第629話:本質 その5
時を僅かに遡る。
視界が黒く染まり、意識が急速に途切れていく――が、レウルスは今にも途切れそうな意識をギリギリのところで持ち堪える。
白黒テレビのように鮮やかな色を失った世界。それをどこか他人事のように眺めながら、レウルスは自分の体が勝手に動くのを感じた。
ラディアは既に手になく、『首狩り』の剣を抜いた体がエリザ達のもとへと向かう。それを止めようとしても思うように体が動かない。
(やめろ)
何が起きているかわからない様子のエリザ達に向けて刃が振り下ろされるが、自身の意思に反応したようにゆっくりと、疲労し切ったエリザ達でも回避できるほどの速度に変わる。
それでも体が完全に止まることはなく、エリザ達を追うようにして何度も『首狩り』の剣を振り続けた。
(何をしている)
レウルスが感じるのは、まるで全身が鉛にでもなったかのような倦怠感。全てが億劫で、意識が今にも途切れそうで、一瞬でも気を抜けばそのまま眠り込んでしまいそうだ。
そんな感覚とは裏腹に、止めようと思わなければ『熱量解放』を使った時と同等か、それ以上の速度を出して機敏に体が動いてしまう。
レウルスの意識と異なり、体が訴えてくるのはどうしようもない底なしの飢餓感と精霊に対する敵意だった。
腹が減った。
魔力が欲しい。
精霊は敵だ。
奪って喰らえ。
まるで呪詛のように声が響き、それらの声に屈して体の所有権を渡してしまいそうになる。
(誰に?)
“自分自身”に体を乗っ取られかねない事態を前に、レウルスは乱雑な思考の中でどうしたものかと苦心する。エリザ達へ斬りかかる際に体の制御権を取り戻そうとするが、体の動きを鈍らせるだけでも精神的な疲労が大きい。気を抜けば、そのまま意識が断絶してしまいそうなほどに。
エリザ達を庇うようにしてジルバが立ちふさがり、止めようとする。それに気付いたレウルスは体を止めようとする意識の中で僅かに安堵し、浮かんだ疑問と向き合う。
魔力を使い切ったのは初めてではない。だが、使い切った上で“絞り出した”のは初めてだ。その反動だとしても、こんなことになるとはレウルスも予想していなかった。
ジルバが相手ならばと制御を手放した体は獣のように機敏に動くが、相手が悪い。ジルバは素手だというのに斬撃を捌き、逸らし、的確に打撃を打ち込んでくる。
(さすが、容赦がない)
打撃を打ち込まれる度に、体の内側から衝撃音が響く。鎧を貫通して伝わる衝撃が視界を揺らすが、その威力は薄れた意識の中でも思わず苦笑してしまうほどだ。
(このまま壊してくれる、か?)
エリザ達を手にかけるぐらいなら、その身を喰らうぐらいなら、死んだ方がマシだ。『契約』の関係上サラのことが気がかりだったが、精霊とのつながりが薄れきった“今の状態”ならば死ぬのは自分だけで済みそうだという感覚がレウルスの中にはあった。
今、体を動かしているのは己の力の源泉とでも呼ぶべきモノ。スライムと似て非なる“喰らうモノ”が魔力を求めていると、レウルスの感覚が告げている。
レウルスがかねてより危惧していた、己は人間なのかという疑問。その疑問を強く抱く理由となったのは、魔物を喰らって魔力に変換するという特異性だ。
満腹に――魔力をこれ以上蓄えられない状態になるまでは己の体積を超える量だろうと食べ続けることができ、蓄えた魔力を『熱量解放』という形で『強化』を超える能力を得ることができた。
他の人間どころか魔法使いと比べてさえ異質な能力。その能力の根幹たる存在が今、レウルスの体を動かしている。
(あの村での扱いも、今となっちゃあ正しかったな)
そんなことを、ふと思う。
この世界に転生してから、生まれた頃から備わっていたであろう力だが、生まれ育ったシェナ村では農奴として扱われ、魔力を得られるほど喰らうことはできなかった。だが、今のように魔力を使い果たして限界の下限を振り切るようなこともなかった。
あるいは、蓄えに蓄えた魔力を一気に消耗しなければ今のような事態には陥らなかったのかもしれないが。
(くそっ、どうにかしないといけないのに)
