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異世界から来た聖女のせいで鉱山送りになった元宰相令息に「お飾りの夫になってください」と頼んでみた  作者: 円夢


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9/11

9.

 ガゼボでの撮影が終わるころには、短い冬の日はすでに傾きかけていた。

 灰色の雲が太陽を覆い隠し、吹く風は次第に冷たさを増している。


「そろそろ屋内(なか)に入りましょう。このままでは皆、風邪を引く」


 俺は急いで自分の黒い膝丈の長上着(ジュストコール)を脱ぐと、ロイスナーの肩に着せかけた。


 ――カシャシャシャシャシャシャ!


 すかさず魔石カメラの連写音が響き渡る。

 同時にメイエの「無理」とか「しんどい」という声が聞こえてきたところを見ると、冬の屋外での撮影は、プロの写真家にとってもきつかったに違いない。


「後片づけは俺………私がします。メイドの皆さんも早く中へ」


 あたりは急速に暗くなり、小雪がちらつき始めていた。

 ただでさえ、うちのメイドや従僕は年配者が多いのだ。暗がりで足を滑らせて怪我でもしたら目も当てられない。

 

「先輩! そんな薄着じゃ風邪をひきますよ!」


 心配そうなロイスナーの声に「大丈夫だ」と笑い返す。

 真冬の吹き曝しの採掘場に比べれば、このくらい何ということもない。


 ガゼボと屋敷の間を往復しながら花器やティーセット、クッションなどを片づけていく。ついでにメイエの撮影道具も室内に運び込んだ時には、すでに日はとっぷりと暮れ落ちて、暖炉では火が赤々と燃えていた。


「くうっ、残念! 予定では夕暮れの大広間でダンスのシーンもたんまり撮るはずだったのに!」


 盛んに悔しがるメイエを、ロイスナーが苦笑しながら宥めている。

 

「まあまあ。もともと時間的に無理があったんですから。……あ、先輩。上着をありがとうございました。暖炉の前で乾かしておきましたよ」

「すまない。手間をかけさせて……っと」


 ロイスナーに声をかけられ、振り向いた拍子に眩暈がして足がふらついた。


「先輩?」

「ああ、いや、何でも……。それよりこの部屋、妙に寒くないか? もう少し暖炉に火を足したほうが――」


 そう言った俺の声はひどく掠れていた。室内に入ったのに一向に寒気が引かず、さっきから喉が焼けつくようにひりひりしている。


「やだ、この人熱があるんじゃない? 顔が真っ赤よ!」

「先輩、ちょっとこっち向いて!」


 ロイスナー達はまだ何か言っていたが、俺は急激に押し寄せてきた暗闇に吸い込まれるように目を閉じた。


 ◇◇◇


 ――なあ。お前んとこの生徒が、俺の事務所に来てんだけど。働かせてくれっつって。


 生徒会室にいた俺のもとに、王都で会計事務所を営む従兄から第一報が入ったのは、入学式の翌日だった。

 何事かと思って出向いてみれば、そこにいたのは、先月の入学試験以来、学内をざわつかせている天才児――フェイオーナ・ロイスナー子爵令嬢だった。


 僅か十三歳にして入学試験を全科目満点、堂々の首席入学を果たした少女は、しかし、子爵家の娘とは到底思えないほどみすぼらしい姿で、礼儀も所作もからきしなっていなかった。


 それでも、その藤の花(ウィステリア)のような薄紫の瞳に宿る知性の輝きは本物で。

 言葉遣いはめちゃくちゃでも、思考の明晰さと理解の早さは、俺と同学年の級友たちさえ遥かに凌ぐものだった。


(面白い)


 偶然、道で見つけた宝石。手つかずの貴重な人材を手に入れるチャンスを前にして、俺は胸を躍らせた。


「そんなに仕事がしたければ生徒会に来い。ちょうど会計の席が空いている」


 まずは身近に囲い込もう。将来的に、俺の派閥に入れるために。

 王立学院の生徒にとって、生徒会役員の地位は垂涎の的だ。今期の生徒会長は王太子殿下。その周囲を固めるのは、いずれも殿下の側近候補で高位貴族の子どもたちばかり。今のうちに縁を繋いでおけば、将来的に得られる利益は計り知れないものがある。


