第15話 溶ける記憶
それから数日。
Re-lianceからYu-noの姿が消えた。
一緒に遊べないと言われていたので覚悟はしていたが、どことなく感じる虚脱感。
俺は素材集めのクエストを周回しながら、Yu-noからの連絡を待っていた。
途中一度アメピグの方でメッセージが来ただけで、彼女のいない生活になんとなく慣れ始めた頃。
静まり返る部屋の中、無感情にマウスを握っていた頭の靄を、スマホの着信音が払った。
慌ててスマホを手にする。
画面に表示された名前は“夜縁”。
一瞬迷いながら通話ボタンを押す。
「もしもし?」
『……こんばんわ』
スマホから流れてきた声は少し不機嫌そうだ。
「夜縁ちゃん、どうしたの?」
『電話、かけてくれるんじゃありませんでした?』
……?
俺は数日前の記憶を掘り起こす。
Yu-noとDMのやり取りをしている時に夜縁から電話があり―――
―――明日かけ直す。
確かに俺がそう言った。
「ごめん! ちょっと最近取り込んでて」
パソコンの画面には、惰性の周回プレイ中のRe-liance。
見えてるわけではないのに、思わずマウスから手を放す。
『ふうん……その割には随分と焦ってるね』
「えっと、ごめんね。なにか急ぎの用だったかな?」
返ってきたのは沈黙。
俺は息を潜めて夜縁の返事を待つ。
『……その焦りに免じて、許します』
スマホの向こうから聞こえるクスクス笑い。
俺はホッとして椅子の背もたれに体重を預ける。
「ありがと。今度埋め合わせをするよ」
『じゃあさっそくお願い。週末、空いてますか?』
―――週末。
Yu-noが用意しているというシークレットイベントが気にかかる。
恐らく日中なら問題ないだろうが―――
空回りする頭の中に、夜縁の緊張気味の息遣いと髪がスマホに触れるガサガサ音が入り込んでくる。
きっとスマホを顔にピッタリつけて、俺の答えを待っているのだろう。
「昼間なら大丈夫だと思うよ。おうちに行けばいいのかな?」
『ううん。杜の里グリーンパーク、一緒に行ってくれませんか?』
杜の里グリーンパーク。
懐かしい名前を聞いた。
今となっては珍しい、昔ながらの遊園地だ。
小学校に入った頃、家族で行った覚えがある。
ちらりとパソコンのモニターを眺める。
Yu-noがログインをしていないのを確認する。
「俺は構わないけど。他に誰か来てくれるのかな」
『野々原さんが車を出してくれるの。光枝さんも来てくれるわ』
介助に慣れた二人の大人が同伴。
じゃあ俺の役割は彼女の話し相手といったとこか。
……それからしばらく当日の待ち合わせの話をしたが、済んでも夜縁の話は終わる気配が無い。
『―――あのね、付き添いがいれば観覧車も乗せてくれるんだって。他にも車椅子で入れるアトラクションがあって』
「うん、そうなんだ」
俺は夜縁の楽しそうな喋り声を聞きながら、ぼんやりとモニターを見つめ続けた。
今日もYu-noはRe-lianceにログインをしていない―――
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俺は後部座席に乗り込むと、ドアを閉める野々原さんに軽く頭を下げる。
「お兄ちゃん、おはよう」
「おはよう、夜縁ちゃん。今日はよろしくね」
「こちらこそ! お兄ちゃん、晴れて良かったね。それでね、夜縁色々調べてきてね、休日はパレードがあるから、それが見たくてね」
車の中で待ち受けていた夜縁は矢継ぎ早に喋りながら、熱っぽく興奮した瞳を俺に向けてくる。
余程楽しみにしていたのだろう。胸には読み込んだガイドブックを抱いている。
「じゃあ、今日は夜縁ちゃんの行きたいとこ全部行こう。ただ、今からあんまりはしゃぐと、着く前に疲れちゃうよ?」
「だよね。でも、もう遅いかも」
夜縁は小さな手で口を覆う。
手と同じく小さな欠伸が指の間から漏れる。
「―――楽しみで昨日、よく眠れなかったの」
「じゃあ、少し眠るといいよ。着いたら起こしてあげる」
「でも、せっかくお兄ちゃんと一緒に居るのに。もったいないな」
「遊園地で寝ちゃう方がもったいないよ。お話だけならいつもできるから」
夜縁はしばらく不貞腐れたような顔をしていたが、眠さには勝てないのか。
「……うん、分かった」
素直にそう言うと、もう一度欠伸をしてから俺に手を差し出してくる。
「寝るから……手、繋いで?」
「いいよ、お休み」
夜縁の小さな手を握る。
夜縁は安心したような表情を浮かべると目を閉じる。
夜縁のブラウスはシックな花柄だ。
胸元にふんだんに使われているフリルや、肩から手首にかけての手の込んだラインといい、俺が行くような店で買える代物ではない。
……Yu-noにもらった服を着てきて良かった。
少し迷ったが正解だった。
夜縁をエスコートするのに、いつどこで買ったか分からない服という訳にはいくまい。
今日の格好は、店でコーディネートしてもらった服装の二組目。
茶系をベースにした襟シャツとカーディガンの取り合わせだ。
店の人はこのカーディガンはアウターでも使える―――とか言ってたが。
そもそもカーディガンって外で着ちゃ駄目とかあるのか……?
