第六話
お読みくださりありがとうございます。
「綺麗です……とても美しいです、絵里さん」
着替えとヘアメイクを担当してくれたメイドたちがほうっと感嘆の息を吐く。
薄紫とシルバーのAラインタイプのドレスを身にまとい、黒髪もアップにして毛先をまいた絵里は、さながら夜の妖精のような繊細さと儚さがある。
お世辞ではなく本当に美しい。
こうして見る分には、普段のハチャメチャさ加減は鳴りを潜め、深窓の令嬢といった雰囲気を醸し出している。
多くの人が想像する異世界からの送り人のイメージにぴったりだ。
三か月という期間はあっという間に過ぎ、いよいよ今夜が夜会当日、本番。
絵里のお披露目パーティーだ。
着慣れないドレスに履き慣れないヒール、そして慣れない髪型。
鏡に映る絵里は普段とはまるで別人で、絵里は緊張の面持ちだ。
――なに、この美少女! え、やばっ! 私ってこんな可愛いんだ!
……と思ったら、緊張なんて微塵も感じず、自分の美しさに酔っていた。
さすが絵里。
最後に香水を軽く吹きかけられて完成だ。
ゆっくり優雅に歩く絵里。
――やばいー、このドレス高いよねっ! ヒールに引っ掛けたら弁償……!?
その内心は、お金の心配でいっぱいだった。
このドレスは王家からの支給品だ。
だからたとえ汚したり破損したりしたとしても、絵里が弁償する必要はない。
そもそも送り人である絵里は多少のやらかしは大目に見てもらえるのだが、そのことはすっかり忘れているようだ。
こういう変に偉ぶっていないところが皆に好かれる一因なのだろう。
「お待たせしました」
準備が終わるまでの間、部屋の外でずっと待っていてくれたロベルトにお礼を言うとともに、その姿にしばし見とれてしまう。
今日のロベルトは騎士服ではなく、漆黒の夜会服を着用している。
見慣れぬ黒が目新しく、新鮮だ。
――白い騎士服も素敵だけど、黒い正装姿もそそるわー。はっ、いけないいけない。今日はあんまり想像しないようにしなくちゃ。鼻血だしたら借金地獄だわ!
対するロベルトの方は、微動だにせず絵里を凝視している。
わずかに見開いた瞳が、彼が絵里に見とれていることを示している。
「可愛らしいな。天使のようだ」
思わずといったようにつぶやいたロベルトに、メイドたちが一斉に振り返る。
――ロベルト様が、あのロベルト様が可愛らしいと言うなんて……。
――天使のようですって!? ほんとにロベルト様の言葉!?
――どんな令嬢も一切褒めたことがないロベルト様が褒めた……!
メイドたち一同の内心は驚愕の嵐だ。
「ありがとうございます。ロベルト様も素敵です。カッコいいです!」
少し気恥ずかし気に応える絵里。
「そ、そうか」
お互いに褒め合ってお互いに照れていて、なんとも初々しい。
見守るメイドたちも生暖かい視線だ。
ちなみに今日のロベルトは城の警備は部下たちに任せ、王宮騎士団団長としてではなく、バートラム侯爵家長男として夜会に出席する。
さらには本日の絵里のエスコート役だ。
「今日はよろしくお願いします」
「ああ。では行くか」
ロベルトが差し出す腕に、習った通りにふわりと手をかける。
――手汗大丈夫かな……。
いまいち締まらないことを考えながら、絵里は夜会会場へと足を勧めた。
*~*~*~*~*~*~*~*~*~*
ファンファーレが鳴り、陛下に続いて絵里がしずしずと進み出る。
だだっ広い会場は、いまや溢れんばかりの人で埋め尽くされており、色とりどりのドレスや宝石が華やかだ。
集まった人たちは初めて見る異世界からの送り人に興味津々で、あちこちから一斉に注目された絵里は今度こそ緊張する。
注目を浴びることには慣れていない。
「大丈夫だ。俺が付いている」
隣に立つロバートのささやきに、絵里は柄にもなくときめいてしまった。
――あれ? 私、なんで自分が言われてときめいてるのかしら。
普段ならここぞとばかりにマックスとのカップリングを妄想する絵里は、自分の気持ちの変化に少し戸惑う。
だが、励まされたのも事実だ。
ロベルトの存在を感じたことで、絵里はようやく少し余裕を持つことができた。
――そうよ、せっかくの夜会。しっかり男たちの密やかな愛の世界をこの目に焼き付けなくちゃ!
