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異世界から来た聖女のせいで鉱山送りになった元宰相令息に「お飾りの夫になってください」と頼んでみた  作者: 円夢


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7/11

7.

 その日は昼から来客があるというので、ロイスナー領のマナーハウスは朝からざわついていた。

 子爵家から伯爵家に格が上がっても、この家の使用人は相変わらず少ない。

 女当主のロイスナーが社交を好まず、茶会や夜会のような催しもほとんど開かないからだ。


 それでも十年前は見なかった顔がちらほら混じっているのは、当時すでに老齢に差し掛かっていた者達が引退し、その分を新たに雇い入れたからに違いない。


 今日から俺は代官兼家令を務めるコルベールの後釜として、ロイスナー家から支給されたお仕着せを着用し、コルベールの指示に従って邸内を動き回っていた。


「客の名前はジーン・メイエか。………過去の来客記録に名前はないな」


 ということは今日初めて来る客だ。


「いや、待てよ。この名前、何となく聞き覚えがあるような……」


 しばらく頭をひねったものの、思い出すことはできなかった。

 貴族名鑑にも載っていないところを見ると平民か。ロイスナーの商会と取引のある業者……あるいは新規の顧客かもしれない。

 いずれにせよ、時間的に茶菓か昼食か、場合によっては夕食も出すだろうから、どの程度のランクのものにするか、前もってロイスナーに確認しておく必要があった。


 午前中のこの時間、いつもならとうに執務室にいるはずのロイスナーは、今日にかぎってまだ私室にいるという。

 白手袋を嵌めた手で、俺は彼女の部屋のドアをノックした。

 ドア越しにくぐもった彼女の声が「どうぞ」と答えるのを待って入室する。


「失礼します。本日の昼食ですが――……」


 言いかけた俺は、次の瞬間息を呑んで固まった。

 全身が映る鏡の前でこちらを振り向いたロイスナーは、ミルクティー色の髪を高く結い上げ、その瞳と同じ淡い紫のイブニングドレスに身を包んでいたのだ。


 いつもより濃い目の化粧を施した顔に、華奢な肩を惜しげもなく見せるオフショルダーのデザイン。肌にはたいた真珠のパウダーが、朝の光にきらきらと輝く。


「あ、先輩。おはようございます。朝っぱらからこんな格好なんて変ですよね」

「い……いや。変ではないが」


 俺は慌てて目を逸らす。

 何の心構えもしていない時に、いきなり目に飛び込んできた彼女のデコルテは、何というか……その、かなりの破壊力だった。

 ロイスナーが、こてりと首を傾げる。


「変ではないが?」

「あー、その。……うん。派手だな」


 その途端、部屋の温度がすっと下がった気がした。

 見れば、ロイスナーの着付けを手伝っていた侍女たちが、一様に責めるような眼差しをこちらに向けている。さらに、いつからいたのか、壁際に控えていた師匠(コルベール)までが呆れ顔で俺を見ていた。


(お前なあ。いくら何でもそりゃねえわ)


 目が合った師匠が、口の動きだけで伝えてくる。

 ただ一人、ロイスナーだけがいつもの調子で「あはは」と笑った。


「ですよねえ。や、実は今日は肖像写真の撮影がありまして。知り合いの写真家(フォトグラファー)さんがわざわざ王都から来てくださるんですよ」

「肖像写真?」


 言われてみれば、俺が採掘場にいる間に写真の技術もかなり進んだようだった。以前は挿絵といえば銅版画か手書きの風刺画だった新聞にも、今や当たり前のように写真が使われている。

 貴族たちが画家を雇って描かせていた肖像画が、肖像写真に取って変わられる日も、この分ではそう遠くないのかもしれない。


「正装姿のポートレートを何枚かと、あとは衣装を変えてスナップ写真も撮るそうです。撮影は夕方までかかるので、今夜は泊っていただくことになるでしょう。客室は西側に用意したので、後で厨房に言って撮影中も摘めるような軽食と夕食、明日の朝食を出してもらうようにしてください」

「承知しました」


 客室の場所を聞けば、出すべき食事のランクもわかる。

 西側の客室は平民の中でも比較的裕福な取引先や、下位貴族のための部屋だ。

 俺は一礼して部屋を後にした。

 なぜか相変わらずこちらを睨みつけている侍女たちの視線が背中に痛い……。


 ◇◇◇


 ジーン・メイエは約束の時間ぴったりに現れた。

 タキシードをアレンジしたような黒のジャケットに、やはり黒の細身のパンツ。髪を短く切り揃え、男物の武骨な旅行鞄を提げた彼女は、王国初の女性写真家として、あちこちでひっぱりだこだという。


