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夢見ノ森怪奇譚  作者: 種子島やつき
第四話 雨の日に現る
17/69

4-4

 天気予報が予想していた通り、月曜の今日は雨になった。

しかしこの間の長雨とは違い、激しく叩きつけるような雨である。

放課後、怪奇探究部の部員たちは、キクコが「出る」と言った場所で件の化け物――森妃姫子を待っていた。


 しかしこれから大物との対決が待っているというのに、キクコはどう見ても手ぶらである。

千博がそれについて尋ねると、彼女は「武器なんていらない」とあっさり言い放った。

不安になり鳴郎に聞いてみても、「アイツはそれでいいんだ」と言うばかりである。

そういう彼は対照的に、自分の身長より大きい何かを布で包み、それを傍らに抱えていた。

おそらく武器なのだろうが、さっぱり中身が分からず千博は首をかしげる。


「それ、中に何が入ってるんだ?」

「いつもと大してかわんねーよ」


 いつも鳴郎が持っている物といえば、常人なら扱いきれない重さの金棒である。


(いくら力があっても、あのサイズの鉄の塊は持てないよな……)


 人間並の大きさをした鉄の塊なら、重機で動かすレベルの重量である。

ますます中身が気になったが、戦闘が始まったらいずれ分かるので、これ以上気に掛けるのはやめることにした。

天気が荒れているせいか、それとも日没が早くなってきたせいか、待っている間にも辺りは刻々と暗くなっていく。


「……なぁ、本当にアイツと戦うのか?」


 千博がつい思ったことを呟くと、それを聞いた鳴郎がふざけるなとばかりに凄んだ。


「テメェ何言ってんだ? もしかしてカワイソーだからやめてなんて言うんじゃねぇだろうな?」

「違う。そうじゃない」

「じゃあなんだ」

「アイツはデカいし、力も強そうだし。戦って大丈夫なのかと思ったんだよ」


 前回森妃姫子には、鳴郎の金棒もキクコの草刈鎌も通用しなかった。

こちらに向かってきた速度はおそらく時速百キロは出てただろうし、少なくとも今まで千博が見た妖怪の中では一番強いと思う。

鬼灯兄妹が普通の人間と比べて強いのは分かっているが、はたして無事に倒せるのか不安だった。


 しかし鳴郎はそんな千博の心配を鼻で笑う。


「前回油断してたのは事実だが、アイツはオレたちの敵じゃねぇ。アレは単に逃げ足が速いだけだ」

「でもな――」

「今回はそのつもりで準備をしてきたから、何も心配はいらねーよ。それに森妃姫子は逃げ足のせいで、今まで殺しきれる奴がいなくてな。コレでオレたちがぶっ殺せば、業界でも箔が付くってもんだ」


 そう言って鳴郎は自信ありげに不敵な笑みを浮かべた。

そして思い出したかのように、千博に向かって指をさす。


「そういやお前はここに来てよかったのか? 下手すりゃ巻き込まれるかもしれねーんだぞ」

「だって、仲間が戦うのに家でのんびりしてるわけにもいかないだろ? それに常夜先輩や花山さんだって来てるし……」

「あいつらとテメェを一緒にすんなよ。常夜には『妹』がついてるし、花山は霊が山ほど憑いてる。前回の見ただろ?」


 鳴郎曰く、この前花山が襲われた時、電柱が倒れかかってきたのは偶然ではないらしい。

花山にくっついている霊たちが、彼女を守るために働いたのだそうだ。

確かに偶然にしてはできすぎていたし、納得できるが、それだけ霊に好かれるというのも凄いことである。


「なんで花山さんは、そんなに霊に好かれるんだ……?」

「知らねえ。でも異性にモテる奴だっているし、霊にモテる奴だっているんじゃねーの?とにかく、一般人なのは氷野、テメェだけだ」


 そう言われると、千博は急に不安になってしまった。

直接襲われなくても、化け物の腕や足やらが当たって大ケガをするかもしれない。

最悪死ぬんじゃないかと思うと今すぐ逃げ帰りたくなったが、今さら家に帰るなんて言い出せなかった。


(もうここは恥も外聞も捨てて、部長に帰ると言うべきか……?)