打開策を考えようとするレウルスだったが、思考がまとまらない。辛うじて意識を保つことができるが、飢えを満たしたいという本能が強すぎる。
(危ない)
思考する最中、自身の体と戦うジルバの致命的な隙を見つけてしまう。レウルスが咄嗟に体を硬直させると、それに気付いたジルバが即座に体勢を立て直した。
レウルスは思考だけでほっと安堵の息を吐くと、暴れる自身の体と互角に渡り合うジルバを見る。レウルスから見て隙のない構えに、容赦のない打撃。縦横無尽に繰り出す『首狩り』の剣を素手で凌ぐその姿は変わりない頼もしさを感じると共に、隠しきれない呼吸の荒さに気付く。
ジルバも歳を取った。初めて会った時と比べて変わっていないように思えたが、人間である以上加齢の影響からは逃れられない。それでも数分に渡って斬撃を捌くジルバの姿に感嘆とも苦笑とも取れない感情が沸き上がり――記憶に引っかかるものがあった。
レウルスの思考に浮かんだのは、恩人と呼ぶべきドミニクの顔である。
初めて会った時と比べて年老いて見えたドミニクの姿が、妙に記憶を刺激した。
成人を機にシェナ村から追い出され、キマイラに襲われ、魔物に怯えながら一晩を過ごした時の記憶。
命からがら辿り着いたラヴァル廃棄街で行き倒れた記憶。
今の体に生まれ変わって以来、初めて得られた温かな食事の記憶。
ラヴァル廃棄街で冒険者として過ごした記憶。
エリザと出会い、サラと出会い、ミーアと出会い、ネディと出会った記憶。
それらには戦いの記憶も付随し、幾多もの死線を乗り越えてきた。
必死で、懸命で、何度傷つき、何度死にかけたか。シェナ村で農奴として生きていた頃、前世で日本という国で生きていた頃には想像だにしなかった、騒がしくも血生臭い日々。
様々な出会いがあり、別れがあり、自ら絶った命があり。自らの足で旅をして、多くの経験を経て今の自分がある。
『――“元のカタチ”へ戻し給え』
クリスとティナがレウルスの体を止めようと、狐面を掲げながら『詠唱』を終える。だが、空に浮かんだ世界のヒビを修復して塞ぎきるほどの力があろうとも、今のレウルスには通じない。
意識を無視したように動くが、飢えて暴れる体もレウルスにとっては生まれた頃から共に在ったのだ。僅かに飢餓感が薄れる感覚こそあったものの、レウルスの体は咆哮を上げてから再び動き出す。
そんなレウルスの様子に、クリスとティナが悔しそうに顔を歪めるのが見えた。それに気付いたレウルスは意識の中だけで僅かに苦笑する。
(この二人とも色々あったが……なんだかんだで助けてくれようとするんだな)
場違いだとはわかっていても、無意識の内にそんなことをレウルスは考えていた。
ラヴァル廃棄街では身近なところに精霊教が在り、なおかつエリザを受け入れたこともあってグレイゴ教の面々とは敵対から始まった間柄だった。
相手こそ違えど何度も戦い、出会った全員と戦ったわけではないが数えきれないほどグレイゴ教徒と戦った。中には『加護』が関係しているとはいえ心を乱される存在――レベッカのような存在もいた。
(本当に、色んなことがあった……)
ルヴィリアと出会い、再会し、紆余曲折を経て夫婦となった。実感は乏しいが、それでも自らが選んだ道だった。
自分という存在を受け入れてくれたラヴァル廃棄街。レウルスにとって本当の故郷と呼ぶべき場所。そして新たに自らの手で造り始めた、スペランツァの町。
ナタリアの許可の元、コルラードが指揮を執り、カルヴァン達ドワーフの手を借り、冒険者達やラヴァル廃棄街の若者達、精霊教徒達と共に完成を目指す、第二の故郷。
様々な記憶があった。
様々な人の顔が、声が浮かんだ。
多くの出来事があり、多くの出会いと別れがあり、多くの思い出があった。
それらこそが今のレウルスという“人間”を構成するものであり。
「レウルスさんっ!」
――そんな声が、聞こえた。
ドミニクと同じく、レウルスにとって恩人と呼ぶべき人物の声が。前世と比べれば地獄としか思えなかった世界で初めて出会った優しい少女の声が、たしかに聞こえた。
(っ!)
