81. 女神の助言
ネメシスが直接地上に顕現することは、創造神によって禁止されているという。そのため、カーブの体を通して念話を行っていた。
念話なら大丈夫となる理屈がエトウには分からなかったが、神たちにどんなルールがあるのかなど想像しても仕方がないだろう。
それよりも気になったのは先ほどの言葉である。このままでは魔王を倒せない、とネメシスは言ったのだ。エトウはその部分を詳しく聞きたかった。
「あの……ネメシス様?」
そう言ったエトウを他の者たちは怪訝な顔で見ていた。
「あれ? 声が聞こえるのは、俺だけなのか?」
『そうだ。これは創造神様には内緒だからな。接触する対象は少ない方がいい』
「そうですか……」
どうやら念話さえも創造神に許されているわけではないらしい。こちらにまで責任が降りかかりそうで、エトウはネメシスのやり方に少し引いていた。
それにネメシスの声が他の者たちに聞こえないなら、エトウが一人で話しているように見えるだろう。それだと自分の頭がおかしくなったと思われるじゃないか、とエトウは憤ったが、相手は女神なので口には出さなかった。
『ふふ。お前も頭の中で念じれば、私に伝わるからな。やってみろ』
『……こうですか?』
『うむ、聞こえるぞ』
それでも立ったまま黙りこんでいたら大分おかしな行動である。エトウは一旦ネメシスとの会話を中断して、女神からの神託があったから少し静かにしていてほしいと皆に頼んだ。
聖剣創造のときのことを伝えていたパーティーメンバーとサニーは納得してくれたが、キーナレーンは半信半疑の顔である。聖騎士たちにいたっては、ずっと怪訝な表情のままだ。
『はぁ。ネメシス様、俺、変人扱いされてますよ』
『まぁ、よいではないか。説明は後でいくらでもできる。今は、魔王との戦いのことだ』
『はい……』
『聖杯などというものが、まだ残っていたとはな。あれもはるか昔、アウロラが人族に与えたものなのだ』
『ああ、やはり』
エトウは深くうなずいた。
『なんだ? 分かっていたような反応だな』
『龍脈の魔力を自在に操れるなんて、そんなもの人族がつくれるわけがないと思ったんです。だったら、ネメシス様に見せてもらった古代文明の遺産なんじゃないか、と』
『ほう。賢者らしいことを言うではないか。ちなみに、大神殿の地下には、龍脈の魔力を地上にまで引き上げる大型魔道具が設置されているが、それにも当時の技術が用いられている。ただ、そちらは純粋に人族の力によって再生したもののようだがな。人族は時々こういうことをする。神を驚かせたことを褒めればよいのか、それとも余計なことをしたと罰すればよいのか、悩むところだ。だいたい――』
『あ、あの、ネメシス様、魔王のことなんですけど……』
自らの話に夢中になりかけていたネメシスをエトウは止めた。勇者パーティーと魔王が今まさに戦っているのだ。ネメシスの話は興味深い内容だったが、人族の歴史について腰を落ち着けて語り合う余裕はなかった。
『おっ、そうだったな。話をもどそう。今代の魔王の特徴は、人の精神が残っていることだ。過去の怨念によって支配されている部分も大きいだろうが、歴代の魔王の中で人の精神を残して魔王化したものはいない。今代のように、聖杯を得るために大神殿を襲うとか、魔王の力で世界を征服するとか、そういった明確な目的を持って行動した魔王など皆無だった。もっと言ってしまえば、詠唱を用いて魔法を操る魔王すらいなかった。これまでの魔王は、ただ暴れまわるだけの魔獣に近い存在だったのだ』
『アービド二世が人為的に魔王になったために、そうした違いが生まれたのでしょうか?』
『おそらくな。今代の魔王は自らの意思で聖杯を使い、龍脈の魔力を際限なく取りこみ、これほどの巨体と力を得た。単純な魔力量だけを見れば、我らにも匹敵するだろう』
『なっ!? 神と同等ですか。それは……』
エトウとしても、魔王の体の大きさは脅威だと考えていた。通常の攻撃では致命傷を与えることは難しく、ロナウドの持つ聖剣にその可能性を見出そうとしていたのだ。
