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異世界から来た聖女のせいで鉱山送りになった元宰相令息に「お飾りの夫になってください」と頼んでみた  作者: 円夢


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11/11

11.

「ダンス教室、ですか?」

「そう。貴族と違って、僕ら平民は家でダンスなんて習わない。だけど、中には将来的に必要になる子もいるから」


 たとえば裕福な商家では、当主夫妻が取引先の貴族の夜会に招かれたり、逆に自分たちの屋敷に貴族を招いて接待することもあるという。


「そんな時、音楽とかダンスとか、一応それなりにはできてないと馬鹿にされるし舐められる。それに、お金持ちの商家の子なら、下位貴族の家に嫁いだり婿入りしたりする可能性は十分あるしね」

「なるほどー。さすが、ドラン君は物知りですね!」

「いやいや。ぶっちぎりの成績で首席入学したロイスナーさんに言われてもね?」


 ドラン君は細い目をますます細めて苦笑した。


 ――王立学院の昼休み。

 十日後に迫った王宮夜会の打ち合わせをすべく、私は特別席でのランチを断り、久しぶりに学内のカフェでドラン君とお昼を食べていた。


「で、今日の放課後、僕はその教室に行くんだけど、よければロイスナーさんも一緒にどうかなと思って」

「いいですね!」


 聞けばダンスを教えてくれるのは、聖女教会のシスターだという。


「毎年大体今くらいの時期から王宮夜会の前日まで、僕が育った孤児院の集会所を借り切ってやってるんだ。時間は夕方六時から夜の八時くらいまで。寮だと門限があるけれど、ロイスナーさんは確か、自宅通学に切り替えたよね?」

「そうですね」


 ロイスナー家のタウンハウスは貴族街の端っことはいえ、王都の中央寄りにある。下町の聖女教会からはそこそこ距離があるけれど、義母や義妹がいたころは、下町にも普通に買い物に出されていたから、道順なんかはばっちりだ。


「八時に孤児院を出たとして、早足で歩けば三十分、いや、二十五分もあれば帰り着けますね」

「えっ、まさか歩いて帰るつもり? さすがにそれは危ないよ。ロイスナーさんなら、家の人に言えば、馬車で迎えに来てもらえるでしょう?」

「んー。…………多分?」

「何で疑問形!?」


 義母や義妹はしょっちゅう馬車で出かけていたけど、私は一度もついていったことがない。王立学院には歩いて通っているし、考えてみたら私、馬車なんて何年も乗ってないのでは?


「まぁ、その時は僕が家までちゃんと送るけど……。で、どうかな? 今夜一緒に」

「ロイスナー」


 ふいに割り込んできた声に振り向けば、


「サディアス先輩」


 見慣れた黒髪眼鏡が腕組みをして、ひややかな眼差しで私たちを見下ろしていた。


「今日の放課後、打ち合わせたいことがある。授業が済んだら生徒会室まで来るように」


 それだけ言うと、サディアス様はくるりと(きびす)を返し、すたすたとカフェを出ていってしまう。


(あちゃー……)


 私はドラン君に向き直った。


「ごめんなさい。生徒会の打ち合わせとなると、何時に終わるかわからないので、今日ご一緒するのは難しそうです」


 せっかく誘ってくれたのに……。

 申し訳なさに眉を下げると、ドラン君は「いいよ、いいよ」と笑って顔の前で手を振った。


「言っただろ。ダンス教室は毎晩やってるんだ。よかったらまた誘わせてよ」

「もちろん! 私もとても助かります」

「……まぁまた打ち合わせが入らなければ、の話だけど」

「いや、さすがに毎日はないと思いますよ?」


 私の言葉に、ドラン君はくすりと笑った。


「さあ、どうかな。ああ見えて、けっこう独占欲が強そうだし」

「へ?」

「何でもないよ。こっちの話。それじゃまたね、ロイスナーさん」

「ええ、また」


 ドラン君と手を振って別れ、私は冷めた紅茶を飲み干した。

 昼休みも終わりかけた今、カフェの中は閑散とし始めている。

 そんな中、少し先のソファ席で、女生徒が二人、こちらをちらちら見ながら興奮した様子で囁き合っていた。


(やれやれ。また悪口ですか)


