1. 旅の空
エトウは馬車の御者台から澄んだ秋空を見上げた。
馬車が揺れるリズムに身をまかせていると、本当であれば眠気がやってきそうな気持ちのいい昼下がりである。
「エトウさん、ひどいと思いませんか? おいらはこんなに愛していたのに、他に好きな人ができたって、それっきりですよ!」
「ええ。トミーさん、その話は先程も聞きましたよ。ひどいですよね」
「分かってもらえますか! おいらはこれからどうしたらいいんでしょう。周りの者は新しい人を見つけろなんて言うんですけど、心の傷が癒えないうちは、どうにもなりませんよ。エトウさんもそう思うでしょ?」
「そうですよねぇ」
「だいたいね、すぐに新しい人を見つけろだなんて、本当の恋愛を知らないから――」
御者のトミーは自らの失恋話を延々と話していた。隣に座っているエトウは、いい加減話を合わせるのに疲れてきている。
最初は無口な男だったのだ。
王都を出発する際、エトウたちに頭を下げてトミーという名前を告げたきり、旅の間も積極的に会話を続けようとはしなかった。
その態度が一変したのは今日の昼食時からである。
街道の休憩所で昼食をとりながら、エトウは王都ギルドの受付嬢であるサリーの話をアモーとしていた。
今回の仕事が急遽決まったために、サリーはたまっていた精算処理を手早く済ませてくれたのだ。
そこで彼女の話をちょっと出しただけだったのだが、トミーは「今、サリーと言いましたか?」と挑むような視線を向けてきた。
トミーの話を少し聞いただけで、彼が失恋した女性とギルド受付嬢のサリーは別人だということが分かった。
だが、誤解が解けた後でもトミーの話は止まらなかったのだ。栓が抜かれた酒樽のように、元恋人への思いを語り始めた。
それが昼食を食べ終わって、馬車に乗り込んでも続いていたのである。
「そりゃ、おいらは御者という地味な仕事ですよ。でも、町から町へ人が移動するかぎり、御者の仕事はなくならないんです。食いっぱぐれはないと思うのに……。サリー、どうしてなんだ! おいらのなにが悪かったんだよぉ」
御者であるトミーが感情を高ぶらせているせいか、馬車を引く馬たちがどこか落ち着かない様子だった。
「トミーさん、馬が気にしているようですよ。これからエーベン辺境伯領までの道のりは長いです。トミーさんの話もじっくりと聞きますから、少し落ち着きましょう」
エトウはトミーをなだめながらため息をついた。
奴隷商人カブスが王国騎士団によって捕らえられてから半月がたっていた。
カブスはこの先自分に望みがないことを理解したようで、事情聴取に素直に応じているそうだ。
その証言からエーベン辺境伯領での捜査も進展している。
騎士団は領主代理の一派を一網打尽にするべく、包囲網を狭めているという。
今のところエトウたちは騎士団の作戦に参加する予定はなかった。
誘拐されて奴隷となっていた者たちが辺境伯領へ帰るに当たって、騎士団からの護衛依頼を受けただけである。
カブスが連れていた奴隷は総勢三十人、そのうちの十八人が誘拐被害者だった。
その者たちは着の身着のままでお金も持っていない。
王都で静養するよりもすぐに家に帰りたいと希望したため、騎士団が馬車二台と御者を雇い、エトウたちに護衛依頼を出したのだ。
騎士団は冒険者に扮装させた騎士三人を、馬つきで貸してくれるほど太っ腹だった。
エトウたち四人は二台の馬車に分乗して、男性陣は御者台に乗り、女性陣は馬車の中で皆の状態を確認しながら旅を続けている。
馬上の騎士が左右と後ろを監視してくれるため、エトウは前方を見ておけばいい。これならば御者台で寝ていても、目的地まで安全に着けそうだった。
トミーの怒濤のような失恋話がなければ、エトウもゆったりとした気持ちで旅の空を眺めていられたはずである。
どうしてサリーの名前を出してしまったのか、エトウは昼食の前まで時間をもどしたい気持ちだった。
今回の馬車の旅では、王国騎士団のムジーク団長がかなり気を使ってくれている。
ムジークは、誘拐被害を防げなかったことや、エトウたちが調査するまで誘拐事件に気がつかなかったことに強い責任を感じているという。
その罪滅ぼしという訳ではないが、被害者にはできるだけ快適な環境で故郷へ帰ってもらいたいと便宜を図ってくれた。
護衛騎士を三人もつけてくれたのもそうだが、旅の間、必ず町や村で夜を明かしているのもムジークの意向だと聞いている。
野営よりも町や村で宿泊した方が安全であるし、快適なベッドで眠ることもできる。宿代や飲食代は騎士団持ちとなっていた。
このままエトウたちは辺境伯領に接する王領の領都キリルに向かう。
そこには騎士団の連絡員がエトウたちを待っており、辺境伯領内における捜査の進展に応じて、領内に入るのか、キリルに留まるのかを決める手はずだ。
領主代理たちが拘束され裁かれる場合には、誘拐された者たちは犯罪を立証する証人になる。
そうなれば、被害者の口封じを考える者もいるかもしれない。
エトウは、このまますんなり辺境伯領に到着できたとしても、被害者の安全が確認されるまでは行動をともにするつもりだった。
「うー、サリー、おいらのなにが悪かったんだよぉ……」
御者のトミーのこともなんとかしなければと、エトウは再びため息をついた。




