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閑話 デントの勘

「彼はタマラさんのところから来たクチナシさんといいます。口はきけませんが、耳は聞こえますし、読み書きもできるそうです。デントさん、指導よろしくおねがいしますね」

 チュールは少年の肩に手を置きながら言った。


 デントは、なんだかぼんやりとしたガキだなと思った。これから指導していく身としては、使えない者を押し付けられるのは面倒だった。

 だが、タマラからの預かりであれば断るという選択肢はない。


「はい、分かりました。それじゃ、俺たちは倉庫に向かいますんで。おい、クチナシといったか? ついてこい」

 デントは先に立って歩き始めた。


 店舗に横付けにした馬車に乗るときに、路地から何人かの子供が飛び出してきた。

 そのうちの一人が、クチナシにぶつかりそうになる。

 クチナシは自分の体を開いて子供を避けた。そして、バランスをくずして転びそうになったその子供を片手でさっと支えた。


 一瞬の早業だった。その足捌きはなかなかのものである。子供を離したクチナシは、デントの方をじっと見ていた。


「けっ、薄気味わりぃ野郎だ。早く馬車に乗れ! ガキどもも、ウロチョロしていると、馬車でひいちまうぞ!」


 子供たちが、わーと騒いで逃げていく。クチナシはデントの言葉にうなずくと、御者の隣に腰掛けた。


 馬車は倉庫に到着し、荷降ろしが始まった。まず奴隷が降ろされ、その後に奉公人や奴隷の食料が中に運ばれていく。

 エトウも重い木箱を手に持っていた。筋力強化のバフは使えない。


 エトウがよろめきながら建物の中を進んでいくと、平らだと思っていたところに段差があった。

 その段差につまずいたエトウは、声を出さないことだけを意識してそのまま地面に倒れ込んだ。

 木箱の中に入っていた野菜がいくつか外に転がり出た。


「あーあ、そこには段差があるんだよ。言っておけばよかったな。ほら、野菜、拾うぞ」

 奉公人の一人が野菜を拾い出す。


 エトウもうなずいて、落ちた野菜に手を伸ばした。

 そこにデントの拳が飛んできた。エトウは左頬を殴られて尻もちをつく。


「てめぇ、なにしてやがる!」

 デントは鋭い声で叫んだ。


 周囲の者たちも驚いた顔でデントを見つめた。

 段差で転ぶくらいのことで、そこまで目くじらを立てる必要はないと思ったからだ。

 エトウはゆっくり立ち上がると、デントに向かって頭を下げた。そして再び野菜を拾い集める。


「けっ、やっぱり気に入らねぇガキだ!」

 デントは吐き捨てるように言った。


 デントは、クチナシの足捌きを試してやろうと思ったのだ。

 しかし、どうやらクチナシは自らの力を隠したいようである。

 ここにはいろいろと訳ありの者もいる。デントにも他人の過去を詮索する気はないが、管理者として部下の実力は知っておきたかった。


 クチナシはタマラのところからの預かりである。まだ身内とは言い切れないため、反抗心や敵意といった悪感情も把握しておきたい。

 先程の反応を見るに、クチナシは感情的な性格ではないようだが、もう少し様子を見なければ判断できないとデントは思った。


 そのクチナシに命を救われることになるとは、デントはまったく想像していなかった。

 

 台風の夜、天井の一部が強風で吹き飛び、瓦礫がデントの上に落ちてきたのだ。

 デントは倒れた棚に片足を挟まれて、身動きがとれなくなってしまう。

 棚の上には別の棚と瓦礫が重なって、とてもではないが一人で動かすことはできなかった。


「おい、誰かいないか!」


 デントは叫んだが、天井から入ってきた雨風がその声をかき消す。

 瓦礫が上から降ってきたとき、事務室には十人ほどの人間がいたはずである。しかしその者たちの声も聞こえなかった。


 穴のあいた天井を見上げると、剥がれた屋根の残骸が傾き、今にもこの部屋に落ちてきそうだった。

 倉庫の屋根はかなりの重量がある。その一部とはいえ、直撃すればただでは済まないだろう。


「くそっ! 誰かいないのか!」

 デントは再び叫んだ。


 風で煽られた屋根の切れ端が、ギギギギという不吉な音を立てて、天井から部屋の中に落ち込んできた。


「くそー、誰かー!」

 デントは恐怖のために目を閉じて歯を食いしばる。


 瓦礫が落ちてくる音が止んだので、デントはゆっくりと目を開いた。

 屋根の残骸はその先端を部屋に突き入れ、天井の穴に引っかかるようにして止まっていた。

 そのまま落ちてきていれば、デントの倒れている場所は屋根の下敷きになっていただろう。


 デントは命拾いをした格好だが、いつ天井がくずれ落ちてきてもおかしくはない。


「俺はここにいるぞー! 誰も聞こえていないのかー!」


 デントは声のかぎりに叫んだが、なんの反応もなかった。雨風にかき消されて、部屋の外まで自分の声が届いていないのかもしれない。


 デントの気持ちが折れかけたとき、気がつくとすぐ近くにクチナシがいた。

 デントの足が棚の下に挟まれている状況を理解したクチナシは、すぐさま両手で棚を持ち上げようとする。


「クチナシ、お前一人では無理だ! 誰か他の奴を――」


 そう言いかけたデントだったが、クチナシが両腕に力をこめると、棚がミシミシと持ち上がった。クチナシがデントを見つめる。


「もう少しだ。まだ引っかかっていて足が抜けない!」


 クチナシはうなずくと、腰を落としてもう一度力を入れた。

 すると棚がさらに持ち上がる。

 デントも足を引き抜こうと必死でもがいた。両手で床を押して、体をなんとか後ろに下げようとする。

 クチナシが力を振り絞るように唸ると、隙間の幅が大きく広がった。そしてやっと挟まっていたデントの足が抜けたのだ。


「やった、抜けたぞ! クチナシ、でかした! お前は俺の命の恩人だ!」


 クチナシは疲れた表情で笑うと、デントに肩を貸して安全なところまで連れていった。

 その部屋に残っていたのはデントが最後で、それ以外の同僚もクチナシによって救助されたという。


 結局、屋根は天井で止まったまま、部屋の中には落ちてこなかった。

 だが、雨と風で滅茶苦茶になった部屋の惨状を見れば、あのときクチナシに助け出してもらえてよかったと誰もが思ったのである。


 古城へ食料を搬入する役目をクチナシに務めさせることになったとき、デントがもっと反対していれば、さすがのチュールも考えを改めたかもしれない。

 その日だけ他の者を雇って、余計なものを見せないようにすることも無理をすれば可能だったからだ。


 だが、デントは一応反対してみたものの、途中ですぐにチュールの意向に従った。

 危険をかえりみずに自分たちを救出してくれたクチナシに、これまでのような警戒心を持ち続けることが難しかったのである。

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