 けれど、近づくにつれて聞こえてきた会話は、予想とは少し違っていた。


「ねえ見た? 今の!」

「見た見た。すごかった! あの氷の貴公子様が!」

「めっちゃ威嚇してたよね?」

「してたしてた!『俺のものに手を出すな』的なオーラ全開で!」

「これは捗りますね、リリさんや」

「捗ります捗ります。あーやっぱヴォル×フェイ最高!」


 ………とりあえず、私のことではなさそうだ。

 しかし『氷の貴公子』? そんな恥ずかしい二つ名を持つ人が王立学院にいたなんて。


 そんなことを考えながら歩いていた私は、二人組の片方とばっちり目が合った。

 淡いラベンダー色の髪に榛色の大きな瞳。少し前、うちのクラスに編入してきた一年生だ。名前は確か……、


「リリ・ハサウェイ! あなた、リリ・ハサウェイさんじゃありませんか?」


 そうだ。王宮夜会の申請書! ペアの件をまだ確認していなかった。

 ところが。


「うきゃっ!?」


 リリは変な声を上げたかと思うと、次の瞬間、脱兎のごとく逃げ出したのだ。


(――え?)


「ちょっと、リリ? どうしたの!?」


 連れの少女も驚いたように立ち上がり、私にぺこりと会釈してから慌てて後を追いかける。


「駄目なの! 今、私が彼女に接触したらフラグが立っちゃう! 私は二人を見守りたいの! 応援したいだけなのよぉぉぉぉぉ……」


 遠吠えにも似た余韻を残し、リリは一目散に廊下の角を曲がって見えなくなった。


「………………」


(何なんでしょうね、一体)


 首を傾げる私の足元で、かさりと乾いた音がした。

 見れば、靴の爪先に、ノートの切れ端が引っ掛かっている。

 拾い上げると、そこには何やらびっしりと記号のような文字が並んでいた。


「古代語? ……ではないですね。どこの国の言葉でしょう」


 その時の私は知る由もなかった。

 それらが異世界の「日本」という国で使われている文字だということも。

 赤ペンで大きくハートマークがつけられ、ご丁寧に下線まで引かれた行に、自分の名前が書かれていたことも。


 【ルート別悪役令嬢リスト】

   王太子&ルーファスルート……アレクシア・ザイデル

   サディアスルート……フェイオーナ・ロイスナー

   ガルウィンルート……ジェーン・メイヤー

   ルイスルート……ロザライン・ゴーチェ


 【隠しキャラ】

   クレメンテルート……フェイオーナ・ロイスナー

   サロモンルート……ロザライン・ゴーチェ


 ◇◇◇


 その日の放課後。

 生徒会室のプレートがかかったオークの扉をノックすると、中から「入れ」と返事があった。


「失礼します。……ん?」


 夕陽に染まる部屋の中、正面の執務机にも、その前の応接セットにも誰も座っていなかった。

 ただ一人、サディアス様だけが、窓を背にして立っている。


「えっと。打ち合わせは中止になったんですか?」

「いや。場所がここではないだけだ」


 そう言うと、サディアス様は私を手招きして歩き出した。

 不思議に思いながらついていけば、サディアス様は校舎を出て中庭を抜け、とある建物に入っていく。


「ここは……」


 王立学院小ホール。

 学内での小規模なコンサートや発表会、演劇などに使われる別館だ。

 円形のフロアの床板はつややかに磨かれ、その一角には蓋の開いた二台のハープシコードが並んでいた。

 うち一台の前にはクレメンテ様が立っており、私を見るなり満面に笑みを浮かべて近づいてくる。


「フェーイちゃん! 会いたかったよー」

「ロイスナーです、クレメンテ閣下。……先輩、これは一体?」


 サディアス様はそれには答えず、苦虫を噛み潰したような顔でクレメンテ様を睨みつけていた。


「……演奏はロザライン嬢に頼んでおいたはずですが」

「いやいや、こーんな面白い物が見られるチャンス、僕が逃すはずないだろう?」

「わたくしが断りきれなかったばっかりに……。面目次第もございませんわ」


 声と共にもう一台のハープシコードの陰から立ち上がったのは、しょんぼりと肩を落としたローザだった。

 サディアス様はため息をつくと、何かを振り払うように頭を一振りした。


「気にするな、ローザ。いくら君でも、閣下が相手ではどうしようもなかっただろう」


 ……えーと?