 たとえ部活に居づらくなっても、命には変えられない。

しかしいざ千博が部長に声をかけようとした時、鳴郎とキクコが目の色を変え、傘を投げ捨てた。


「おい、来るぞ! 気を付けろっ!!」


 彼らの視線の先には、迫ってくるいびつな人影があった。

もう目を凝らさなくても一目で分かる、大きすぎる頭に、ひょろ長く生えた手足。

四足で駆けてくる怪物は、かつて人間だったもの――森妃姫子であった。

今日はまだ獲物を捕まえる前だったらしく、彼女の腕にこの間のような赤いぼろきれはひっかかっていない。

千博は恐怖と緊張で息をのむが、鬼灯兄妹は恐れをみじんも感じさせない様子で相手を待ち構えていた。

森妃姫子は自動車並の体躯とスピードで、道に誘われるままこちらに向かってきている。


「予定通りだ! 行くぞキクコ!」

「おっけー」


 化け物が鼻先まで迫ったところで、鳴郎が鋭く叫び、キクコが能天気な声で返事をした。

と、同時に、鳴郎は脇に抱えていた物体の包みをはぎ取る。

現れたのは先ほど彼が言っていたように、いつもと大して変わらない物体――黒い金棒であった。

ただサイズは普段と違って並の人間より一回り大きく、表面には攻撃力を高めるための鋭い突起がいくつも並んでいる。


(まさか――張りぼてだろ?)


 いくらなんでも、巨大な鉄の塊を人間が振り回せるはずがない。

しかし森妃姫子通り過ぎる瞬間、鳴郎が特大の金棒で彼女の足を払い上げると、花火が爆発したような音と衝撃が辺りを走った。

打ちこまれた化け物は脚の肉をまき散らしながら、宙で弧を描いている。


「まさか本物の鉄――!?」


 千博が驚く間もなく、今度はキクコが森妃姫子に向かって飛びかかった。

屋根より高く舞い上がった相手に跳躍で肉薄し、横っ腹へ回し蹴りを叩きこむ。

おそらくキクコより十倍以上の重量があるだろう化け物は、細い少女の蹴りで地面に叩きつけられた。

そのまま間髪入れず、地面にいた鳴郎が仰向けに倒れた彼女の腹部を金棒で打ち据える。

森妃姫子は女性の悲鳴に似た絶叫とともに、口から血潮をふいた。

逃げ出そうとするが、キクコがそれを許さない。

起き上がる支えにした枯れ枝のような腕を、彼女の拳が容赦なくたたき折る。


「圧倒的じゃないか……」


 千博は自分でも知らず知らずのうちに呟いていた。

森妃姫子の早さと頑丈さを恐れていたが、あの二人はいともたやすく奴を蹂躙している。

兄妹の戦いぶりに愕然とした千博は、思わずそばにいた部長にたずねた。


「森妃姫子はあんなに大きくて、堅いし、今までたくさん人を襲ったんでしょう? 強敵じゃないんですか?」

「まぁだけど、所詮は『なりそこない』だからね」

「……なりそこない?」

「そ。この間クロちゃんが言ってたでしょ。人間が化け物になるには、『精神が人間の範疇を超える必要がある』って。でも彼女は越えきれなかったの」


 そこで部長の声を遮るように、森妃姫子がつんざくような悲鳴を上げた。

見ると、キクコが彼女の大きな眼球に腕を突っ込んでいる。


「おっ、二人とも調子いいみたいだねー」

「は、はぁ……」

「で、話は戻るけど、あの森妃姫子は化け物になりそこなった人間なの。心が人間を凌駕しきれなかったせいでね。だから『なりきった』存在と比べたら、知能も外見も能力も段違いに劣ってる。彼女の場合、速さと丈夫さだけはそこそこあるみたいだけど」


 (あれで『なりそこない』のレベルなのか……)


 千博は考えるまでもなく、あれが化け物に『なりきった』姿なのだと思っていた。

体も大きいし、並の人間は銃火器なしで奴に勝てないだろう。


(なら、化け物に『なりきった』人間はどれだけ強いんだ……?)


