7. ステインボルト辺境伯
長身の執事に案内された部屋は中央に天蓋付きの大きなベッドが置かれ、匂い消しの香が焚かれていた。
ろうそくの灯りが数カ所に置かれているが、部屋が広いにもかかわらず魔道具の明かりがほとんど使われていないために室内は薄暗い。
香の煙が漂う中をエトウはベッドまで進み、上半身を起こしたステインボルト辺境伯と対面した。
「こんな格好で失礼する」
「いえ。お気遣いなく」
辺境伯は痩せた肩にガウンをかけて、感情のわからない視線をエトウに向けていた。
病気のせいもあるかもしれないが、顔には深いしわが刻まれてかなり高齢に見える。
ただ、ずっと寝たきりであるようには見えなかった。
ピンと伸びた背筋と後ろになでつけられた白髪、きれいに切りそろえられた白いひげは、辺境伯の精神が病や老いで弱ってはいないことを示しているようだった。
「お主の噂は聞いている。王都をスタンピードから救った英雄。そして、息子が犯した犯罪を暴いた立役者」
辺境伯は口調も表情も変わらなかったが、エトウは警戒度を一段高めた。
自分が辺境伯の子息であるリーゼンボルト領主代理を追い詰めた一人には違いないのだ。
エトウがソラノの再調査依頼を出さなければ、この件が冒険者ギルドや騎士団に知られることはなかっただろう。
また、奴隷商人カブスの身柄を拘束できていなかったら、領主代理にまでつながる犯罪の証拠を明らかにすることはできなかった。
エトウの行動がすべての発端となっている。
しかしそれはソラノの名誉を回復するためだった。
ソラノが無実の罪で犯罪奴隷になっている一方で、領主代理を始めとする罪を犯した者たちが野放しになっているのは許すことができない。
さらに事件を追っていく過程で、誘拐されて奴隷に落とされた十八人の被害者を救うことにもつながった。
病床にいた辺境伯には気の毒だが、エトウは自らの行いを後悔していなかった。
これは謝罪や言い訳をする話ではないとエトウは思った。だからといって、この場で辺境伯の責任を追及するのも違う。
なにも語ることはないと決めたエトウは、まっすぐに辺境伯の目を見つめて沈黙を通した。
「いい目をしている」
しばらく見合った後、辺境伯は目線を下げてつぶやいた。
目元がかすかに笑っているように見えたが、顔を上げた辺境伯は無表情にもどっていた。
「これを持って行け」
辺境伯は黒ずんだ鍵をエトウに手渡した。
「これはなんの鍵でしょうか?」
「それは砦に続く連絡橋を浮上させるための鍵だ。湖の東側に一見猟師小屋のような小さな建物がある。そこに入って正面にある棚を調べてみよ。その棚だけ建物と一体となっているからすぐに分かるだろう。上部にある鍵穴にその鍵を差込んで左に回せば、連絡橋が上がってくる。その後は鍵を奥に一度押し込んで抜いてしまえば、砦の中からも連絡橋の操作が行えなくなるはずだ」
辺境伯は少し息が乱れていた。長く話をするのはつらいのかもしれない。
「こんなことをワシが願うのはおこがましいが、領内の民のため、お主が信じる正義を貫いてほしい」
辺境伯はエトウを静かな瞳で見つめた。
それはご子息の命を奪う結果になってもですかと、エトウは心の中で辺境伯に問いかけた。
だが、口に出す必要はない。きっとそういったことも含めて、辺境伯はエトウに鍵を託したのだと考えたからだ。
「全力を尽くします」
エトウはそれだけを告げて頭を下げた。
辺境伯の寝室を出ると、再び長身の執事に連れられて来た道をもどった。
執事のきれいな白髪が滑るように通路を進んでいく。
年齢は五十代半ばくらいだろうか。最初に見かけたときから、その執事はエトウに武の気配を感じさせた。
主人に仕えて仕事をこなす美しい所作に混じって、弓を引き絞るようなバネとバランス感覚が見えてくるのだ。
おそらくは斥候系の職業の者が身に着ける体術を収めているはずだ。
どれほどのレベルなのかはエトウには分からなかった。
エトウはこの執事と少し話をしてみたいと思った。
「辺境伯様は長く床についていると伺いましたが、お加減はどうなのですか?」
執事は立ち止まり、流れるような動きでエトウに向き直った。
「良いときと悪いときが交互にやってくるようです。お年を召されてからは、若い頃の古傷も痛むとおっしゃっていました。ステインボルト様は帝国との戦争で戦われた経験がおありですから」
執事は主人にも負けないほどの無表情で答えた。
「帝国との戦争ですか」
「はい。約四十年前のことです。それからもステインボルト様は陰に陽に行われる帝国の圧力から、辺境伯領をお守りになってきました」
「そうですか……」
エトウはそれ以上の言葉がなかった。
この誘拐事件がどのような結末を迎えるのかはまだ定かではない。
辺境伯が責任を問われるのかどうかもエトウには分からなかった。
ただ、今回の事件が、王国のために長年尽くしてきた辺境伯の汚点になることは避けられないだろう。
自分の子供ぐらいしっかりと見ておけと言うのは簡単だが、リーゼンボルト領主代理は四十代だと聞く。
子供の罪を親に求める年齢ではないとエトウは思った。
「それにしても、ステインボルト様があんなに愉快そうに笑われるのを見たのは、本当に久しぶりでした」
「そうですか。きっとなにか楽しいことがあったのでしょうね」
「……エトウ様とお話をされているときに、ステインボルト様はお笑いになったのですよ。きっとエトウ様のことを気に入られたのだと思います」
「え、本当ですか? そんな感じはまったく……。もしかして目元がかすかにゆるんだことをおっしゃってます?」
エトウは当惑しながら訊いた。
「ええ、そうです。あれがステインボルト様の笑顔なのですよ。若い頃からあまり笑われない方でしたが、分かりにくいですよね」
執事はいたずらをする子供のような笑顔をエトウに向けた。
「いやー、どうなんでしょうねぇ。確かに笑顔……でしたね。間違いありません」
どう答えてよいか分からなくなったエトウは、あれは笑顔だったんだと自分を納得させながら話をした。
執事は優しげな微笑みを見せたが、一瞬でその態度を改める。腰を深々と折り曲げて、エトウにお辞儀をした。
「すべてが終わった後、どうかもう一度ステインボルト様にお会いして、攻城戦の様子などをお聞かせください。私からお願いいたします」
「ええ。必ず鍵をお返しにあがります。そのときには、また執事さんに迎えに来てもらいますよ。お願いしますね」
エトウは執事に笑いかけた。