まあ、服についてはこれでいい。
後は園内をどうやって車椅子で回るかだ。
取り出したスマホの通知を確認。Yu-noからの連絡は無い。
寂しさと安堵の混じった気持ちでスマホをしまうと、早くも寝息を立てだした夜縁の横顔を見る。
色白で整ったその顔は、更に昔の日南に似てきた。
姉妹だから当然とはいえ、見ていると中学に上がったばかりの4年前を思い出す。
―――俺は浮かんだ記憶を打ち消すように首を振る。
今日は昼間だけでも夜縁のために使ってやろう。
夜縁の小さな手の感触を感じながら、俺も目を瞑った。
―――
――――――
10年ぶりの遊園地は、記憶の中より随分と小さく感じた。
子供の頃、母が止めるのも構わずに通り抜けた入園ゲートは、今となっては手を伸ばせば天井に届きそうなほど小さく古ぼけている。
当時は異世界に繋がる巨大な門を潜ったように、気分が高揚したのを覚えている。
俺は身を乗り出す夜縁を宥めながら、車椅子を押してゲートを潜る。
入園した先は広場になっていて、マスコットキャラの“海老ネコくん”が入場者を歓迎している。
「ねえ、一緒に写真撮っていい?」
「ああ、並ぼうか」
待ちきれないのか自分で車椅子を漕ぎ出す夜縁について行く。
「じゃあ光枝さん。何かあったら電話するから、また後でね」
撮った写真をニヤニヤと眺めつつ、夜縁は光枝さんに手を振る。
そのまま立ち去る光枝さんの後ろ姿に、俺は思わず目を丸くする。
「夜縁ちゃん、光枝さんは一緒じゃないの? 野々村さんは?」
「今日はお兄ちゃんと夜縁の二人で回るんだよ。言ってなかったかな?」
「初耳だよ! 俺、そんな自信無いって」
夜縁の介助は一通り手伝ったことはあるが、最近はすっかりご無沙汰だ。
いつからか。夜縁に異性を感じ出した頃から、身体に触れることは避けてきたのだ。
「夜縁も中学生だよ。昔より出来ることは増えてきたの」
夜縁は不意に大人びた表情になると、車椅子を押す俺を見上げるように振り返る。
「手伝ってもらわないと出来ないことは多いけど、一人で出来ることを少しずつ増やしていきたいの。二人がいたら、甘えちゃうから」
「でも、俺一人で大丈夫かな」
「大丈夫、二人とも園内に居るから、呼んだらすぐに来てくれるよ」
不安そうな俺の表情を見て、夜縁は面白がるように笑う。
「お兄ちゃん心配性だなあ。さっきもらったマップに車椅子で通れるルートや施設も書いてあるし。こういったことに関しては、お兄ちゃんより夜縁の方が先輩だよ?」
そうまで言われては折れる他無い。
不安はあるが、今日は夜縁に付き合おう。
「分かったよ。じゃあ、どこから行こうか」
「あのね、ミラーハウスが車椅子でも入れるようになったんだって。最初にそこに行きたくて、それでね―――」
「分かった分かった。じゃあまず、そこに行こう」
「今日は行けるとこ全部回るんだからね? お兄ちゃん、覚悟してね」
「了解。覚悟しましたよ、お姫様」
俺は笑いながら車椅子を押して遊歩道を進む。
心の底から楽しそうな夜縁の態度に、俺の気持ちも軽くなる。
彼女の為に俺も今日は笑顔でいよう。
「ミラーハウスを見てね、それでね、その次は―――」
喋りながら地図を眺めていた夜縁が、ふと言葉を切る。
「夜縁ちゃん、どうしたの?」
「―――その前に屋外のイベントステージに行きたいの」
「イベントステージ?」
俺は夜縁の手元を覗き込む。
園の奥、芝生広場の先に大きな野外ステージがある。
「いいけど。今日は何もやってないんじゃないかな」
「久しぶりに見たいだけなの。自分の記憶がどこまで本当か確かめたくて」
「ああ、ここに来たことあるんだ」
何気なく返した言葉に、夜縁の返事は無い。
前方から来た小さな男の子が母親の手を振り払い、車椅子に駆け寄ってきた。
「これなーに?」
青い顔をして駆け寄る母親を手で制すと、夜縁は男の子に微笑みかける。
「カッコいいでしょ。お姉ちゃんの車だよ」
「うん。乗っていい?」
「これ、お姉ちゃんしか乗れないの。あっちに君が乗れるカッコいい車があるから、ママに連れて行ってもらってね?」
夜縁が頭を撫でると、男の子は照れたのか母親の足にしがみつく。
ひたすら謝る母親に連れられていく男の子と手を振り合いながら、夜縁が話し出す。
「……あの子と同じくらいかな。私がテレビに出始めた頃だから、4才だったと思う」
夜縁が車椅子を漕ぎだす。
俺はハンドルに手を添えて、夜縁に合わせてゆっくりと押していく。
「ここのイベントに出演した時のこと。今でも覚えてる」
誰かとすれ違うたびに夜縁は言葉を切る。
すれ違う人はみな最初は車椅子に視線を送り、次に夜縁の顔を見て驚きにも似た表情を受かべる。
中学生にも関わらず、人目を惹くその美貌―――そして、だからこその憐憫。
―――あんなに可愛いのに可哀そう
通りかかった一人は確かにそう言った。
夜縁に聞こえていないのを祈りつつ、俺は少しずつ足を速める。
「テレビとかに出始める前に受けた仕事だったから、楽屋でママがずっと文句言ってたの覚えてる」
夜縁はもう漕ぐのをやめて、俺に運ばれるままになっている。
「……昔の記憶がね、どんどん薄くなっていくの」
夜縁は深くうつむいた。
「そのたびに思い出そうとするんだけど。繰り返す内に、それが本当のことだったのか、私の想像か分からなくなってきて。あの頃、ママとお姉ちゃんとずっと一緒ですごく楽しかったから―――」
夜縁は顔を上げる。
この先、芝生広場の周りの遊歩道を抜けたところが、野外ステージだ。
「―――もう一度、見てみたいの」




