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夢見ノ森怪奇譚  作者: 種子島やつき
第四話 雨の日に現る
16/69

4-3

 花山をその大きな手で握りしめた化け物は、彼女を引きずる形で走り出していた。

しかし信じられない幸運が起こるものである。

なんと化け物が走り出してすぐ、いきなりそばにあった電柱が倒れ、奴に目がけて直撃したのだ。

人間だったら即座に圧死する衝撃を食らい、たまらず化け物は花山を放りだす。

その隙を、鬼灯兄妹は逃がさなかった。

二人はゆうに身長の倍以上跳躍すると、鳴郎が金棒で奴の頭を、キクコが鎌で奴の顔を攻撃する。


 だが図体の大きさに見合って、化け物の体は固いらしい。

鳴郎の攻撃は効かず、キクコの鎌は折れ、跳ね返った切っ先が彼女の頬を切り裂いた。

鳴郎とキクコの目の色が変わる。

しかし化け物が自分から攻撃してくることはなく、再び飛び退くと、奴は近くの民家の屋根に降り立った。


「待てクソ野郎!」


 鳴郎が追おうとするが、化け物は素早く屋根を飛び移りながら遠ざかる。

相手を見失った鳴郎が、いら立たしげに金棒を地面に叩きつけた。


「クソッなめやがって」


 カサを放りだしていた彼の肩は、雨でじっとりと染まっていた。

それはキクコも花山も一緒で、花山に至ってはスカートまでずぶ濡れである。

だが幸い怪我はないらしく、彼女は部長の助けを借り自力で起き上がっていた。

千博は花山の無事に一安心するとともに、キクコの方を見る。


「逃げられちゃったよー」


 そう呑気な口ぶりで言う彼女の頬には、鮮やかな血の球が浮かんでいた。

あまり深くなさそうではあるが、女の子の顔に傷跡が残ったら一大事である。


「鬼灯、早く病院に行かないと」

「へーきヨ。ヘーキ」

「でも傷が残ったりしたら……」

「もうなおったからヘーキ」


 「治ったって、そんなわけないだろう」――そう言いかけたところで、千博は息をのんだ。

キクコが血をぬぐった後には、元通りの滑らかな頬があったからである。


「鬼灯、怪我は……?」

「だからもう治ったの」

「いくらなんでもそんな――」


 いくら浅くても、血が出までの怪我が瞬時に治るわけがない。

しかしキクコの頬に傷跡がないのも事実であった。

もしかしたら、切り口が鋭すぎるせいでくっついてしまったのかもしれない。

千博は紙で指を切った時のことを思い出し、そう推測した。

何はともあれ大したことなかったのだから、深く考える必要もないだろう。


「あの化け物、一体何なんだ?」


 千博が漠然とした問いを発すると、鳴郎が眉間にしわを寄せながらこちらを向く。

だがそれは決して千博を睨みつけているのではなく、苦々しいと表現するのがぴったりの表情だった。


「あれはな、元人間だよ」

「は? 人間?」

「ああ。だがその話はまた明日だ。千博、テメェは警察に電話しろ。匿名で、ひき逃げされた死体を見つけたってな」











 翌朝、朝刊の地域欄には、またもや小学生がひき逃げによって死亡したと見出しが載った。

損傷が激しすぎて分からなかったが、あのぼろきれ同然になった遺体は小学生の物だったらしい。

千博は何の罪もない子どもが惨い殺され方をしたことに、怒りが収まらないでいた。


 昨日の時点で、あの化け物による犠牲者は三人。

どうして奴は小学生ばかりを引きずり殺すのだろうか

しかも鳴郎曰く、あの化け物は元人間だったという。

確かに形は似ていたが、人間が化け物になるなんて正直信じられない話であった。

昨日は遅かったため、詳しいことは全て今日聞くことになっている。

千博は時計が十一時を過ぎているのを確認すると、約束の場所であるファミリーレストランへ急いだ。

今日は休日だったため、どうせなら学校外で会おうと部長が提案したのである。


 外へ出ると降り続いていた雨は嘘のようにやみ、上空には清々しい秋晴れが広がっていた。

時間通りにファミレスに到着した千博は、あとから五人来ることを店員に告げて席に着く。

