第7話 気になって だから 気になって
前から歩いてくるのは、雁ヶ音日南とその取り巻き達だ。
正直、まだ会いたくなかった。
しかし気付かないフリをして立ち去るのは悪手だ。
万が一その様を奴らに見られた場合、これまで慎重に積みあげたものが一気に崩れ去る———
俺はスマホに顔を向けながら、奴らに向かって歩いていく。
視界の端に捉えていた日南は、予想していたより遠い距離で俺に気付く。
「啓介、あんた何その恰好」
その言葉に一斉に奴らの視線が俺に向く。
一瞬間があってから、連中の目の色が変わる。
興味———嗜虐———好奇心———
様々な感情を含んだ視線が俺の身体を這い回る。
思わず立つ鳥肌に、長袖を着ていることに感謝する。
俺は深く息を吸うと、何気なく日南に歩み寄った。
「やあ、日南。みんなでどこか行くの?」
日南はそれには答えず、俺の全身を無遠慮に見回す。
そして俺の帽子を取ると、嘲るように片方の眉を器用に上げる。
「……あんた、トリマー変えたの?」
あまりに見慣れたその光景に、むしろ安心した俺は柔らかな笑顔を見せる。
「ああ、いい腕しててね。彼、ブラッシングも上手なんだ」
一瞬の沈黙の後、緊張の膜を破って取り巻き達が笑い出した。
その内の一人、黒髪ストレートの女子が俺の髪をかき回す。
「わー! 犬くんモシャモシャじゃん!」
「うっわ、フワフワ!」
「ちょっと待って。止めてって」
苦笑いしながら女子の手から逃れていると、久木山とかいう男がイラついた表情を隠しもせずに手を伸ばしてくる。
「おい南原、何だよその髪。似合わねーって」
「だから、触んなって」
笑顔のまま、久木山の手をはたいて躱す。
———男にマウントはとらせるな。
Yu-noに散々言われた言葉だ。
——————
Yu-no『女子は そういうの良く 見てるんだよ?』
そうやって俺に偉そうなことを言った後は大抵、Yu-noはしんみりと一人語りを始める。
Yu-no『ちっぽけな世界の そんな順位なんて』
Yu-no『意味なんて ないのにね———』
Yu-no『だって君が一人いれば それでいいのに』
———
——————
面白がる女子の手をかい潜りながら、俺は日南の手から帽子を受け取る。
「ありがと。じゃあ俺、行くね」
どうにか上手くいった。
帽子をかぶってその場を去ろうとする俺の背に、険しい声が掛けられる。
「啓介」
———相変わらずの日南の口調。
そのつもりもないのに足が止まる。
「今からカラオケ行くから。あんたも来なさい」
「いいね。でもごめん、ちょっと先約があって」
「……は?」
俺が口にした途端、日南の瞳に火花が散る。
「私の用事と約束のどっちが大事なの?」
———刷り込みのようなものだ。思わず足が竦む。
俺は顔から血の気が引くのを感じながら、絞り出すように答える。
「どっちって……もちろん日南の方が大事だよ」
「……え?」
俺の返答が余程思いがけなかったのか。
日南の険しい表情が途端に崩れる。
それを見て、俺はようやく自分が息も忘れていたことに気付く。
「あ、じゃあ……」
「でも、約束は破れないんだ。悪い、今度埋め合わせするね」
俺は軽く手を合わせると、言い返す間も与えずにその場を立ち去る。
呆気にとられる連中の間から、再び起こる笑い声。
「ちょっと日南、これって浮気じゃない?」
「ワンちゃーん、戻ってきてあげてよ―!」
沸き立つ笑い声の中に日南の声は———聞こえない。
——————
———
Yu-no『wwwwwwwwwwww』
Yu-no『やっぱあの美容院 ウザかったかーwwwwww』
今日の顛末を俺が話している間、Yu-noはひたすら楽しそうに草を生やしていた。
Yu-no『店のインスタとか すごくウザくてさ』
Yu-no『これヤバいって 思ってたんだwwwwww』
Keisuke『わざと? わざと俺をあそこに行かせたの?』
Yu-no『男子でも入りやすそうな美容院って』
Yu-no『あそこしか見つけられなかったんだよ』
Keisuke『……まあ、そういうことなら』
Yu-no『それにさ』
Yu-no『あの女も あしらってやったんでしょ?』
……思い出した。
勢いで日南を軽くあしらったが、明日からどうなるか。
あのくらいで親まで出てこないとは思うが、それでも一応気を付けないと——
Yu-no『やるじゃん 君 やればできる子なんだよ?』
Keisuke『だといいけどね』
Yu-no『それでさ』
Keisuke『?』
Yu-no『アシピグって知ってる?』
唐突な質問に俺は流石に戸惑った。
アシピグとは若者の間で少し前に流行ったアプリだ。
確か2頭身のアバターを着飾って、他のユーザーと交流する———他に何ができるかは知らないが。
Keisuke『知ってるけど 使ったことないな』
Yu-no『最近始めたの 君も やらない?』
……え?
