第十五話
お読みくださりありがとうございます。
大きな音を立てて開かれた扉。
動きを止める護衛だった男。
驚いて振り返るミラー。
視線を上げる絵里。
「絵里!」
ただひたすらに真っ直ぐな瞳の彼と目が合った。
――ロベルトさん!
一方、絵里の姿を認めたロベルトは、彼女の姿にわずかに目を見開いた。
縄で縛られ、床にうずくまった彼女の衣服が血で汚れている。
――絵里! くそ、どこか怪我をしているのか!
未だ動きの止まったままの男の剣を、電光石火の一振りで弾き飛ばしたロベルトはすぐさま絵里に駆け寄り、その縄を解く。
「絵里、大丈夫か? どこ怪我したんだ?」
焦ったように問いかけ、あちこちペタペタ触るロベルトの慌てように絵里は思わず吹き出してしまった。
「ぷっ。ロベルトさん、大丈夫です。どこも怪我してません。助けに来てくれてありがとうございます」
――こんなに心配してくれる人がいることの喜び。ピンチに駆けつけてくれる人達の存在。ああ、心が軽くなる。
絵里の笑い声を聞いて少し緊張を緩めたロベルトだったが、まだ気は抜けない。
「じゃあこの血は何だ? どこか怪我したんだろ? 我慢しないで教えてくれ」
「違いますよ。これは……鼻血です」
さすがにこんなに心配かけた状況で鼻血を出したことを告白しなければならないのは気まずく、俯いてしまう。
――呆れられちゃったかな……。
ポンと頭に乗った手の感触に恐る恐る顔を上げる絵里。
「ほんと、変わらないな。鼻血と聞いて納得できる俺は自分が悲しいよ」
そう言いながらも堪えきれない笑いに口がひくひくしているロベルト。
――よかった、呆れてない。
何度も頭をなでられる感触に安心する。
思えば、ロベルトはよく笑うようになった。
絵里がこの世界に来る前は微笑むことすら珍しく、声を出して笑うなんて有り得なかった。
だが今はどうだろう。
焦ったり、笑ったり、冗談を言ったり、ずいぶん表情が豊かになった。
騎士たちもそうだ。
絵里が来てから毎日が賑やかになった。
妹のように絵里を可愛がり、仲間同士の絆が強まった。
自由で、突拍子のない言動をとる絵里は確実に関わる者に光を与えた。
ここにいる者も、城で待機している者も、みんな利害に関係なく絵里を心配し、絵里の無事を祈り、そして絵里が無事なことにほっとしている。
――この世界に、この国に来てよかった。
心からそう思った絵里だった。
*~*~*~*~*~*~*~*~*~*
「さて」
絵里の無事を確認したロベルトはゆっくり立ち上がり、騎士たちに囲まれたミラーと男に向き直る。
「ミラー・ロッテンベル、カルロ・ベルラン、おまえたちを送り人誘拐の現行犯並びに財務大臣毒殺未遂の容疑者として逮捕する」
二人に厳しい目を向けるロベルト。
特にカルロは同じ騎士として働く仲間であったこともあり、複雑な想いがある。
だが、どんな理由であれ罪を犯したことに変わりはない。
きちんと罪を償うことを願うだけだ。
「……んで。なんで、なんでなんでなんで!」
事件解決の空気が流れる中、突然、人が変わったように叫びだしたミラー。
「なんで!? なんで私が逮捕されなきゃならないわけ? 毒殺未遂なんて私してないし、彼女の誘拐だってこの男が勝手にやっただけよ! 私は無関係だわ!」
髪を振り乱しながら自分は無実だと叫ぶ少女。
「ねえ、そうでしょ? あなたが勝手にやったことよね?」
隣にいるカルロに詰め寄る。
「お、俺は……」
目に見えてうろたえるカルロ。
その眼には、驚愕と葛藤とわずかな後悔の念が浮かんでいる。
――好きだった。彼女が、ミラー様のことが好きだった。ミラー様の頼みを聞けば俺の事を愛してくれると思った。でも、彼女にとっての俺はただの駒だったのだな……。
「俺は、ミラー様に命じられて絵里様を誘拐しました」
――愛してた。でも、もうおしまいだ。
「カルロ、あなた……!」
ぎりっと歯を食いしばり、カルロを睨みつけるミラー。
可愛らしい顔は憎しみで歪んでいる。
「連れていけ」
ロベルトがそう言い、騎士たちが二人を拘束して連れていった。
残された絵里はロベルトに抱きしめられる。
「無事で、本当に良かった。立てるか?」
力ずよく引っ張り起こされた絵里の顔は少し赤い。
――男の人に抱きしめられるなんて初めて……。
心臓がドキドキして頭がくらくらする。
一歩足を踏み出した時、絵里は思わず再びしゃがみ込んでしまった。
「どうした!?」
「ロベルトさん……お腹が空きました」
ぐるるるるーという何とも緊張感のない音がフ二人だけの部屋に鳴り響く。
「ぶはっ! ははは。よし、帰ったら飯食うか!」
通常運転の絵里の様子に思わず噴き出したロベルトは、絵里をお姫様抱っこして部屋を出る。
「ロベルトさん……ありがとうございます」
いまだ高鳴る胸の鼓動。
――空腹のせいか!