しかし、神と同等の魔力を持っているとしたら、魔王が倒れる前にこちらの体力や魔力が尽きてしまうだろう。勝利が大きく遠のいていくようだった。
『うむ。だから、一つお前に策を授けようと思う』
女神から助言をもらえるなら、それはエトウにとってありがたいことだ。しかし、ネメシスが前に話した創造神による制限が気になった。
『あの、創造神様には内緒だと先ほど聞きましたけど、そこまでしてもらって大丈夫なのですか?』
『余計なことを気にするな。私とて、これまでずっと堪えていたのだ。怨念のこもった霊気を地上から完全に取り除くことができるこの機会、決して逃すわけにはいかぬ。よいか、エトウ、これはお前にしかできないことなのだ』
『はい』
ネメシスは伝えるべきことをエトウに伝えると、『お前たちならやれるはずだ。健闘を祈っている』という最後の言葉を残して気配を消した。
その後もエトウが肩に乗るカーブを見つめていると、カーブは「なにか用?」とでも言うかのように首をひねった。どうやらネメシスは本当にいなくなったようだ。エトウがなにも言わないので、カーブは近くで様子を見守っていたコハクの胸に飛びこんだ。
「エトウ、もしかして頭を強く打った?」
カーブを両手で抱えたコハクが心配そうに尋ねた。
「打ってない。いや、頭は打ったけど、回復魔法で治ってる。今のは、本当に念話だったんだ」
「女神様と話してたの?」
「そうだ」
エトウがそう断言しても、周囲の反応はどこかうすかった。
それ以上説明しても仕方がないので、エトウは手に持ったままだったミスリルソードを鞘に収め、ロナウドたちの戦いに注目した。
ソラノが首をかしげて尋ねた。
「剣、使わないの?」
それはソラノから借りている剣だった。鞘にしまったのが気になったのだろう。
「ああ。ネメシス様に策を授けられたからな。少し様子を見る。剣は借りていてもいいか?」
「うん、かまわない」
エトウはロナウドたちの戦いをじっくり見ることにした。そうしないと、ネメシスに言われたことを実行する機会が得られないと考えたからだ。
ソラノとサニーの弓矢による攻撃も休んでもらった。魔王の注意をこちらに向けたくなかったからだ。
戦いの主導権を握っているのはロナウドたちである。
ロナウドの聖剣技、ラナの剣聖技、ミレイの極大魔法ヘルフレイム、どれも必殺といえるほどの攻撃力を持っている。それを各人が連携しながら、ときには囮になって魔王の注意を引きつけ、またときには最大の一撃を加える役割を担って、確実に攻撃を当てていっている。その連携技は巧みで隙がなかった。
「見事だな……」
エトウは思わずつぶやいていた。
自分が勇者パーティーを抜けた後、ロナウドたちがいかに鍛錬を積んで来たのかが、見ているだけで分かった。
魔王が巨体を使っていくら暴れても、勇者パーティーの連携はいささかも揺るがなかった。怖いのはブレス攻撃だが、ロナウドたちは魔王に魔法を放つ隙さえ与えていなかった。
ロナウドの持つ聖剣が光り輝く。三人が主役になれるだけの力があっても、やはり勇者であるロナウドが攻撃の要だった。ラナとミレイが魔王の動きを止めたところに、ロナウドの大技が決まった。
そのとき、横に並んで戦況を見つめていたサニーがエトウに言った。
「エトウ、見ているだけでいいのか? このままだと勇者たち、まずいと思うぞ」
「ええ」
押しているのはロナウドたちである。それなのに、魔王のダメージは見た目ほど大きくないように思われた。その一方で、ずっと戦い続けているラナや、ヘルフレイムを連発しているミレイは、疲労の色を隠せなくなってきている。
それに、魔王は聖剣で斬り裂かれた経験があるためか、ロナウドの攻撃だけはかなり警戒していた。攻撃自体は当たっているが、いつのまにか一部復活した漆黒の魔力を盾代わりに使い、大きなダメージになるのを慎重に避けていた。