「あのう、それで打ち合わせというのは一体……」


 一人、この場の話題から置いてきぼりになっている私がおずおずと問いかけると、クレメンテ様が晴れやかに言い放つ。


「もちろん、ダンスを練習するのさ」

「ダンス」

「そう! 王宮夜会のね」

「王宮夜会」

「そうだ。君はそこでパッサカリアを踊るんだ」

「パッサ……カリア?」


 情報を処理しきれずにオウム返ししかできない私。ローザが見かねたように口を開いた。


「王宮夜会のダンスの課題は、男女のペアで最低一曲踊ることですわ。通常はワルツですけれど、不慣れな初心者同士の場合、相手の足を踏んでしまったり、他のペアとぶつかって転倒したりと、怪我をすることもありますの」


 その点、パッサカリアはペアダンスでありながら互いに触れ合うことがない。さらに低音部では同じ旋律が何度も繰り返されるため、一連の短いステップさえ覚えてしまえば、後はその繰り返しで乗り切れる。


「まぁ良く言えば古風で荘重、悪く言えば単調で退屈なダンスだけど、その分、お固い年長者や先生方の受けはいいんじゃないの。……というわけで、早速見本を見せようか。ロザライン嬢は前に出て。サディアス君は演奏を」

「……ったく。勝手に仕切らないでいただけますか?」


 文句を言いながらも、サディアス様がハープシコードの前に腰を下ろすと、ローザとクレメンテ様はフロアに進み出た。

 そうして――。

 ハープシコードが独特の金属的な音色でメロディを奏で始めた途端。


 夕闇迫るフロアの中央に、突如として夢のような光景が現れた。


 月の光を掬い取ったようなクレメンテ様のエクリュの長髪と、ローザの金茶の縦ロール。旋回するたびに光を弾くその髪と、優雅で美しい足さばき。

 ビスクドールを思わせるローザの硬質な美しさと、ふとした折に凄絶なまでの色気が漂うクレメンテ様の物憂い眼差し。

 二人とも制服姿なのに、背後に壮麗な大広間と煌めくシャンデリアが見える気がする。

 そんな彼らの背後、青い薄闇と窓明かりのあわいでハープシコードを奏でるサディアス様の、白い横顔と端整な佇まい――……。


「ふおおおお……」


 時間にして僅か二分足らずの曲が終わり、ハープシコードの最後の余韻が消えた途端、私は力いっぱい拍手をしていた。


「凄い! ローザめっちゃ綺麗だった! クレメンテ閣下はちょっといろいろやばすぎて今すぐ規制かけなきゃダメな感じでした! そしてサディアス先輩! 悪だくみだけじゃなく音楽も得意な人だったんですね!」


 サディアス様が椅子を立ち、つかつかとこちらにやってくる。


「で、ロイスナー。ステップはちゃんと見て覚えたか?」

「……………み、見てましたよ?」


 見てはいた。むしろガン見していたと言っていい。

 ただし……。


「ステップは? 少しでも覚えたか?」


 たらり。あさっての方を見る私の背中を、汗が一筋伝い落ちる。


「全っ然! 欠片も! 覚えてないんだな?」

「いや、覚えたっていうか………いひゃいいひゃい(痛い痛い)! ほほふへなないへ(頬つねらないで)~!」

「……ったく」


 サディアス様は私の頬を離すと舌打ちした。


「話にならんな。明日から前日まで、放課後はここで毎日特訓だ」

「えっ。……でも、あの」


 ――よかったらまた誘わせてよ。


 そう言って柔らかく笑ったドラン君を思い出す。

 

「あの、明日の放課後はドラン君と」

「ああ。彼も連れてくるといい」

「えっ」

「今回のペアはあいつだろう。一緒に練習しなくてどうする」


 淡々と続けたサディアス様の表情は、眼鏡に窓明かりが反射してよく見えなかった。

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