2年間、Re-liance上での交流しかなったYu-noが。
そのYu-noからゲームの外の世界に誘ってくれたのか?
Keisuke『もちろ』
Keisuke『ごめん 途中で送った もちろん 喜んで』
……カッコ悪い。
俺はモニターの前で天井を仰ぐ。
Yu-no『パソコンの前 だけじゃなく お話しできたらなって』
Yu-no『スマホなら 君といつでもお話し できるでしょ?』
嬉しい言葉に顔のにやけが止まらない。
俺はアプリのインストールを待ちきれずに、キーボードを叩く。
Keisuke『インストールしたら アバターの設定すればいい?』
Yu-no『あのね 君のアカウント』
Yu-no『もう作ってあるの』
ウィンドウにせり上がってくるユーザーIDとパスワード。
Keisuke『あ そうなんだ』
Keisuke『俺の アカウントを 君が?』
Yu-no『うん 待ちきれなくて』
どことなく違和感を感じながらも、上手く説明できない内にアプリのインストールが終わる。
もらったIDとパスワードを入力すると、二頭身の可愛らしいアバターが現れる。
Keisuke『これでいいのかな 名前もKeisu』
打ちかけて、思わずそのままEnterを押してしまう。
……スマホの画面に現れたアバターは茶色の髪をした男の子の姿をしている。
グレーのジャケットとパンツ、頭には帽子を被って———あれ、これって。
Keisuke『アバターの格好 Yu-noが?』
Yu-no『作ったの 想像して 暇だったから』
俺は思わず壁に掛けた洋服を振り返る。
アバターの服装———今日の俺の格好と瓜二つだ。
Keisuke『待って この格好 どうして』
Yu-no『Keisukeが どんな人なのかなって』
Yu-no『想像してたら こうなった』
……モニターの前で固まる俺。
口がカラカラに乾いていることに気付いた俺は、勢い良くペットボトルの水をあおった。
Yu-no『……びっくりした?』
Keisuke『え?』
Yu-no『お洋服の明細が届いて』
Yu-no『君が選んだの どんな服かなって 気になって』
Yu-no『気になって だから』
Yu-no『気になって ググっただけだから』
……そう、なのか。
口元を拭うと、俺はキーボードに手を伸ばす。
Keisuke『だよね ホント ありがとう』
Yu-no『えへへ』
Yu-no『嬉しい』
Yu-no『私は 君が喜んでくれたら それで いいの』
Keisuke『ありがとう でも無理は しないでね?』
Yu-no『それで いいの』
Yu-no『それだけで いいの』
……何を答えていいのか分からずモニターの前で固まる俺の目に、再びYu-noのメッセが流れ込む。
Yu-no『今日はKeisuke』
Yu-no『あの女 突き放して くれた』
あの女……日南の事かな。
確かに今日、俺は日南の言うことを聞かずに適当にあしらった。
その時の見たこともない日南の表情と、取り巻き達のあの空気———
Yu-no『少し かわいそうだな とか』
Yu-no『思い始めてる?』
Keisuke『まさか!』
……俺は図星を付かれた気がして、思わず強い言葉を放つ。
Keisuke『あんな女 どうなったっていい』
そう答えながら、自分自身の望みが何なのか、改めて自分に問いかける。
……日南に復讐すること?
……自分を変えること?
それとも大事な誰かを———
Yu-no『そう よかった』
……知らぬ間に陽は沈み、薄暗い部屋の中にモニターだけがぼうっと光っている。
文字そのものに想いが込められるのだとしたら。
多分、きっと。
この時俺が感じた何かは、気のせいでは無いのだろう———
Yu-no『あの女』
Yu-no『ちゃんと 制裁』
Yu-no『しようね?』