サニーが心配したように、先に体力と魔力がなくなるのはロナウドたちのように思えた。
「あの巨体だからな。攻撃が当たっても、芯まで効いているか分からんのだ」
サニーは険しい表情で言った。
「そうなんですよね」
魔王は十メートルを超える大きさである。体の耐久力が自分たちとは違いすぎた。
龍脈の魔力を封じたことで、以前のように無限に魔力を使い続けることはできなくなったはずだが、今でも体の傷は徐々に回復している。体内に相当量の魔力が残っているのだろう。まだまだ油断はできなかった。
「ああ、ついに立ち上がったか……」
エトウの表情がいっそう険しくなった。
それまでずっと膝をついて戦っていた魔王が立ち上がったのだ。エトウが斬りつけた胸と腹の傷は、もうふさがったように見えた。
この戦況を大きく変えるには、魔王の耐久力や回復力を凌駕するような強力な一撃が必要だ。そしてネメシスがエトウに与えた助言こそ、それを実現する方法だった。
――さすがは女神様。なんでもお見通しだ。
エトウはコハクの肩に乗っているカーブを見つめた。
「キキッ?」
エトウの視線に気づいたカーブは首をかしげる。ネメシスがいまだカーブの目を通して状況を見ているのかどうか、エトウには分からなかった。
「観察はこのぐらいで十分だ。女神様からいただいた策を試してみる。みんなも協力してくれ」
エトウは皆に指示を出していった。
その後は、アモーを先頭に、全員でかたまって魔王のところへ向かう。
魔王は勇者パーティーとの戦いに集中していて、こちらなど気にしていなかった。そのためエトウたちはたいして時間もかからず、また魔力や体力を消耗せずに、十分な間合いに入ることができた。
「じゃあ、行ってくる」
「あっ、エトウ、待って」
魔王のもとへ飛び出していこうとするエトウをコハクが呼び止めた。そして体内の魔力を循環させ、龍神セイに教わった水属性の防御魔法をかける。
「フィルトレイト!」
コハクが魔法名を言い放つと、エトウの全身を水魔法の膜が包みこんだ。
「このぐらいしかできないけど、エトウ、がんばってきて。あと、これも。勇者パーティーの人たちは、水分補給もできてないでしょ。持っていってあげて」
コハクはそう言って、肩にかけられる革製の水袋をエトウに手渡した。
「ああ、助かる。あとのことは頼んだぞ」
皆が見つめる中、エトウは一人で走り出した。
魔王との距離が近づいてくると、最初にエトウに気づいたのがミレイだった。
「エトウさん!」
ミレイは少し後ろへ下がっていた。魔道士の体力で前線に居続けるのは難しいのだろう。それにいくら魔聖だといっても、魔力が無限にあるわけではないのだ。
エトウはミレイの傍らで足を止めた。
「ミレイ様、ポーション類は足りていますか?」
「ええ、そこは予備もありますけど、ただ今日はもう何本も飲んでいますから……」
ミレイは厳しい表情になった。
ポーションを立て続けに飲んでも効果はうすい。それは誰もが分かっていることだ。それでも言葉をにごしたのは、弱音を吐きたくなかったのだろう。
「俺の仲間たちが後ろから来ているので、ミレイ様はそちらに合流してもらえますか? 前衛と後衛を再構成した方がいいと思うんです」
ミレイは後ろを振り返った。アモーを先頭にした集団が、魔王の注意を引かないように時間をかけてこちらに向かっていた。
「ですが、ロナウド様とラナを置いて前線を離れるわけには……」
「ミレイ様、ここではどこにいても前線ですよ。前衛か後衛かの違いだけです。戦闘経験が豊富なミレイ様には、説明するまでもないでしょうけど」
ミレイはにらむようにしてエトウを見上げた。
「エトウさん、随分と立派な口をきくようになったのですね」
「ええ、これもミレイ様のご指導のたまものです」
「……ふふっ。少しはたくましくなったのかしら? いいでしょう。エトウさん、前衛はあなたに任せましたよ」
これでいい、とエトウは思った。
