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夢見ノ森怪奇譚  作者: 種子島やつき
第四話 雨の日に現る
15/69

4-2

 被害者は相当の速度で引きずられたのだろう。

赤い線の脇には、所々人体の一部らしき肉片が散乱していた。

被害者の体と体液で生まれたラインは、降り注ぐ雨によって大きく滲んでいる。

雨のせいでどこまでも赤い水たまりが広がる事故現場は、凄惨と言うほかない状態だった。

被害者はもう病院へ運ばれたようだが、まだ野次馬はその場にとどまり、中には事故の跡をケータイカメラで撮影している輩までいる。


 思わず顔をしかめてから鬼灯兄弟の方に目を向けると、鳴郎は険しい顔で、キクコはポカンとしながら辺りを眺めていた。

表情はそれぞれバラバラだが、二人とも現場を見て何か考えているようである。


「どうかしたか?」


 そう千博が聞くと、二人はそろって「なんでもない」と口にした。

顔は全く似ていないが、こういう所は兄妹だなと思ってしまう。

二人はこれ以上事故に興味はないようだったし、千博も野次馬のような真似はしたくなかったので、三人はそれからすぐに現場を後にした。

自宅前で兄妹と別れて玄関を開けると、出迎えてくれた母が挨拶もそこここに言う。


「そういえばさっきひき逃げがあったらしいわね」


 随分情報が早いなと、千博は思わず感心してしまった。


「その事故現場なら、帰り道に見たよ」

「隣の奥さんから聞いたんだけど、轢かれたのは小学生だって。気の毒に。助かるといいわね……」


 千博もそう思ったが、翌日新聞の地域欄を見ると、昨日ひき逃げにあった小学生が死亡したという記事が載っていた。

記されている事故現場と時間帯は、前日千博たちが通りがかった場所と時間に一致している。

雨で滲んでもなお、引きずられた跡が分かるほどの事故だ。

助からなくても無理はないと思わざるを得なかった。


 痛ましい気持ちになりながら千博が窓の外に目をやると、朝からあいにくの雨である。

もう秋雨の時期かと思いつつ、千博は傘を広げて学校へ向かった。

教室について席に座ると、それとほぼ同時に鬼灯兄妹がやって来る。

雨のせいなのか、鳴郎はしかめ面ですこぶる機嫌が悪そうだった。


「おい、なんで朝から怒ってるんだ?」

「怒ってねぇよ」

「いや、怒ってるだろ」


 食い下がる千博に鳴郎は舌打ちをすると、面倒臭そうに「考え事をしているだけだ」と答えた。

詳しく聞いてみれば、どうやら彼は昨日の事故が気にかかっているらしい。


「そういえば被害者の小学生、亡くなったらしいな」


 千博が言うと、席に着いた鳴郎は頬杖をつきながらこちらに視線を向けた。


「やっぱり死んだのか」

「ああ。まったくひどい話だよ。新聞によると何百メートルも引きずられて、犯人もまだ捕まってないらしいし」

「そうか……」

「どうかしたか?」


 聞かれても鳴郎はしばらく黙っていたが、そのうち「犯人は妖怪バケモノかもしれねぇ」と呟いた。

ここが呪われた町だとはいえ意外な発言に、千博は思わず目を見開く。


「バケモノって、妖怪が昨日の事故を起こしたってことか?」

「いや、まだよくは分からねぇ。でも、なんとなくそんな気がする」

「そんな気がするって……」

「なんとなく昨日の現場に気配がしたんだよ。オレだけならともかく、キクコも感じてるみたいだしな」


 千博がそのキクコの方を向くと、彼女は相変わらず無邪気な笑みを浮かべていた。