「ジーン・メイエ様ですね。お待ちしておりました」

「…………」


 玄関ホールで出迎えた俺を見るなり、ジーンは驚いたように目を見開いた。


「失礼ですけど、あなた、お名前は? どこかでお会いしたかしら」

「ルブランと申します。お会いするのはこれが初めてかと」


 ルブラン()という偽名は自分でつけた。

 廃嫡された俺はもはやサディアス姓を名乗れないし、本名のヴォルフやセカンドネームのイアサントでは、すぐに身許が割れてしまう。

 俺はあくまで影に徹してロイスナーを手助けすると決めていた。


 まだ釈然としない様子のジーンを、ロイスナーの待つ客間(サロン)に案内する。

 互いの顔を見るやいなや、二人の女性は歓声を上げて抱き合った。


「フェイ! 会いたかった!」

「私もですよ、()()()()。元気そうで何よりです」

「あなたったら、あちこち飛び回ってばかりで全然捕まらないんだもの。ああ、もっとよく顔を見せてちょうだい。しばらく見ないうちにすっかり綺麗になって!」

「……そんなことないですよ」


 ロイスナーがふいに顔を曇らせ、なぜかちらりと俺を見る。

 ジーンはそんなロイスナーと俺を見比べると、すっと職人(プロ)の顔になった。


「では、早速ですが撮影に入ります。まずは立ち姿と椅子に座ったところを角度を変えて何枚か。それから衣装を変えて、日のあるうちにお庭のショットを先に撮ってしまいましょう。たしか、こちらのお屋敷には小広間がございましたよね? 屋内の撮影はそちらをお借りしますので、ご準備をお願いいたします」


 ◇◇◇


 画家を招き、何日もかけて描き上げる肖像画に比べれば、はるかに短時間で済むとはいえ、写真の撮影もそれなりに大変だった。


 大型の魔石カメラと三脚以外にも、俺にはよくわからない様々な撮影機材を縦横に駆使しながら、侍女に化粧直しまでてきぱきと指示するジーンは、なるほど王都でも指折りと言われるだけのことはある。


 やがて昼食時になると、正装姿を撮り終えたロイスナーは、服を着替えにいったん自室に引っ込んだ。


「屋外の写真はお庭のガゼボで撮らせていただきます。テーブルにお茶の用意をして、テーマは『ティータイムを楽しむ貴婦人』ということにいたしましょう」


 なるほど、いろいろ工夫をするものだ。

 感心しながら厨房に指示を出しに行く途中、廊下を歩いていた俺は、侍女たちの興奮した話し声に足を止めた。


「……ていうか、ひどくありません? お嬢様があんなに頑張っておめかししたのに!」

「まったくねえ。うちのぼんくら亭主だって、もう少しましな誉め言葉を言いますよ。それを何ですか、『変ではない』だの『派手』だのって! あれではお嬢様があまりにお可哀想です!」

「メイエ様もお困りでしたよ。『いい写真を撮ろうにも、笑顔に翳りが出てしまっている』って」

「ポンコツにもほどがありますね」

「まったくです」


(――マジか)


 思わず採掘場で覚えた平民言葉が出てしまう。

 俺か? 俺が悪いのか?


「そうだな。裁判沙汰なら10対0でお前の有罪だ」

「……っ! 師匠!」


 頭を抱える俺の前に、いつの間にやら師匠が腕組みをして立っていた。相変わらず神出鬼没な男だ。


「まぁお前、昔からそっち方面はポンコツだったしな。もういい。お前は何も考えず、あの写真家の嬢ちゃんの言うとおりにしとけ。いいか。間違っても本職の指示に逆らうんじゃねえぞ」

「…………」

「返事は」

「……わかりました……」


 各方面からポンコツの烙印を捺された俺に、そうする以外何ができただろう……。


 ◇◇◇


 昼食をはさんで再開された撮影は、予定通り庭のガゼボで行われた。

 ロイスナーは先ほどの正装とは打って変わり、気負わないベージュのデイドレスに、暖かそうなフランネルのショールといういで立ちだ。

 いつものようにハーフアップに結った髪には、これまたいつものようにあのクンツァイトの髪飾りが揺れている。


「どうぞ、お使いください」


 俺は前もって暖炉の前で温めておいたブランケットを差し出した。

 ロイスナー領は王国でもかなり温暖な地域にあるとはいえ、今は一月だ。

 日が高い今のうちは、まだそこまで寒くないものの、時おり吹く風はかなり冷たい。

 俺はさりげなくロイスナーの後ろに回り、寒風が直接彼女の背中に当たらないようにした。


「むふっ」


 テーブルに向かう彼女から、独特の笑い声がする。


「どうした」


 見たところ、このあたりに特に面白い物はないようだが……。

 ロイスナーがくるりとこちらを振り向いた。


「そういうとこ、全然変わってませんね。先輩」


 柔らかな冬の日射しが、微笑むロイスナーの顔を照らし出す。

 その頬に落ちた一筋の髪の毛を、俺はそっと耳にかけてやった。

 よくわからんが、こういうのは撮影の邪魔になるだろうと思ったからだ。

 その途端、


 ――カシャカシャカシャカシャカシャッ!


 ものすごい勢いで魔石カメラのシャッター音が聞こえたような気がしたが、あれは一体何だったのか。

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