第十四話
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意識を取り戻した時、絵里がまず感じたのは激しい頭の痛みだった。
――うう、痛い。頭がガンガンする。しかも何これ、私縛られちゃってるじゃない。それに……ここはどこ?
白い壁。
ピンクの机に豪華な天蓋付きのベッド。
天井を見上げれば、繊細なシャンデリアが輝きを放っている。
頭痛をこらえながら辺りを見回すが、目に映る光景に見覚えはない。
ちなみに絵里は体を縛られ床に転がっている状態だ。
――誘拐……よね。あいつ、あのいけ好かない護衛が誘拐したんだわ。でもここって……女性の部屋よね? あいつはただの実行犯で、指示したのは別の人間ってこと?
なんとか縄から抜け出せないかと試み、これは無理だわと速攻であきらめた絵里は、思考をめぐらすことに全力を使う。
決してそっちの方が疲れないからではない……多分。
――なんで私は誘拐されたのかしら。恨みを買った覚えはないし……もしかして他国の人間? 確か異世界からの送り人がいる国はとりわけ豊かになるって聞いた覚えがあるわ。
一応真面目に考える絵里である。
が、グウーといういささか大きな音に絵里の思考は逸れてしまう。
――お腹が空いた。お腹が空いた。お腹が空いた。
お昼ご飯を食べていない絵里のお腹は早くも限界を迎えたようで、ひっきりなしにご飯の催促をする。
グゥグゥグウゥと何とも緊張感がない。
――何この放置プレイ。誰でもいいから早く来てくれないかなー。そしてご飯を恵んでほしい……できればステーキ。
誘拐された身でありながらそんなことを考える絵里。
さらに思考は明後日の方へと流れ……。
もしここにいるのが可愛い系の少年だったとしたら……。
彼の美貌に目を付けた貴族の男にさらわれ、恐怖に震える少年。
ニヤニヤと気持ちの悪い男の手が目前に迫ったその時!!
知り合いの騎士が助けに飛び込んでくる。
お互い好き合い、だけど年の差を気にして想いを伝えられなかった二人。
熱烈に抱き合い、思いのたけを伝え合う。
――なんて、なんて尊いの!
興奮が高まると共に鼻血が噴き出す絵里。
あの日、この世界に来てから全然変わっていない絵里。
深刻な状況のはずなのに妄想を爆発させて深刻さのかけらもない。
鼻血を出すところまで同じだ。
身動き取れない絵里は、鼻から垂れる血を拭うことができない。
たらたら流れる血が顎をしたたり洋服を汚す。
――弁償になったらどうしよう。
考えることがみみっちいというか場違いというか……。
*~*~*~*~*~*~*~*~*~*
流れ出る血が止まり、あちこちに付いた血が乾くころ、絵里のいる部屋の扉がようやく開かれた。
「あら、もう目覚めたのね」
床に倒れたまま顔だけ上げる絵里。
目に入ったのは、はちみつ色の髪の毛と真っ青な瞳が美しい少女。
そしてその背後に付き従う護衛だった騎士の男。
――この女の人が私を誘拐した黒幕……?
十人中九人が振り返るような美貌、そして尚且つ自分を誘拐した犯人であろう少女を前にして、絵里は平静そのものだった。
――黒幕が男で、その男のために護衛が犯罪に手を染めたとかなら萌えるけど……。女のために犯罪を犯すなんてテンプレかよ。白けるわー。
護衛の男に関してはどこまでも厳しい絵里である。
絵里がじっとして口を開かないのを、恐怖のあまり固まっていると思ったのだろうか。
「怖いわよね。でもあなたがいけないのよ。あんな本書いて、私を脅すんだもの」
歌うような口調で言う目の前の少女。
――……。え、この子何言ってんの? 何のことかさっぱりなんですけど。
絵里はというと、自分がなぜ誘拐されたかとか、そもそも少女は誰なのかとか、彼女が何を言っているのだとか全く理解できていなかった。
心の中ではポカーン状態だった。
いや、顔もポカーンとなった。
ものの見事なポカーン顔。
そのあまりの間抜け面っぷりに、目の前の少女は絵里が何も知らないのではないかと思った。
それほど見事なアホ面だった。
「えっと、あなたもしかして自分が何故誘拐されたか分かってない……?」
先ほどまでの悠然とした態度が嘘のように恐る恐る問いかける少女。
「はい、全然わかりません。まずあなたは誰ですか?」
きっぱりはっきり答える絵里。
両者の間に落ちる沈黙を破るように、存在を忘れていた騎士の男が口を挟む。
「ミラー様、この女の言うことは嘘です! 昨日この女は真犯人を知っていると言ったんです! 騙されてはいけません!」
絵里を睨みつけながらがなり立てる彼。
――いや、だから何の話だよ。こいつにそんなこと言った覚えないんだけど。いや、それより……。
「ミラーさんっていうんですね。それで、私を誘拐した目的は何ですか? もしかしてここってヴェリトス王国じゃないんですか?」
男が不用意にしゃべったせいで少女の名前が判明した。
キッと男を睨みつけるミラーと、しまったという顔をして縮こまる男。
「まあいいわ。ここはヴェリトス王国よ。なんでそんなこと思ったのかしら?」
「異世界からの送り人を手に入れたい他国の人間の犯行かと思って。でもだとしたらなおさら誘拐された理由が分からないんですけど」
――でもぶっちゃけ理由とかどうでもいい……。お腹が空いて死にそう。ご飯、ご飯、ステーキが食べたいよー。
緊迫した雰囲気の中、絵里の心の中は緊張感のかけらもない。
「ふぅー。どうやら本当になぜ誘拐されたか分かっていないようね。本の事も理解できてないようだし……お前の失態よ」
さっきの絵里の間抜け面で、彼女が何も知らないことが理解できたミラー。
間違った情報を伝えた男を強く睨みつける。
「これだからバカは嫌いなのよ。足を引っ張るしか能のない男って最悪だわ」
蔑むような視線を向けられた男はギリッと歯を食いしばる。
――こいつのせいだ。こいつのせいで俺はミラー様に嫌われた……。こいつさえいなければ……。
憎しみのこもった視線を絵里に投げかける男。
憎悪に揺れる瞳。
絵里も男も気が付かない――ほくそ笑む少女の顔に。
男が一歩絵里に近づく。
ゆっくり確実に近づいてくる。
激しい憎悪と明確な殺意を宿した瞳を見て、絵里は悟る。
――ああ。死ぬんだな。
恐怖はなかった。
ただ事実として死を認識した。
――あっけないな。
男が剣を振り上げた。
絵里はゆっくり目をつぶる。
瞼の裏に彼の顔が浮かんだ――ロベルトの顔が。
――なんだかんだこの世界に来て楽しかった。私を受け入れてくれた騎士たち。一緒にBL談義に花を咲かせたメイドたち。美味しい料理をふるまってくれた料理人たち。そして、いつも側にいてくれたロベルト。真面目な彼を尊敬してた。律儀に突っ込んでくる彼が面白かった。気にかけてくれる彼に感謝してた。……ありがとう。ちゃんと言葉にすればよかった。
閉じた瞳の外で刃の気配がしたその瞬間――!
ドカッという大きな音と共に扉が開け放たれた。
「王宮騎士だ! 動くな!」
力強い声に思わず目を開ける絵里。
そこにいたのは、純白の騎士服に身を包み、怜悧な青い瞳を怒らせたロベルト。
そしてその後ろに付き従う騎士たち。
――助けに来てくれた……。彼が、ロベルトが、みんなが。助けに来てくれた。
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