もうなずいた。

他の運動部連中も心配そうにしているし、後ろの生徒たちが限界なのは確からしい。


「俺、先生に言ってくるよ」


 一向に丸山田がランニングをやめさせようとしないため、千博はそうすることに決めた。

怒鳴られるのは目に見えていたが、所詮相手は人間。

化け物に比べたら屁の河童である。


 しかし、千博の行動は一歩遅かったらしい。

ランニングの輪から抜け出したところで、一番後ろで走っていた生徒の一人が地面に転がった。


「おい! 大丈夫か!?」


 方向転換し、千博は慌てて倒れた生徒の所へ向かう。

倒れたのは、転校初日に会話したおしゃれメガネの少年だった。

確か秋原という名前の彼は、普段のおしゃべりな様子とは一変し、真白な顔色で目を裏返しにしている。

何か言おうとしても呂律が回らないらしく、素人の千博でも一目でマズイ状況だと分かった。

しかし丸山田は危険な状態の彼をかまうより先に、千博を怒鳴りつける。


「おい貴様! 何勝手なことをしとるんだっ!! さっさと戻れ!」

「でも秋原が……!」

「ほっとけ、すぐに元に戻る。とっとと走るんだ!」


 放っておけば戻る状態にはとても見えず、千博は彼の言うことを無視した。

すると丸山田は何を思ったか、放置してあったバケツで水をくむと、それを千博たちへぶっかける。


「なにするんですか!」

「うるさい! 寝てないでとっとと起きろ!」


 (こいつは馬鹿か……?)


 まさか仮病だと思っているんじゃなかろうなと、千博は唖然とした。

水をぶっかけられた秋原は口腔内に水が溜まり、つまりった排水溝のような音を立ててむせ返っている。


「やっぱり治っただろうが。むせる元気があるならとっとと起きろ!」


 千博は愕然とした。

秋原が今むせているのは、元気になったからではなく、単なる生理的な反応である。

このままでは窒息すると判断した千博は急いで彼を横に向かせ、できるなりに気道を確保した。

秋原の状態はどんどん悪化しており、目の周囲が黒ずんできている。

このままでは命が危ない。

そう判断した千博は助けを呼ぶべく、職員室へと走った。

だが丸山田は走り出した千博の体を思い切り突き倒す。


「勝手な行動をとるな! 早く授業に戻れ!」

「アンタ頭おかしいんじゃないのか!?」


 丸山田はどうも本気で秋原がすぐに治ると信じているらしい。

転倒した千博は目の前の教師が愚かすぎて、痛みより先に眩暈がした。

体育科の教師だろうに生徒の状態すら判断できず、取り返しのつかない事態になろうとしている。

一体どうしたらいいのか千博は歯ぎしりしたが、そこで聞き覚えのある声が頭上に降り注いだ。


「おいテメェら何騒いでんだよ。授業中にナメてんのか」


 このドスの利いた、この押し殺した声は、間違いなく鳴郎のものである。

千博は姿を確認するより先に叫んだ。


「鳴郎! 秋原が大変なんだ、手を貸してくれ!!」


 慌てて起き上がった千博は、急いで鳴郎を秋原の元へと誘導した。

彼の容体を見た鳴郎は、一言、「これはヒダル神だな」と呟く。


「ヒダル神?」

「ああ。疲れている人間に憑りついて、激しい疲労感と空腹感を与える妖怪だ。放っておくとその人間は死ぬ。普通は山の中にしかいないんだが、ここは特別だからな」


 鳴郎はそばにあった雑草を引っこ抜くと、それをなんと秋原の口に突っ込んだ。

顎を掴んで無理やり咀嚼させ、ちょうどいい頃合いに飲み込まさせる。

何をするかと思ったが、雑草を食べた秋原の顔色はみるみる良くなっていった。

それと同時に白い小人のようなものが、彼の体操着の下から逃げ出していく。


「アレは餓死者の念が固まったものだから、ちょっとでも食わせてやれば逃げるんだ」

「倒さなくてもいいのか?」

「アレは簡単に死なねーんだよ。それよりコイツを保健室に連れてくぞ」


 顔色はだいぶマシになったものの、秋原にまだ起き上がる元気はない。

千博たちは秋原を抱えて保健室に運ぼうとしたが、案の定丸山田の邪魔が入った。

教師の彼は、二人の行動に怒髪天を突く勢いで怒っている。


「貴様ら一体どういうつもりだ!! オレの授業を邪魔しやがって、覚悟はできてるんだろうなっ!?」


 元はといえば、丸山田が教師としての義務を果たさなかったことが原因なのだが、それを言っても彼が納得するはずがない。

とはいえ、千博も黙って怒られるつもりはなかった。


「僕たちは秋原君を助けようとしただけです。怒るのは彼を保健室に連れて行ってからにして下さい」

「うるさい! 勝手な行動をとったことについて謝れ! おかげで俺の授業がめちゃくちゃになったんだぞっ!! 秋原もいつまで寝てる! 早く起きてさっさとランニングに戻れっ!!」

