4-1
延期に延期を重ねた末、今日になってやっと千博の歓迎会は開催された。
各自が用意した飲食物を部室に持ち寄り、机にテーブルクロスを敷いてそれらを広げる。
わざわざ買ってきたのか、部長は三角形のパーティー帽までばっちり用意していた。
これでは歓迎会というより誕生日会だと千博が思っているうちに、部長が乾杯の音頭を始める。
「えー、我らが怪奇探究クラブ初のイケメン部員にカンパーイ!」
「カンパーイ」
(流石に今のは鳴郎に失礼じゃないか?)
千博はそう思ったが、隣にいる鳴郎は気にするそぶりもなく菓子に手を付け始めていた。
彼が切れなかったことに一安心してテーブルを見ると、見事に甘い菓子ばかりで途方に暮れる。
この部活は女子ばかりだし鳴郎も甘党のようだから、甘味のみが集まるのも無理ないのかもしれない。
だが甘い物があまり好きではない千博には、この状況は苦痛というほかなかった。
やむを得ず自分が持ってきた煎餅を口に運んでいると、不意に向かいに座っていたキクコと目が合う。
「ジュース飲む?」
彼女の言葉で、千博は自分の紙コップが空になっていることに気が付いた。
「悪い」と言ってコップを差し出すと、キクコは怪訝な顔をする。
「ジュース飲むんでしょ? 口あけてよー」
「はっ?」
「ワタシ、ちゃんとこぼさずに注いであげるからね」
どうもキクコは、ペットボトルを直接千博の口に当てがって流し込むつもりらしい。
普通なら冗談だと笑ってやるところだが、彼女が相手だと本気にしか見えなかった。
あの一件――保安員が目の前で喉を貫いた事件――から、千博はますますキクコへ薄気味悪さを感じている。
例の保安員が暴れているとき、どうしてキクコは何もしなかったのか。
止めるチャンスはいくらでもあったのに傍観を決め込んでいた彼女を、千博は不審に思わずにいられなかった。
余りのことに体がすくんでしまったのかと考えてもみたが、口裂け女を惨殺するキクコに限ってそれはあり得ない。
ひょっとして、自業自得だと思って傍観していたのだろうか。
それとも取り乱す女を見るのが楽しかった――?
自分で思ったことだが、さすがに後者はないだろうと、千博は心の中で首を横に振った。
そんなことを考えるようなら、もはやキクコの方が化け物になってしまう。
分からない所だらけではあるものの、千博はそこまで彼女に嫌悪感と猜疑心を抱いているわけではなかった。
千博は「自分でやるから」と言うと、キクコから半ば強引にペットボトルを受け取る。
隣の席では、鳴郎が部長にポッキーゲームをさせられそうになっていた。
常夜と花山はいさめる素振りすらなく、必死に拒絶する彼の姿は同情を禁じ得ない。
二学期になるまで、一体鳴郎はどれだけ苦労してきたのだろう。
たった一人の男子部員という鳴郎の苦しみを垣間見た千博は、ポンと彼の肩をたたいた。
「今まで大変だったな、鳴郎」
「……分かるか?」
「ああ。でもこれからは俺がいるから。二人なら大丈夫だろ?」
元気づけるべく千博が言うと、なぜか部長の方が真っ先に反応した。
「キャーっ! 千博君ソレって口説いてるみたーい!」
「……はい?」
「さっそく部活内でカップル成立なの? なにこれ青春真っ盛りじゃーん」
「いや、ちょっと待って、何言ってるんですか!?」
「で、クロちゃんどうする? 千博君イケメンだしいい子だし、付き合っちゃえばぁ?」
部長の乱心に千博は助けを求めようと常夜の方を見たが、彼女は顔を真っ赤にして笑いをこらえていた。
涙目になりながら、普段は冷静な先輩が煽るように言う。
「いいじゃない二人とも。付き合っちゃいなさいよ」
「あのっ? 常夜先輩?」
「いいじゃない。何事も経験よ。ね? 一子ちゃん」
話を振られた一子は、常夜と同じく笑いをこらえながらうなずいた。
彼女の周りにいる悪霊の頬が染まっているように見えるのは、単なる気のせいだろうか。