笑顔だけを評価するならアイドル顔負けの代物だが、今の会話にはふさわしくない表情である。

千博が見ているのが分かると、キクコはことさらにこちらへ笑いかけた。


「ワタシもね、犯人は人間じゃないと思うの」

「どうしてそう思うんだ?」

「同じだけど、同じじゃないニオイがしたから」


 使っているのは同じ日本語ではあるものの、彼女の言っている意味がまるで分からない。

千博が戸惑っていると、キクコはやや含みのある笑みになった。


「子どもを殺したヤツはね、コワくてつよいけど、コワくてつよくないの。ワタシたちと同じで、ワタシたちとちがうの」


 ますます訳が分からなくなった辺りで、予鈴が鳴った。

とりあえず二人とも、昨日の事故に化け物の存在を感じているのは確からしい。

本当にそうなのかは分からないが、放課後、今日は部活がないので千博が早く帰宅すると、またもや母がこう告げた。


「また近くでひき逃げがあったんですって。しかもまた小学生が引きずられたんだって!」


 いくら邪気のせいで悪いことが起こりやすい夢見の森でも、二日連続、しかも近い場所でひき逃げが起こるとは考えづらい。

鬼灯兄妹が言うように、化け物の仕業かもしれないと千博は思った。

そういえば前に部長から、妖怪の種類によって人の襲い方は決まっていると聞いたことがある。

もし今回の件が妖怪の所業なら、人を引きずるのがその妖怪のやり方ということになるのだろう。


 鳴郎も二回目の事故で確信を抱いたらしく、翌日の部活動で、彼は珍しく最初に口を開いた。


「昨日おとといと小学生がひき逃げにあってるんだけどよぉ。オレはそれを妖怪の仕業だと睨んでる」


 わずかに部室内がざわめいた。

花山が「それ、昨日の小学生も死んじゃったんですよね」と呟く。

昨日引きずられた小学生は、発見された時点で死亡していたと朝刊には出ていた。

一昨日の事故と同じく、何百メートルも引きずられたのだろうと警察は推測しているらしい。


 鳴郎の話を聞いて、フランス人形の頭を撫でていた常夜が口を開く。


「疑う訳じゃないけど、事故の目撃者はいないの? そしたら普通の事故ということになるけど」

「新聞を見る限りだといねぇってよ。一件目は夕方、二件目は下校時間だっつうのに、車の影さえ見た奴はいないらしい」

「あらそう、じゃあ否定する根拠はないわけね」

「オレだけならともかく、キクコもそう言ってるからな」


 キクコの妖怪に関する言葉と言うのは、余程部活内で影響力があるらしい。

部室の空気ががらりと変わった。

明るいがどこか緊張を孕んだ声で、部長がキクコに尋ねる。


「キッコタン、化け物の仕業って本当?」

「うん。ホントホントだよ」

「どんな化け物?」

「名前までは分かんない。でもね、ワタシたちと同じで同じじゃないものだよ」

「それって、結構厄介なんじゃ……」


 さすがと言うべきか、千博にはさっぱりでも、部長はキクコが何を言わんとしているか分かるらしい。


「ソレ、今日も出るカンジ?」

「うん。だって雨がいっぱいいっぱいふってるからね」

「雨が降ると出るんだ」

「そう。雨がふると出るの。たぶんね」


 秋雨前線本格的到来ということで、今日は昨日から引き続き雨が降っていた。

激しくないが絶え間なく降る、季節の変わり目らしい長雨である。

キクコが言っているのが本当なら、その妖怪が今この瞬間にどこかで現れても不思議ではなかった。


(それってかなりマズイんじゃ……)