「秋原は病人です!」

「タダの不摂生で倒れただけだろうが! それなのに保健室だの病院だの甘えたこと言ってるんじゃない!」

「アレはただの不摂生じゃありません!」


 原因がヒダル神という非科学的なものだったとはいえ、倒れた秋原の様子は急速な対処がいる病人そのものだった。

たとえ本当に不摂生が原因だとしても、一刻を争う容態の生徒を放置していていいわけがない。

どうもヘマをやらかしてこの学校に飛ばされてきたようだし、コイツは教師失格だと千博はため息を吐いた。

暴言を吐く丸山田を無視して進もうとするが、しつこく彼は二人の前に立ちふさがる。


「どいてください!」

「連れていくなと言ってるのが分からんのかっ!! ただの体調不良くらいで甘やかしたらダメ人間になる。そこらへんに転がしておけば十分だ!」

「まだ暑いし、それでもし急変でもしたらどうするんですか!」

「だいたい普段から鍛えておかんからこうなるんだろう。普段グダグダ怠けておいて、いざ具合が悪くなったら助けてもらおうなんて甘えもいい所だ」


 あまりの話の通じなさに千博は閉口したが、そこで初めて今まで黙っていた鳴郎が言った。


「テメェ。その言葉本気で言ってんのか?」


 鳴郎が前方で秋原の足を抱えているため、こちらからは彼のジャージを着た背中しかわからない。

しかし鳴郎が鋭いカミソリのような殺気を放っているのは分かった。

丸山田は赴任初日に殴られたことを思い出してか、心なしか勢いが弱くなる。


「おい、オレは本気かどうか聞いてんだよ。もし本気じゃないなら、迂闊なことは口に出すなといっておく」

「なっ、本気に決まってるだろう。きちんと体を鍛えておけば、具合なんか――」

「……分かった。テメェが言ったこと、こっちはきちんと覚えておくからな」


 「行こう」と鳴郎が言った。

丸山田が追ってこないのは、余程の眼力で睨みつけたからだろうか。

アイツの目は怖いからなと思いつつ、秋原を保健室へ運ぶと、ちょうど授業終わりのチャイムが鳴る。

養護教諭曰く必要があれば病院に連れて行くとのことで、千博はホッと一安心した。

と同時に、心の中で鳴郎に対する罪悪感のようなものが広がる。


 確かに彼の力は強くて恐ろしい。

しかしだからといって、鳴郎自身が恐ろしいわけではなかった。

理由はともかく人を襲う化け物を退治しているし、現に今日だって一人の命を助けている。

怖いどころか、むしろ文句ひとつ言わずに人を助けるイイ奴じゃないか――千博は強い力を目の当たりにして、ただ彼を恐れていた自分を恥じた。


「ごめん、鳴郎」


 千博は廊下を歩く彼の横顔に向かって言う。


「はぁ? どうしたんだよいきなり」


 鳴郎は面食らった様子だった。


「俺、森妃姫子を倒すお前を見てから、正直お前が怖くなってたんだ」

「はぁ? んなの、人間なら当たり前だろ。たいして気にすることでもねーよ」

「でも、お前は人に害のある化け物を退治してるのに、俺は避けるような真似してさ。正直悪かった。お前、ホントはイイ奴なのにな」

「ちょっ、あらたまってなに言ってんだよ。気色ワリィ」

「だってホントのことだろ? 今日だって秋原を助けたじゃないか」


 千博は素直に本心を述べているだけだったが、鳴郎は本気で気味悪がっているようだった。

あっち行けという仕草をされると、さすがに少し傷ついてしまう。


「別に俺は変な意味で言ってるんじゃないぞ。ただ正直に鳴郎の人柄を評価してるだけで――」

「だからオレはイイ奴なんかじゃないっつーんだよ。分かったら黙れコラ」

「別に褒めてるんだからそんな風に言わなくてもいいじゃないか。それとも照れてるのか?」

「誰が照れるかバカヤロウ!」


 鳴郎は声を荒げると、ズカズカ廊下を歩いて行ってしまった。

だがここで呼び止めなければ、また気まずくなってしまうと千博は何とか言葉を絞り出す。


「あ、そうだ。今日部活ないから、良かったら俺のウチ来ないか?」


 なんとか彼を引き留めようと、とっさに口を突いて出たセリフがこれだった。

ついさっきの瞬間まで彼を遊びに誘うつもりはなかったのだが、こうなったら仕方ない。

声をかけられた鳴郎は廊下を突き進んでいた足を止めると、「なにを言うんだコイツは」という顔でこちらへ振り返った。


「はぁ? テメェんち? どうしてテメェの家に行かなきゃならねーんだよ」

「別にただ遊びに誘っただけだって。友だち誘うのに理由なくたっていいだろ」

「……友だち?」


 実は生まれてこの方、千博は自宅へ友だちを呼んだことがなかった。

しかし友だちを招くのに、いちいち深く考える必要がないことくらい分かる。


「まぁ確かに『友だち』なら理由はなくていいかもしれないけどな。でもテメーの家で何して遊ぶんだよ? なにかアテでもあんのか?」

「別に何でもいいだろ」

「つまんねーんなら行きたくねぇ」

「じゃあゲームでもすればいいじゃないか」


 殆ど思いつきの提案だったが、鳴郎は上の方を見ながらしばし思案する様子を見せると、そのうち納得したような顔になる。


「……まぁ、タマにはダチの家行くのもいいかもな」


 突発的に誘ったが、どうやら行く気になってくれたらしい。

「じゃあ、いつもやってるゲーム機とソフト持ってくから」――鳴郎はそう言うと、そのまま先に教室へ戻って行った。

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