レウルスは意識を奮い立たせる。途切れそうな意識を呼び覚まし、つなぎ合わせる。
そうして見えたのは守りたいと、“守ってやりたい”と思えた心優しい少女の顔だった。
何故ここにいるのか、何故ここに来てしまったのか。もっと安全な場所にいてほしくて、しかしその声が、その存在がレウルスの意識を確かなものにする。
体の主導権を取り戻せたわけではない。それでも目の前の霧が晴れるようにして、世界に色が戻っていく。
そして同時に思う。今の姿を、不様なところを見せられないと。
『……今』
そんなレウルスの変化を見計らったように、ラディアの声が聞こえた気がした。それと同時に風を切るような音が迫り、レウルスの体は即座に迎撃体勢を取る。だが、それに気付いたジルバが『首狩り』の剣ごと右手を蹴り飛ばしたことでレウルスの意識は更に明確化する。
「“そっち”じゃ、ねえよ」
逃げようとした体を動かし、飛来するラディアの元へと踏み込む。己の勘に従い、自らの体が“最も嫌がること”をレウルスは選択する。
体の正面、真紅の鎧すら貫通してラディアの切っ先が突き刺さった。飛来した勢いと優れた切れ味により、大剣が腹部を貫通していく。
鮮血が飛び散り、血の帯を引いた切っ先がレウルスの背中から突き出る。しかしレウルスは出血や傷に構わず手を伸ばし、ラディアの刀身を握り締めた。
レウルスの瞳に正気が戻る。それと同時に膝を突くと一息にラディアの刃を抜き、震える腕で持ち替えて柄を握り締める。
「……まだ、だめ、か」
そして、ポツリと呟いた。
体の自由を取り戻したものの、厄介なことにラディアを手放せばまた勝手に動き出してしまいそうだ。自分の体の状態を確認したレウルスは治癒魔法を使おうと手をかざすジルバへ視線を向け、小さく苦笑する。
「すいま、せん……体、治ったら……また動きだし、ます……」
『首狩り』の剣を手放し、ラディアに持ち替えるだけではまだ弱い。魔力を求めて暴れようとする体が精霊剣という特殊な武器で瀕死になったからこそ、レウルスも意識を表に出すことができた。
『神』や黒龍といった存在に対抗し得る武器だからこそ、今のレウルスにも致命傷を与えられる。“このまま”だと死んでしまうと、嫌でも理解させられる。
「だから……まだ、このまま、で……出てい、け……」
レウルスが視線を下ろしてみれば、腹の傷口からは血液以外の物体が溢れ出ていた。臓器や肉片ではなく、黒い粘液がボタリ、ボタリと音を立てて地面に落下していく。
黒い粘液は地面に落ちると、染み込むこともなく動き始める。黒い粘液同士で集まり、少しずつレウルスから距離を取り始める。
黒い粘液が体から抜け出すにつれて、レウルスの体も落ち着き始めた。ただし、腹部を大剣が貫いた激痛も沸きつつあり、レウルスの額に冷や汗が浮かんでいく。
(正解、だったけ、ど……俺が、死ぬ方、が、はやい……か?)
己の体から“半身”が抜けていく。この世界に生まれ落ちてから共に在ったモノが、死から逃れようと足掻いている。レウルスはその光景を眺めると、ラディアを地面に刺して杖代わりにしながらゆっくりと立ち上がった。
腹部の痛みが酷い――が、不思議と体が動く。魔力も尽きているはずだというのに、ラディアを握る手が力強く感じる。
傷口から溢れ出た黒い粘液は、レウルスの体積に匹敵する量だった。それらの黒い粘液は一つの塊になると、レウルスから距離を取りながら少しずつ形を変えていく。
「……やっぱり、お前は俺か」
黒一色ながらも人の形を取ったその姿を見て、レウルスは不思議な感慨を抱く。憎しみはなく、むしろ親しみを覚えるのはこれまで共に在ったからか。あるいは何度も助けられてきたからか。
それを自覚したレウルスは薄く笑うと、ラディアを両手で握り締めて持ち上げる。これまでと比べて重く感じられるのは怪我のせいか、魔力が尽きているからか、“半身”が抜け出たからか。
レウルスは人の形を取った『喰らうモノ』をじっと見つめながら、思う。
今まで一緒に生きてきたのにすまない、と。
何度も力を借りてきたのに申し訳ない、と。
だが、それでも、自分は人間なのだ。人間でありたいと、レウルスは願ってしまうのだ。
黒いヒトガタは大剣を振りかぶるレウルスを見て、何を思ったのか動きを鈍らせる。そして一度だけコロナを窺うような素振りを見せると、完全に動きを止めた。
その仕草にレウルスは一度だけ頷く。魔力を求めて暴走した、己とは違う存在。それでもレウルスにとっては感謝を抱くに足る存在だ。
故に、かける言葉は決まっていた。
「今までありがとう――俺は、人間として生きていくよ」
そう言って、レウルスは刃を振り下ろした。