 ――が。

 当然、尻尾を振って飛びついてくると思いきや、彼女の答えは予想外のものだった。


「嫌ですよ。生徒会なんてタダ働きじゃないですか!」


 一瞬、俺はフリーズした。タダ働き? 賃金が支払われないという意味か。当然だ。よほどの事情(こと)がない限り、貴族は自分で金を稼いだりしない。それは平民のすることで、貴族にとっては恥ずべき賤しい行為だからだ。


「……高貴な者の義務(ノブレスオブリージュ)という言葉を知らんのか」

「知りませんね。高貴な者の暮らしなんて、十年以上させてもらっていませんし」


 よくよく話を聞いてみれば、彼女は子爵家の跡継ぎでありながら、母親の死後は自分の屋敷で使用人以下の扱いを受けているという。


(そういえば……)


 ハンス・ロイスナー子爵とその妻とは、街中で一度だけ出くわしたことがあった。

 愛人上がりの若い妻を着飾らせて(やに)下がる中年男と、所かまわずけたたましい声で喋り散らす品のない女。


 不審に思って調べてみれば、ロイスナー嬢の話に嘘はなく――。どころか、単なる継子いじめでは済まないほどの虐待ぶりに、調査を依頼した若手の法務官も言葉を失う有様だった。


 しかも。


 一体どこから聞きつけたのか、娘が生徒会に勧誘されたことを知るや、ロイスナー子爵は厚顔無恥にも、「実は試験に合格したのは、このマリアンヌのほうでして」と、後妻の娘を連れて学院に乗り込んできたのである。

 正妻の遺児であるロイスナーと、後妻の娘マリアンヌはどちらも十三歳。マリアンヌの瞳と髪色は父親譲り、顔立ちは母親そっくりで、どう見ても妻の生前から不貞があったことは明らかだった。


「反吐が出ますね」


 同席していた法務官、ルイスが小声で吐き捨てる。


「まったくだ。……で、ロイスナー卿」

「どうぞ、ハンスとお呼びください」

「ハンス殿。今回入学試験を受けたのは、本当にそちらのマリアンヌ嬢で間違いありませんか?」

「はい。私に似て非常に聡明な娘で」


 おいおい。こいつ今「私に似て」と言ったか? 自ら不貞があったことを認めたぞ?

 隣でやり取りを記録しながら、ルイスも失笑を洩らしている。


「では一応確認させてください。《ご令嬢、我が国の先々代の国王陛下はどなたですか?》」


 わざと手許の書類に目を落としたまま、大陸共通語で質問する。

 果たして、マリアンヌは椅子に座ったまま退屈そうに爪をいじっているばかりで、質問に気づいた様子はない。代わりに、ハンスが慌てて口を開いた。


「すみません。その、娘には共通語の家庭教師はまだつけておりませんで」

「そうですか? 妙だな。お嬢さんは共通語の入学試験でも満点を取られていたのに。では我が国の言葉でもう一問。――マリアンヌ嬢。先代の聖女が我が国に(もたら)したものを年代順に挙げてください」


 マリアンヌは、ここへ来てようやく顔を上げ、父親そっくりの青い瞳を見開いた。


「先代の聖女? え、何それ知らない。そんな人いたの?」


 ハンスがひゅっと息を呑み、いたたまれないような沈黙が部屋を支配する。


「……ハンス殿?」


 俺はことさらゆっくり問いかけた。


「………は、はい……」

「失礼ながら、ご息女の今の学力では、首席合格は到底のぞめないようですが?」


 というか、この様子では合格点に達することすらおぼつかない。もちろん、彼女はまだ十三歳。正規の就学年齢である十六歳までは、三年間の猶予があるわけだが……。


「あっ……いや、その。これはですね。これにはいろいろ事情がありまして」


 滝のような脂汗をさかんにハンカチで拭いながら、ハンスが見苦しく言い訳し始める。


「事情ではなく犯罪ですね」


 それをばっさり切り捨てたのは、ルイス法務官だった。


「入試に関する虚偽の申請。子爵家の正当な跡継ぎたるフェイオーナ嬢に対する虐待および育児・教育の意図的な放棄。マリアンヌ嬢に関しては、後妻の連れ子のはずが、いつの間にか嫡出子として届けられており、これは文書偽造および家督簒奪未遂罪に該当します。そうそう、本来フェイオーナ嬢に引き継がれるべき資産を大量に売却し、その代金を着服したので横領罪も適用されますね」