キクコはと言うと、突然起こった兄妹への気色悪い騒動に首をかしげている。
「みんなどーしたの?」
「キッコタン、アンタの家族に彼氏ができるみたいよ?」
「そーなんだ。クロにコイビト!」
「お家の人に連絡しなきゃ」とキクコが言ったところで、部長は文字通り腹を抱えて笑い出した。
常夜も花山も、止めるどころか机の上にうずくまって芋虫のように震えている。
(こういう女子のノリって、本当に恐ろしい……)
千博が化け物とはまた違う恐怖をかみしめていると、今までうつむいて肩を震わせていた鳴郎が、とうとう爆発した。
「テメェらいい加減にしやがれぇっ!! このクソったれどもがあぁぁぁっ!!」
叫ぶと同時に思い切り拳を机に叩きつけたため、机の天板は見事に「Vの字」となった。
思い切り眉間に青筋を立てながら、鳴郎は剃刀のように鋭い視線を女性陣に向ける。
「誰がこんなゴッツイ老け顔と付き合うってぇ? もう一遍言ってみろよ、女狐コラァ!」
「女狐って、ひょっとして部長のアタシー?」
「テメェ以外いねぇだろうが整形顔!」
「整形ってヒドーイ!」
「二度とこういうこと言ってみろ? テメェの顔面取り替えなきゃすまないようにしてやるからな」
「ハイハイ、メンゴメンゴ」
ウインクしながらちょろりと舌を出す部長に、鳴郎のひじ打ちがヒットした。
彼の鋭い肘は容赦なく部長の顔面へめり込み、彼女は体ごと隣にいる花山の所へ倒れる。
過激すぎる鳴郎の暴力に千博は血の気が引いたが、当の部長は鼻血一つ出さずケロリとしていた。
他の部員たちも何事もなかったようにしているし、このクラブは尋常じゃないと改めて認識する。
「おい常夜、花山。オレはテメェらにもキレてんだからな? 特に常夜テメェ、何が付き合っちゃいなさいよだ。ふざけてんのか」
次に鳴郎は常夜へ矛先を向けたが、強烈なメンチを切られても、彼女は相変わらず澄ましたままだった。
「いいじゃない。千博君、いい男だと思うけど」
「テメェが女狐みたいに丈夫じゃなかったら、今頃殴ってんからな? そこんとこ意識しとけよ?」
話しが終わると今度は自分に視線を向けられ、千博は肝が冷える心地がする。
平然と彼の相手をしていられた先輩二人を、さすがと思わずにはいられなかった。
「お、俺、何か気に障るようなことしたか?」
「したかじゃねーよ、ハッキリ拒絶しろよ。なっさけねぇ。コイツら嫌がらねーとどんどん付け上がるぞ」
「わ、分かった」
「ったく、見かけ倒しの男だな」
鳴郎は一つ舌打ちをすると、再び席に座って菓子を頬張り始めた。
部員たちもすっかり元のようにおしゃべりを始めているし、今のようなことは日常茶飯事なのだろう。
この環境に慣れることができるのか千博は不安になったが、この一件以降は特に何事もなく、歓迎会は無事その幕を下ろした。
下校は帰る方向が同じ鬼灯兄妹と一緒にということになっているので、千博は二人と家路につく。
「そういえばこの間の保安員、声が出なくなったらしいな」
歩いている途中、ふと思い出したように鳴郎が言った。
軽い世間話のような口ぶりだったが、千博はつい足を止めてしまう。
「それ、部長から聞いたのか?」
「ああ。メールで教えてくれた」
部活では喧嘩ばかりしている二人だが、意外にもメールを送り合ったりする仲らしい。
その事実に若干驚きを覚えながらも、千博はさらに鳴郎へ尋ねた。
「それで命に別状はなかったのか?」
「あのな。貫通したならともかく、真っ直ぐ喉刺したくらいで死ぬかよ。まぁ声帯は完全に潰れちまったらしいけどな」
「それって、一生ロクに声が出ないんじゃないか?」
「元はと言えば自分が人に濡れ衣を着せたせいだろ。それも自業自得なんじゃねーの?」
チラリと千博がキクコの方を見ると、彼女は聞こえる距離にもかかわらず、何の反応も示さないままだった。
まるで興味ない、と言わんばかりの態度である。
あの時保安員を助けなかったのは、やはり自業自得だと思っていたからなのだろうか。