自分たちが合流した後、前衛と後衛がバラバラだと、最適な戦型をつくることができない。エトウはミレイの元を離れて、前方にいるロナウドのところへ向かった。
目の前には山のように大きな魔王がいる。覚悟がなければ、とても近づけないほどの威圧感を放っていた。
ロナウドとラナは飛行魔法で空を飛びながら果敢に攻撃を繰り出していた。ゴーレムの少年とグリフォンは聖杯を持ったまま姿を消しており、見える場所にはいなかった。
この距離に近づいて初めてエトウには分かった。魔王は空気中に漂っている濃密な魔力を吸収し、それすらも回復の糧としているのだ。
先ほどまで龍脈の魔力が噴き出していたために、周辺の魔力濃度は依然として高かった。これでは聖杯を奪い返した意味があまりない。少なくとも空気中の魔力濃度が下がらないうちは、魔王の回復を止めることはできないだろう。
だが、そんなことはなんの言い訳にもならなかった。勇者パーティーが勢揃いしているこの場所で魔王を倒せなければ、もう二度と討伐の機会はめぐってこないだろう。エトウたちも追い詰められているのだ。
「エンチャント・ホーリー」
エトウは剣に聖魔法の付与を行った。雷魔法の付与ほど使い勝手はよくないが、魔力消費が少なくて済む。
すぐさま飛行魔法で飛び上がったエトウは、魔王の太ももに誰かがつけた傷をめがけて剣を振るった。魔王がまとっている魔力の衣は穴だらけだ。それもあって、エトウの一撃は傷を深くえぐった。
「くっ、また小虫がもどったか!」
魔王にとってエトウは、どこまでいっても小虫程度の存在らしい。腹立たしい言われ様だが、小虫にもできることがあるのだと証明してやろうと思った。
「はっ!」
エトウは魔王の太ももに剣を突き刺した。そして再び魔力をこめて、聖魔法の付与を重ね掛けする。周囲に漂っている濃密な魔力も利用し、エトウの剣が聖属性の光に包まれた。
「おらぁぁぁ!」
あまりあげたことのない気合いの声がエトウの口から飛び出した。魔王の傷が一気に広がり、太い血管を傷つけたのか、大量の血が噴き出した。
「このぉぉぉ!」
魔王の怒鳴り声が響く。
そのときになって、後衛から弓矢と魔法の攻撃が始まった。ミレイとソラノたちが合流したようだ。彼らは魔王の顔にねらいを絞っている。
魔王はその攻撃を嫌がり、手をかざして直撃するのを防いだ。先ほど、頭を燃やされ、両目に矢を当てられたことをしっかり覚えているのだろう。
「エトウ!」
魔王からの圧力が減ったことで、ロナウドは攻撃を一旦やめてエトウの近くに着地した。
「ロナウド様、まずは喉を潤してください」
「ああ、すまぬな」
エトウは肩にかけていた水袋を手渡した。ロナウドはごくごくと喉を鳴らして水を飲んだ。
「はぁ、生き返ったぞ!」
魔王と違って、人族は水の補給や食事をしなければ思いきり動けない。そういった意味でも、戦いが長引いた場合はこちらが不利になるのが目に見えていた。
「ロナウド様、相談があります」
「うん?」
エトウは女神ネメシスから接触があったことを伝えた。
ロナウドには聖剣を渡している。聖剣を創造したときのこともからめて説明すると、なんとか信じてもらうことができた。
「しかし、そんなことが本当に可能なのか?」
「ええ、できると思います」
エトウは言い切ったが、むしろ開き直りの心境だった。
――こちらの優位は徐々に崩れつつある。だからといって、魔王を倒すための方法は他に見つかりそうにない。俺たちに与えられた選択肢は多くないんだ。ネメシス様ができると言ったのだから、きっとできるはず。
そうやって自分自身を納得させるしかなかった。
ロナウドと別れたエトウは、ラナにも水袋を渡し、作戦について説明した。
作戦開始のきっかけはネメシスに任せている。この戦場にいる誰にでも分かる形で、魔王に隙が生まれることになっていた。
残すところあと二話となりました。長く続いた物語も来週には終わります。
一話ずつの分量が多くなり、読みにくいと思った方もいらっしゃるかもしれませんが、どうぞもう少しだけお付き合いください。




