日清戦争-16 開戦の音
海戦パートです。兄の存在がこれを可能にした!!
時は遡り
1894年7月25日 豊島沖
古志大隊長自決の2日前。日清両国は開戦の時を迎える。
日本が清国に最終覚書を突き付けた。これは条件付きの宣戦布告である。回答期限は7月24日。25日以降、事実上、日本の艦隊が清国艦隊を攻撃する権利を得た。ただし、この覚書の存在を仲介した英国以外は知らないので他国は日本が開戦に際しての法的問題を解決していることを知らない。
これに合わせて日本の艦隊は23日佐世保を出港。いつでも交戦できるように動く。
そして25日。豊島沖にて日本国艦隊の一部…新鋭の高速艦艇のみで編成された第1遊撃隊所属最新鋭巡洋艦3隻が清国兵を輸送する民間船の露払いのために進出してきた2隻の清国艦艇と戦闘状態に突入した。
豊島沖海戦の始まりである
陸にも聞こえるほどの砲声。それが、この海戦の号令となった。この砲声は日清どちらのものかは論争を生んだ。どちらが手を出したのかということだ。日本側の資料は清側からの砲撃があったとしている。だがこれについては条件付きの最後通牒をしている点を加味して当時の常識として「宣戦布告なしの開戦」という考え方が否定されていなかった。特に国際法を守らないであろう野蛮な国に対しては。皮肉にもこの戦いで清国の前近代的なところが見えることになる。
ただし、様々な資料から砲撃開始以前の行動についても論争がある。
当時の艦船に搭載されている動力は現代のエンジンと比較して即応性が極めて低い。停船状態から機関始動にかかる時間は長ければ丸1日かかる船もある時代である。この始動時間だけ見れば下手すれば帆船のほうが有利なくらいである。そのような時代、巡航速力から戦闘速力までの加速ですら相当の時間を必要とした。ゆえに互いの船が確認できたところで速力を上げる行為は戦意ありの意思表明に等しい。これをどちらが先にやったのか。これも論争である。
しかも、日本艦隊は地形的優位の確保と加速時間を稼ぐために2回の180度回頭を行っていた。
いわば腰に下げた拳銃に手をかけた状態に等しいといえよう。まだ、銃を抜いたわけではないが。
双方の戦力、状況は史実通りだ。日本側は南、清国側は北。双方が接近しつつある。このままいけば反航戦という状態になる。
清国は朝鮮半島への増兵のために輸送船を出した。その護衛は旧式砲艦『操江』だが、朝鮮半島にいた防護巡洋艦『広乙』、『済遠』の2隻これが朝鮮半島沿岸での護衛につくことになっていた。
日本艦隊は『単縦陣』の異名を持つ坪井航三海軍少将率いる第1遊撃隊 先頭旗艦『吉野』、『秋津洲』、『浪速』の3隻。数は互角。しかしながら各艦の性能は大いに差がある。清が大いに劣っている。『操江』は旧式、『広乙』は防護巡洋艦としては小型。まともに日本艦隊と互角に交戦可能な艦は『済遠』しか存在しなかった。このうちの2隻、防護巡洋艦『広乙』、『済遠』が初めの相手だった。
日本艦隊先頭艦 第1遊撃隊 隊旗艦『吉野』が砲撃を開始する。日本艦隊と清国艦隊の差異は大砲と速力だ。清国が少数の大きな大砲を搭載しているのに対し、日本が多数の小さな大砲を搭載していた。清国側には一撃の重みがあるが一撃をなかなか打てない。日本側は手数勝負だ。
だが、一つ、史実とは違うものがあった。