千博が本人に聞かなければいつまでも分からないことを考えていると、鼻先に冷たいものが当たるのを感じた。
降りを仰げば空にはいつの間にか重い雲が広がり、次々と雨粒が落ちてくる。
「げっ、今日天気予報カサいらないって言ってたのに」
慌ててカバンを頭に乗せる千博をよそに、鬼灯兄妹は着々と折り畳み傘を広げていた。
「二人とも、いつもカサ持ち歩いてるのか?」
「別にそんなことしなくても、雨が降るかどうかくらい分かんだろ?」
「どうやって?」
「感覚だよ感覚。鈍いなテメェは」
まるで原始人並の感覚だと思っているうちにも、雨脚はどんどん強まってくる。
困りきった千博に、意外にもキクコが助け舟を出してきた。
「いっしょにカサ、入る?」
本来なら二つ返事でお願いしたい所だったが、相手がキクコだとつい引いてしまった。
対した根拠もないのにどれだけ怖がっているんだと、少し彼女に対して申し訳なく思う。
結局、雨は強くなるばかりなので、千博は礼を言って傘の中に入った。
そばに寄るなり香るシャンプーのにおいが、キクコの存在感を嫌でも意識させてくれる。
どうしてあの時傍観を決め込んでいたのか。
千博はこの際聞いてしまいたかったが、帰ってくる答えが怖くて結局言い出せなかった。
鳴郎の言うとおり情けない男だと自嘲していると、不意にキクコが距離を詰めてくる。
「千博って、背が高いね」
彼女は傘を持つこちらを不思議そうに見上げていた。
上目遣いの青い瞳が、男ならだれでも持っているだろう庇護欲を刺激する。
実際はキクコの方が強いにも関わらずだ。
「ねぇ、しんちょーなんセンチ?」
「……百八十一センチ」
「わーっ! おっきいおっきい。クロよりおっきいよ! スゴイスゴイ!」
そう言ってはしゃぎまわるキクコの姿は、何も知らない男が見れば一目で惚れてしまいそうなほど可愛らしかった。
彼女は背が高い人が好きなのだろうかと、千博はなんとなく思う。
「でも、大きすぎるのも困りものなんだぞ。まだ中一でこれだと、老けて見られるし大変なんだ」
「でも、おっきい方がいーと思うよ」
「そりゃまそうかもしれないけど、今も成長中で、将来どうなることやら……」
伸びない身長に悩む同年代が聞いたら怒り狂いそうなセリフだったが、これでも千博は真剣に悩んでいた。
日本と言う国は、体が大きすぎてもまた暮らしにくい国なのである。
曾祖父はとんでもない巨漢だったというし、このまま順調に育ったら、常に頭上を気にする生活になりそうだ。
「でもワタシ、老けて見えてもおっきい方が好きだなー。千博ももっと大きくなるといいと思うよっ」
「まぁ女の子は、背が高い奴が好きだよな。でも並外れてデカい奴は嫌だろ?」
「そんなことないよ。ワタシ、おっきければ大きいほど好き。だっておっきければ大きいほど強いし、そのほうが――」
「殺しがいがあるから」――確かに、千博の耳にはそう聞こえた気がした。
しかしサイレンを鳴らした救急車が通り過ぎるのと同時だったため、彼女が本当にそう言ったのかどうかは分からない。
(気のせいだよな? そんなはずないよな?)
千博は自分に言い聞かせながら、サイレンの音を耳で追った。
すぐ鳴りやんだところから察するに、近くで何かあったらしい。
間もなくパトカーが通って行くのを見て、事件か事故があったのだと悟った。
そう、ここは呪われた町。
事件も事故も日常茶飯事なのである。
「なにがあったんだろうな?」
そう言いながら先を進むと、いつも使う交差点に差し掛かったところで人混みができている。
どうも事故だったらしいと思う千博の目に、雨で滲んだ赤いラインが映った。
丁度こちらの向かいから交差点に入る形の赤い線に首をかしげていると、野次馬の声が耳に入る。
「ねぇ、ひき逃げがあったらしいわよ」
「ずっと引きずられて来たらしいってねぇ」
その話を聞いて千博は向かいにある線が、血でできた物なのだと気が付いた。