自分が何のために夜会に参加しているのかを思い出した絵里は心の中で拳を握る。
ロベルトも、体の力が抜けた絵里にほっとする。
絵里が緊張しているのに気づき、とっさに励ましたロベルト。
――やはり絵里に緊張は似合わない。普段の自由にのびのびとした絵里が好ましいな。
三か月間絵里の行動に振り回され続けたロベルトだったが、どうやらこの三か月の間に心情の変化があったようだ。
二人はぴたりと寄り添い、陛下の紹介に背筋を伸ばして会場を見渡す。
絵里の凛とした姿に、広間に集まった者たちは例外なく感銘を受けた。
――なんと美しい。
――儚げでありながらあの凛とした佇まい……さすがは異世界からの送り人だわ。
どうやら絵里は好意的に受け入れられることに成功したようだった。
*~*~*~*~*~*~*~*~*~*
夜会会場は豪華絢爛の一言に尽きた。
キラキラと輝くシャンデリア。
センス良く配置された大輪の花々。
ずらりと並ぶ美味しそうな料理たち。
噂話に華を咲かせるご婦人たちや、政治の話で盛り上がる紳士たち。
身分の高い男性を狙うハンターのような令嬢たちや、美しい令嬢を吟味する令息たち。
この広い一つの空間で、数多くの物語が紡がれていく。
壇上から降りてもなお沢山の人に視線を向けられる絵里だったが、ロベルトがしっかりガードしているからか、話しかけられることはない。
男同士で固まる集団に無意識に近づきかけ、ロベルトに止められる絵里。
「頼むから、おとなしくじっとしていてくれ」
これでは絵里をガードするというよりも絵里から周囲をガードしているようだ。
そうこうするうちに楽団たちの演奏が始まり、ダンスをしたり壁際で話し込んだりと思い思いに過ごす人々。
「どうする、ダンス踊るか? それとももう少し後にするか?」
「もう少し後にします。それより、最初にあの美味しそうな料理を食べたいです! なくなったら大変だもの」
どうやら絵里の我が道を行くスタイルは健在のようだ。
「んーー! なにこれ美味しい、美味しすぎる」
思わず感嘆の声を漏らす絵里。
――見た目だけじゃなく中身も完璧だわ!
ローストビーフにこんがり焼き上げたチキン、魚のムニエル、マリネ、あまーいカボチャのスープやポテトフライなど、あれもこれもパクパクと頬張る。
するすると消えていく料理たち。
目の前に積み重なる空のお皿。
特訓の成果か、ナイフとフォークを扱う仕草は優雅で、異様な食欲以外は今のところボロは出ていない。
「ほどほどにしておけよ、後でダンス踊るんだからな」
ロベルトが注意するほど絵里の食べっぷりは見事だ。
四つ目の曲でようやく絵里は食べるのを止め、腰を上げた。
「そろそろダンスしましょうか」
ロベルトと絵里がダンスをしに広間の中央へ行こうとした、ちょうどその時。
どこかから突然、女性の悲鳴と何かが倒れる音、そしてガラスが割れる音が絵里たちの耳に飛び込んできた。
ざわめいていた人々も一斉に口をつぐみ、音の出どころへ視線を向ける。
奇妙なほど静まり返った空間で、一人の男性が床に倒れ、のどを抑えて苦しんでいる。
側には割れたグラス、そして食べかけの料理の皿が散乱していた。
一拍の後、騒ぎ出す人々。
宥める王宮騎士団員たち。
華やかな夜会は一転して、殺伐とした空気に包まれた。
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