 ルイスと彼の妹ローザと俺とは幼馴染だ。二人の母親が俺の乳母だった。ちなみに父親は法務大臣を務めるゴーチェ伯爵で、長男のルイスは現在、法務局に勤める傍ら大臣の仕事を補佐している。


 そのルイスの働きにより、元ロイスナー子爵夫妻は仲良く懲役刑。マリアンヌは両親の犯罪にこそ直接関わってはいなかったものの、義理の姉に対する度を越した虐待が問題視され、修道院に送られた。


(よし。これでようやくあの天才が手に入る)


 俺は嬉々として朗報を――正当な身分に返り咲いたことをロイスナーに伝えたが、その後いくらも経たないうちに、彼女はさっさと爵位と領地の返上手続きを始めてしまった。


「待て待て待て! 何でそうなる!」

「だってよくよく調べたら、うちの領地も子爵家も破産寸前じゃないですか。こんなの、私一人じゃどうしようもありませんて」


 普通に考えればその通りだ。

 その通りだが――……。


「領地も爵位も手放せば、お前は無一文だぞ。それでどうやって生きていくつもりだ」

「働きますよ」


 当然、という顔でロイスナーは言い放つ。


「メイド仕事は一通り身についてますし、読み書き計算もできますからね。どこかの家か商店に住み込みで雇ってもらえれば、私一人の食い扶持くらいどうにでも……」

「ばっ……!」


 馬鹿な。この才能をみすみす逃してなるものか。

 いや、もっと悪いのは、彼女が勤め先でその才能を見出され、他の誰かに取り込まれてしまうことだ。


「……平民落ちするのは勝手だが、領地を返上するのなら、最低限の体裁は整えてからにしてもらおう」


 咄嗟に適当な理由をつけてロイスナーを引き止めた俺は、その足で師匠のコルベールに相談しに行った。


「ロイスナー? ……ああ、この前サロモンの会計事務所に転がり込んできたっていう小娘か」

「そうだ。あの才能を手放すのは惜しい。何とか平民落ちを防げないか?」

「ふうむ」


 師匠はしばらく無言でルイスがまとめた調査資料に目を通していたが、やがて「いいだろう」と頷いた。


「その娘、サロモンとはもう顔見知りなんだろう? なら会計は引き続き奴に見てもらえ。領地のほうは俺が何とかする」


 会計士のディディエ・サロモンは俺の父の弟の息子だ。次男のため家督は相続できず、早々に母方のサロモン姓を名乗って町で会計事務所を開業した。

 ロイスナーが王都に仕事探しに下りた時、真っ先に頼った先がこの従兄の事務所で本当に良かった。王都は治安が比較的いいとはいえ、貴族の少女がたった一人で出歩くなど、よくまあ危ない目に遭わずに済んだものだと思う。

 そう言う俺に、ロイスナーは馬鹿にしたように鼻を鳴らした。


「王都の一人歩きなんて、別に初めてじゃないですし。市場に行けばスリなんてうじゃうじゃいるし、路地に引っ張り込まれそうになったことだって一度や二度じゃありません」


 そんな時に助けてくれたのが、偶然通りかかったサロモンだったという。


「サロモン先生は、市場の人たちの間でも評判がいいんですよ。税金のことや、出店料で困った時はよく相談に乗ってくれるって」

「…………」


 彼女の過去を知るたびに、俺は胸を衝かれて黙り込む。

 俺よりずっと年下なのに、俺より遥かに苛酷な生を生きてきた彼女は、それでも凛として強かで。

 その姿は、なぜか俺の胸を奇妙に騒めかせるのだった。

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― 新着の感想 ―
前話のガルウィンの明るい話し方が、第一話の彼の悲惨な死を際立たせる 今回も現在と過去を絡めながら進められているのが面白いです
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