ドキドキする心臓も、くらくらする頭も、熱い頬も、全ては空腹のせい。
綻びかけた蕾が花を咲かすのにはまだまだ先のようだ。
頭をなでられる感触、規則正しく揺れる心地よさ。
疲れた絵里はそのまま眠りに落ちた。
「大丈夫」
眠りに落ちる間際、聞こえたその言葉はどんな意味だったのか、絵里はまだ知らない。
*~*~*~*~*~*~*~*~*~*
「団長、お帰りなさい」
無事に絵里を救出し、その後絵里がお腹いっぱいステーキを平らげるのに付き合ったロベルトは、夜が更けた今ようやく執務室へと戻ってきた。
そこには当然のようにマックスがいて出迎えてくれる。
「ああ、遅くなって悪いな」
城を飛び出した時の鬼気迫る顔は今は穏やかだ。
「絵里ちゃん無事でよかったですね! 誘拐されたのにステーキ二皿も間食するなんて絵里ちゃんらしくて安心しましたよ」
珍しく何の含みもなく笑うマックス。
それだけ彼も絵里の無事を祈っていた。
「ああ……」
だが、一番喜んでいるはずのロベルトの反応は芳しくない。
「どうしましたか? 何かほかに心配事があるのですか?」
「……ああ。実は俺がミラーの部屋に踏み込んだ時、絵里はカルロに斬られそうになっていたんだが、それを何の抵抗もなしに受け入れているように見えて……。絵里は自分の命に執着していないのではないかと感じてしまってな……」
「思い違いじゃないんですか? あの絵里ちゃんですよ。生きる事に人一倍貪欲そうじゃないですか」
「そうだといいんだがな……」
それきりロベルトもマックスも沈黙してしまう。
普段の言動を見る限り、マックスには絵里が死に急いでいるようにはとても思えない。
だが、ロベルトの観察眼は確かなものがある。
――それに……。思い返してみれば絵里が自分の事を話すのは聞いたことがないですね。家族構成だったり、向こうの世界での暮らしだったり……。打ち解けてくれているようでいて実は全然心を開いてくれていなかったのでしょうか……。
――あの時、刃を向けられた彼女は微笑んでいるように見えた。それに……。彼女の破天荒さで不思議に思わなかったが、今思えば最初の時にいきなり剣を向けたのに少しもひるんでいなかった。彼女は、絵里は、自分の生に執着していない……。……辛いな。
好きな子が生きる事に諦観を抱いているかと思うとやるせない。
「マックス、俺は絵里を幸せにしてやりたい。送り人であることと関係なく、一人の女の子として彼女が笑ってくれることを願うよ」
何とも恥ずかしいセリフ。
だが、だからこそ彼の真っ直ぐな想いが伝わってくる。
「応援しますよ。それに、私だって絵里さんには幸せになってほしいと思ってるんですからね。大切な妹分として……ね」
彼女が何を抱え、何を感じているのかは分からない。
だが、彼女が何者であっても、ロベルトもマックスも騎士たちも彼女の幸せを願う。
多くの人に支えられ、想われ、絵里はここで、この場所で生きている。
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