 千博がそう思っていると、鳴郎が机に身を乗り出しながら言う。


「確証は無くて悪いが、今日の部活動はその化け物探しっつーことでかまわねぇか?」

「いいけど、町のどこに出るか分かってるの?」


 部長が尋ねると、鳴郎は無言でキクコの方を肩でしゃくった。

キクコは得意げに胸をそらして見せる。


「ワタシ分かるよ。なんとなくだけど、ソレの出る場所」

「じゃあ、キッコタンに案内してもらうかー」


 一体なぜ、キクコには次に化け物が出る場所が分かるのだろう。


 部長は納得しているようだったが、千博はそれが不思議でならなかった。

今回の件が化け物の仕業かどうか分かるのは、経験が培った勘ということでまだ納得できる。

しかし次にあらわれる場所の予測となると、信じていいものか正直首をひねらざるを得ない。


「ホントにアイツ、分かってるのか?」


 千博が近くにいた花山に聞くと、彼女はびくりと肩を振るわせた後小さな声で言う。


「き、キクコさんは、この部活の中でも特に普通じゃありませんから……」

「それって、結構スゴくないか?」

「は、はい。部長と鳴郎さんも特に普通じゃないんですけど、キクコさんは別格と言うか。なんか見えてる物も人間とは違うみたいで……」


 魑魅魍魎と霊が見えるようになった千博も、普通の人と違うものが見えている自覚はある。

だがキクコはそれに輪をかけて酷いのだろう。

何が見えているのか想像もつかないが、そう言われると彼女のエキセントリックな振る舞いも無理はない気がした。

花山に礼を言うと、彼女は少し顔を赤らめながら下を向く。

部長がキクコの案内する場所へ向かうと言うので、部員一同は急いで部室を後にした。


 昇降口から出ると、外はやはり雨である。

しとしとと降る小雨で、土砂降りじゃないだけマシだろうかと思いながら千博は傘を広げた。

他の部員たちもそれぞれ傘をさしながら、キクコが「出る」という場所へと向かう。

彼女が案内した先は、人気の少ない十字路であった。

雨天のせいか時間帯の割に辺りは暗く、長雨の浸み込んだブロック塀がことさらに陰鬱な景色を作り出している。


 「四辻かぁ。 確かに妖怪が出やすい場所だねー」と、部長が呑気な口調で言った。

道が十字に交差する四辻は、昔から化け物が出やすいと言われていると、千博は本で読んだことがある。

それを分かっていて、キクコはこの場所に皆を連れてきたのだろうか。

様子をうかがってみても、真っ赤な傘をさした彼女はご機嫌な様子で鼻歌を歌うばかりだった。

他の部員たちは少々退屈な様子で、いつ来るとも分からない化け物を待っている。


「本当に来ると思うか?」


 千博は黒い傘をさした鳴郎に聞いた。

彼の肩には、いつもと同じく金棒が入ったバットケースが掛かっている。


「疑うのかよ?」

「そういうわけじゃないんだけど、つい」

「多分来るだろ。アイツのこういう勘は外したことがねぇからな」


 他に話題もないので、すぐに二人の間に沈黙が訪れた。

他の部員たちも雨で気だるいのか、お互い話もせず、ただその場に突っ立っている。

だがいつも必要以上に明るい部長が、この暗い雰囲気を許すわけがなかった。


「ねぇ、きいてきいて! アタシめっちゃ面白いこと考えたんだけどー!」


 そう言いながら、彼女は一番注目の集まる場所に躍り出た。

しかしさっそく、常夜の冷たい視線が部長に突き刺さる。


「まったく……。一体どんな下らないことを考え付いたのかしら?」

「あ、バーバーったらヒドイくない? 結構会心のデキだよ? アタシの『男子中学生が言いそうなことランキング』」

「バーバーはやめてって言ってるでしょう」

「ではランキング、第三位から発表でーす!」


 常夜の言葉をまるきり無視して、部長は指を三本立てた。

いつものことだと、部員一同は何も言わずに首を横に振るばかりである。


「じゃ、いくよー。男子中学生が言いそうなことランキング第三位は……『ノックしろよ!!』です。思春期を持て余し、部屋でいかがわしい本を読んでいたところに、突如として開く扉! 慌てて本を閉じながらかーちゃんに言うセリフは、もうコレしかありませんね」

「……ああ、そう」

「続いて男子中学生が言いそうなことランキング第二位は『俺の勝手だろ!』思春期イコール自我の目覚め。かーちゃんのおせっかいもだんだんウザくなってくる。ほろ苦い成長の証だね」

「……そうね」

「そして栄光の第一位は! 『ババァ』です! 『ノックしろよババァ!』『俺の勝手だろババァ!』 どんなセリフにもババァをつけると途端に中学生らしさアップ。でもたまにはお母さんをいたわろうね?」