間もなく全員集まり、ドリンクバーを頼んだところで鳴郎が話し出した。


「昨日言った通り、あの化け物は元人間だ」


 千博以外の部員たちは、その言葉にこれといって疑問は抱いていないらしい。

しかし千博はどうしても口を差し挟まずにはいられなかった。


「元人間って……人間が化け物になるなんてこと、あり得るのか?」

「ああ、何にも知らないテメェがそう言うのも無理はねぇ。だが人間が妖怪ばけものになることはある」

「……どうやって?」

「そういう『素質』を持った人間が、世の中にはごく少数だが存在するんだ」


 「素質?」と千博は思わずオウム返しをしてしまった。

鳴郎は黙ってそれにうなずく。


「素質って、一体どんな素質なんだ?」

「だから妖怪になる素質だよ。たとえばネコの場合、長生きすると化け猫になる奴がいるんだが、長生きした奴全部が化け猫になるわけじゃねぇ」

「そうなのか?」

「そしたら、ペットのネコほとんどが妖怪になっちまうだろうが。ネコ以外にも、キツネやタヌキなんかは、長く生きて変化できるようになる奴がいる。でもやっぱり全員がそうなるワケじゃない。素質のある奴だけが妖怪になるんだ。人間も同じ。素質のあるネコが化け猫になるみてぇに、素質のある人間が妖怪になる」

「素質がある奴は、みんな?」


 千博が尋ねたところで、ドリンクバーに行っていたキクコと花山が戻ってきた。

花山はオレンジジュースを、キクコはよく分からないどす黒い液体を持っている。

全部混ぜたに違いなかった。


「キクコ、テメェそれちゃんと飲めよ! ――と、話がそれたな。素質がある奴はみんな妖怪になるって聞いたか?」

「ああ」

「じゃあその答えはNOだ。ネコもキツネも素質に加えて、長生きしなけりゃ妖怪にならない。人間も素質があるだけじゃダメだ。化け物になるにはもう一つ条件がある」

「長く生きることか?」

「ちがう。一言で説明するのは難しいが、簡単に言うなら……」


 「精神が人間の範疇を外れること」――そう鳴郎は言った。

抽象的な言葉に戸惑って、千博は意味を探ろうと彼の双眸を窺う。

鳴郎の瞳はいつにも増して黒く、まるで月のない丑三つ時のようであった。

なんて黒い目だと内心驚く千博に、彼は言う。


「話が進まねぇ。納得したなら本題に入るぞ」


 曖昧に返事をすると、鳴郎は千博に向けていた体を今度は皆の方へと向けた。


「で、あの忌々しい野郎は元人間なんだけどよぉ。そういうヤツは『こっちの業界』だと有名で、昔なんて人間だったかとか、どんな性質なのかとか、ありがたいことに情報が出回ってる」

「こっちの業界って、そんな業界あるのか」

「フツーの人間は一生気付かねぇ業界だ」


 多分化け物退治を行う人々の業界があるのだろう。

非常に気になったが、これ以上自分の疑問で話を遅らせるのも申し訳ないので、千博はそれ以上聞かずに先を促した。


「で、業界から得た情報によると、奴の人間だった時の名は森妃姫子もりひきこ


 「女だったんですか!?」と、花山が声を上げる。


「ああ。髪が長いからまさかと思ったが、案の定女だったらしい」

「あ、アタシその名前知ってるよ。確か都市伝説にもなってるよね。『ひきこさん』って」

「部長の言うとおり、森妃姫子は都市伝説にもなってる」

「みんなひきこさんって都市伝説知ってる?」


 部長に聞かれて首を横に振ったのは、情けないことに千博だけだった。

この部活に入ってから妖怪については一通り調べたのだが、まだ都市伝説は守備範囲外である。

親切にも、部長は無知な新人である千博に一から説明してくれた。


「ひきこさんはね、雨の日に現れて小学生を捕まえると、肉塊になるまで引きずり回すの妖怪なの」

「それ恐ろしいことに、実物と同じですね」

「そうなの。で、なんでそんなことするかって言うとね、そのひきこさんは人間だったころいじめられてて、いじめっ子に辺りを引きずり回されてたんだって。そんでそのうち顔に大きなケガをしちゃって、傷跡気にしたひきこさんは名前の通りひきこもりに」