 目の前では、キクコが返り血もいとわず森妃姫子の眼窩を掻き回している。

彼女の足は逃げられないよう、鳴郎の金棒によって叩き潰されていた。

頭の中で反響するような叫び声をあげながら、必死に抵抗しようとする元人間。

今日まで多くの小学生を殺してきただろう化け物は、今鬼灯兄妹によって哀れに泣き叫ぶばかりであった。


 千博が呆然と眺めていると、今まで黙っていた花山が両手を合わせながら呟く。


「わ、わたし、なんだかとっても怖いです」

「無理もないよ。目の前にあんな化け物がいるんだから」

「そうじゃなくて、あの、わたしが怖いのはあの二人です」

「え?」

「わたしが怖いのはあの二人です……」


 森妃姫子が、半分以上潰された足でかろうじて立ち上がる。

長い爪をはやした手でキクコに掴みかかったが、それはあっさり受け止められてしまった。

キクコの髪は激しい雨に濡れてもなお血が滴り、鳴郎の金棒からも雨で洗われた血が流れ出ている。

化け物ごと鳴郎が叩きつけた地面は大きく陥没しており、それを見た千博はつばを飲み込んだ。


「アイツら、一体何者なんだよ!?」


 千博が叫ぶ傍らで、花山は傘をさすのも忘れて震えている。

そんな彼女に、常夜がそっと傘を差しだした。


「怖がるのも無理はないわ。むしろ人として自然なことよ」

「常夜先輩……」

「あの二人はとても強いけど、同時にとても怖いものだから。私や一子ちゃん、氷野君とは違うのよ」


 ちょうど常夜が言い終わると同時に、鳴郎が「飛び散るぞ」と叫んだ。

もうほとんど動けなくなった森妃姫子の頭部に、全力で振るわれた巨大な鉄塊が直撃する。

化け物の頭は、巨大なスイカ割よろしく砕け散った。

首から上が爆ぜた彼女の死体は雨の下で力なく横たわり、死肉目当ての魑魅魍魎たちがどこからともなくやってくる。


 森妃姫子の体が魑魅魍魎で覆い尽くされてくのを眺めながら、キクコが何事もなかったように放置していた傘を拾った。


「『シロ』の言うとおり、逃げ足をどうにかすればとっても弱かったね」


 あれほど激しい立ち回りを演じたというのに、キクコは息切れ一つせずに笑っている。

それはまだ雨に打たれている鳴郎も同じだった。


「ああ、そうだな。コイツは悲しいほど弱かった」

「ワタシたちと同じでちがうからね」

「そうだ。コイツはオレたちと同じで違う」


 鳴郎は傘も差さずに、食われていく死体を突っ立ったまま見つめていた。

千博はそばに落ちていた黒い傘を拾うと、彼に手渡す。


「コレ、お前のだろ」

「……悪いな」

「どうした、なんか元気がないぞ」


 最初怪我をしたのかと思ったが、どうやら違うらしい。

鳴郎はしばらく物言わぬ化け物の骸を眺めてから、ふとこちらに顔を向けた。


「コイツはな、化け物になった人間と言ったが、正確には違う。化け物になりそこなった人間だ」

「ああ、さっき部長から聞いたよ。心が人間を超えられなかったからだって」

「……どうしてれ超えられなかったと思う?」


 思わぬ鳴郎の問いに、千博は戸惑った。

正直「精神が人間の領域を超える」という意味さえよく分かっていないのだ。

具体的に聞かれても、答えられるはずがない。


「分からないな。だって、八つ当たりに小学生を殺すようになったんだろ? その時点で人間超えてるというか辞めてるというか。狂ってるじゃないか」

「確かにそうかもな。でも妖怪ばけものになりきるには、それだけじゃ足りねーんだ」

「……どういうことだ?」

「コイツはな、殺すべき相手を間違えたんだよ。いじめられたのならいじめてきた人間を殺せばよかったし、虐待されたんなら両親を殺すべきだった。だが森妃姫子が実際やったことは、無関係で無害なガキへの八つ当たりだ。だから人間にも妖怪にもなりきれなかった」


 鳴郎は再び足元に目を向けると、つま先で森妃姫子の死体を小突いた。

もちろん蹴っても魑魅魍魎たちが驚くだけで、彼女の死体が動くことはない。


「ったく、化け物になっても弱いままだったな。いじめっ子は怖いから襲えなくて、攻撃されてもロクに抵抗できず、逃げ足ばかりはやたらと早い。外側が固いのも、自分の殻に閉じこもってるからだ。ホントに、森妃姫子の弱さを象徴した形だよ」


 「哀れなヤツだ」――そう言う彼の口ぶりには、嘲りなど微塵も含まれておらず、ただ言葉の通り純粋な憐れみだけがそこにあった。

そして鳴郎は力強く、迷いのない声で千博に言う。


「千博、テメェはコイツみたいになるなよ」

「え――?」

「たとえ相手が多かろうが強かろうが、ソイツが敵なら躊躇なく殺せ。間違っても、弱い奴に矛先をすりかえるな」


 言い終えた鳴郎は、軽く千博の胸を叩いた。

言葉の意味を問おうとしても、受け付けぬとばかりに背を向けて、血濡れた金棒を黒い布で巻いている。

その横には、ついばまれて骨が見えてきた森妃姫子の亡骸が転がっていた。

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