「もう『男子中学生が母親に言いそうなランキング』に名前変えたら?」

「さーて千博君、君に当てはまるセリフはいくつあったかな?」


 いきなり自分にふられて「え!? 俺ですか!?」と千博は叫んだ。


「一個もありませんよ! 俺は母さんにそんなこと言ったりしません!」

「あらー、いい子なのねー。でも時として成長に反抗は付き物ダゾ?」

「……はぁ」


 なんだか一気に疲れてしまった。

明るくて元気がいいのはいいが、部長の場合は度が過ぎでこちらのエネルギーがそがれてしまう。

そんな部長とこちらの様子をキクコはきょとんと、鳴郎は馬鹿らしそうに見つめていたが、突然二人の顔つきが変わった。


「みんなー。なにかくるよ」

「気を付けろ。目的の奴だ」


 二人が叫ぶのとほぼ同時に、道の向こうから妙な音が近づいてきた。

慌てて音のする方向を見ると、何か人影らしきものがこちらに向かってくる。

相手は余程の速度で近付いているらしい。

影は瞬く間に大きくなり、その全貌が千博の視界に現れた。


 不釣り合いなほど大きな頭と、枯れ枝のように細く、虫のように長い手足。

しかし現れた化け物の体は、バランスこそ狂ってはいるものの、人間のそれに良く似ていた。

頭部からは長い髪が生え、化け物はそれを振り乱しながら四つん這いで走ってきている。

速さはおそらく自動車以上。

大きさもどうやら自動車以上にありそうだった。

化け物の右腕には赤いぼろきれのような物が引っ掛かっており、どうやら奴はそれを引きずりながら走っているらしい。

そのぼろきれから流出れる液体によって、化け物が通った道には赤い線が生まれていた。

線の脇にはぼろきれの一部と思しき、ピンク色のかけらが散らばっている。

それとよく似た物を、千博は先日の事故現場で見たことがあった。


「あのぼろきれ――違う! 人間だ!!」


 叫んだ頃には、もう奴が目の前に迫っていた。

思わず化け物の顔を見ると、奴は穿った穴のような目からとめどなく血の涙を流し、半開きの口からは黄ばんだ牙をのぞかせている。


 おぞましい、と思った。


 千博は生理的嫌悪感と恐怖から身をすくませるが、鬼灯兄妹は化け物の進路をふさぐように仁王立ちしている。

鳴郎はケースから取り出した金棒を、キクコは草刈鎌を構えていた。


「ソレ、返してもらうぜ」


 次の瞬間、鳴郎はすれ違う化け物の腕を打ち据える。

いきなりの一撃による痛みと動揺に、化け物がぼろきれ、いや人間のなれの果てから手を離した。

猛スピードで走っていた化け物から解放された体は、大きく宙を舞って千博のすぐ隣に落ちる。

柔らかく重いものがつぶれる音が響き、詰まった赤い果汁がアスファルトとブロック塀にシミを作った。

千博は隣に落ちたそれを横目で見ようとするが、思い直して仲間の方へと目を向ける。


 十字路の中央では、死体を奪われた化け物と鬼灯兄妹が互いに睨み合っていた。

化け物は目からますます赤い液体を流し、いつ戦闘が始まってもおかしくない雰囲気が漂っている。

静寂はしばし続いたが、奴が後ろに飛びのいたことにより空気が変わった。


 殺気を放つ鬼灯兄妹に怖気づいたのか。

いや、違う。


 引いた化け物は、最初からそれが狙いだったかのように花山の傍らに降り立つと、彼女の体を握りしめた。

化け物の手のひらは、腕の太さから見て不自然なほど大きい。

胴体を丸ごと拘束され、花山は完全に身動きが取れない状態になる。


「鳴郎さっ、キクコさっ、助け――!」


 鳴郎が急いで彼女のもとへ向かうが、時すでに遅し。

化け物は再び走り始めていた。

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