「……うわぁ」

「で、学校に行かなくなったひきこさんは怒った両親に虐待を受けるようになって」

「……」

「それでも外には出なかったんだけど、雨の日だけは傘で顔が見えないから家から出るんだってさ。んで、憂さ晴らしに小学生を引きずって殺すの。自分がされたのと同じように」


 怖い話、というには妙に現実感があって、千博は最後の方になると口をつぐむしかできなかった。

追い打ちをかけるように、鳴郎が「事実も大差ない」と告げる。


「その都市伝説は、オレが聞いた情報、つまり事実とかなり近いらしい。情報によると、その森妃姫子は小学生。背が高く、見た目が良くて、優等生だったそうだ」

「……小学生!?」

「ああ。で、嫉妬した同級生にいじめられるようになり、伝説と同じ、引きずられたせいで顔に傷ができたと。ひきこもりになったのも伝説通りだな」

「まさか、両親に虐待されたとか言うんじゃないだろうな?」

「そのまさかだよ。森妃姫子は顔の傷とイジメで学校に行けなくなったのを両親に責められ、虐待を受けていた。そして雨の日だけ外に出てて、そのうち自分と同じ小学生を殺すようになった。昨日花山を狙ったのは、小学生と勘違いしたからだろうな」


 「むごい」と千博は呟いた。

一方鳴郎は、顔色一つ変えずに言葉を続ける。


「コレはオレの推測だが、森妃姫子が化け物になったのは多分最初に小学生を殺した時だ。その時ヤツの精神は人間の範疇を超え、素質のあったヤツは化け物になった。ちなみにヤツは、いじめっ子だと怖くて襲えないらしい」


 情けないヤツだと言わんばかりに鳴郎は鼻で笑ったが、千博はただ彼女が哀れだとしか思えなかった。

常夜が千博の内心を代弁するかのように「哀れね」と静かに言う。


「いじめられて、両親に虐待されて、あんな醜い化け物になって。それでもなお、雨の日しか出られないなんて、哀れにもほどがあるわ」

「怖かったですけど、あの血の涙、本当の涙なのかもしれないですね……」

「昨日あの化け物――森妃姫子の顔を見たけど、傷なんてなかったわ。きっと傷自体は大したことなかったのよ。でも彼女の心の傷は……」


 そのまま常夜は言葉を無くした。

森妃姫子に襲われた花山も俯き、千博も腕を組んでテーブルを眺める。

周囲を重たい空気が包み込んだが、すぐに鳴郎の嘲笑う声がそれを打ち破った。


「なに全員で黙ってんだよ。アイツに同情するところなんて少しもねぇだろうが」

「だけど鳴郎――!」

「あのなぁ、どうして森妃姫子が都市伝説になってるか分かるか? それだけ殺してるからだよ。そんなヤツのどこを同情する必要がある?」

「それはそうだが――」

「まぁ哀れなのは確かかもな。あんなデカい図体になって力を得ても、いじめっ子は襲えないんだ。笑えるほど哀れじゃねーか」


 鳴郎はからからと乾いた笑い声を上げた。

キクコも彼へ同調するようにうなずいている。

鳴郎はやや非難がましげな部員たちを一瞥すると、険しい顔つきになってテーブルにこぶしを叩きつけた。


「とにかく、オレとキクコはアイツをぶっ殺す。部長、文句はねぇよな?」

「別にいいけど、また森妃姫子はこの街に現れるの?」


 部長の問いに、キクコは満面の笑みで首を縦に振った。


「あさって雨なんだって。だからひきこさんまたくるよ。この街は居心地いいみたい」

「なるほど、さすが夢見の森。じゃ、あさっての部活動はそれで」

「やったー」


 なぜかは知らないが、キクコは戦うのがよほど好きらしい。

しかし手放しで喜ぶ彼女の横で、鳴郎は希望通りになったというのに、堅い顔で机を睨みつけていた。 

 

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