76. 聖女の願い
エトウが振り返ると、聖女キーナレーンと聖騎士たちが立っていた。
ここまで近づかれても気づかなかったのは迂闊だった。濃密な魔力が周囲に漂っていることで、他人の魔力に鈍感になっていたようだ。それに巨人化した魔王や龍脈の暴走についてラナから話を聞いていたため、魔力探知をおろそかにしていたのもある。
「あなたは……どうしてここに……?」
エトウにとってキーナレーンは帝国側の人間である。大神殿の中に閉じこもり、籠城を続けていると思っていた。それなのに外へ出ていて、しかもラナたちは捕まえようともしない。それが不思議だった。
「魔王は、私どもから奪った聖杯を使って龍脈を操っています。その聖杯を奪い返さないことには、先ほどのように龍脈の魔力を吸収し、幾度でも自らの傷を治してしまうでしょう。どうか私を魔王のもとへお連れください。きっとお役に立てると思います」
「……キーナレーンさん、あなた、どういうつもりなんです? いい加減にしてほしい!」
エトウは腹が立っていた。キーナレーンがあまりに勝手なことを言っているからだ。
エトウの敵意を受けて、聖騎士たちがキーナレーンを守るように前に出てこようとしたが、彼女はそれを止めた。
「エトウさん、お怒りなのは理解できますが――」
「ラナ、これは一体どうなっているんだ? 聖女と共闘しているのか?」
エトウはキーナレーンの話を聞かずに、ラナへと視線を向けた。
「えっ、いや、そういうわけじゃないけど……」
「じゃあ、なぜ彼女がここにいる?」
「あのね……彼らのうちの一人が、魔王に食べられてしまったらしいの」
「なっ!? そこまで魔王は化け物になったのか!?」
「うん……。それで、その後、魔王はその聖騎士の人を吐き出したんだけど、人間だったときの意識はなくしていて、こちらに攻撃してきたから、ロナウド様と私が戦うことになったの。でも、結局、その人を元にもどすことはできなくて……。そのときに、彼女も大神殿から出てきたんだ」
「じゃあ、聖女が外にいることは、ロナウド様も知っているんだな。それで放置していると?」
「うん……」
そこまで聞いて、エトウはやっとキーナレーンの方を見た。
「一応の事情は分かりました。ですが、魔王が暴れているこの非常事態の最中に、あなたは仲間の敵討ちをしたいのですか?」
エトウの口調はこれ以上ないくらいに冷たいものに変わっていた。そんな自分勝手な理由で、魔王との戦いを邪魔されたくなかったのだ。
「……それもあります。ただ、魔王を前にして、聖女の神託を受けた私が、なにもしないわけにはいきません。どうか一緒に戦わせてください」
キーナレーンはエトウに向かって深々と頭を下げた。
「随分と、おかしなことになっていると思うんですよ。あなた方は帝国の命令で動いていたんですよね。あの魔王が、皇帝アービド二世だってこと、知っているのですか?」
「えっ!?」
「やっぱり知らなかったか……」
エトウは大きなため息をついた。
キーナレーンだけでなく聖騎士たちも驚いた表情になっている。
「それは真のことでしょうか?」
「ここで嘘を言っても仕方がないでしょ。王国軍の上層部にとっては常識になっています。いや、そうでもないか。国境沿いの戦場にいなかった部隊は、まだ知らされていないかもしれない。でも、とにかく、王国魔法士団の団長であるピューク様が、皇帝が魔王になるところを目撃しています。アービド二世は配下だった『恐るべき子供たち』に命じて、龍脈の魔力を地上にあふれさせ、その魔力を浴びることによって魔王になろうとしたんです。あなたのところの皇帝、頭がおかしいんじゃないですか」
「そ、それでは、私たちは、魔王に味方していたことに……」
「その通りですよ!」
エトウのにべもない返答に対して、聖騎士の一人が怒りをあらわにした。
「そんなことは嘘だ! 陛下が魔王になどなるわけがない! キーナレーン様をたぶらかして、貴様はなにをねらっている!」
「知るか! 俺は魔王を倒しにいく。俺の言ったことが信じられないなら、そちらも勝手にすればいいだろ。でも、邪魔だけはするなよ。この戦いが世界の命運を決めるのは、嘘でもなんでもないんだからな。アモー、ラナ、行くぞ」
エトウはこれ以上話しても時間の無駄だと思った。どうせ周囲は王国軍に包囲されている。これほど目立つ人間が逃げおおせることなどできないだろう。
それに聖女がどこに行こうが、エトウは気にしていられなかった。魔王と戦うことで頭がいっぱいだったのだ。
エトウは走り出した。アモーとラナもそれに続く。
視線の先では、ロナウドが聖剣で魔王を斬りつけていた。
龍脈の魔力は出っ放しになっていて、魔王はそれをずっと浴びている。常人ならば魔力過多で破裂してしまいそうなのに、魔王はそれを吸収しているようだ。
「エトウ、後ろ、ついてきてるけど……」
ラナが小声で言った。
キーナレーンと聖騎士が後をついてきていた。エトウも気づいていたが無視していたのだ。
「魔王と戦いたいなら止める必要はないだろ? 好きにさせておけ」
「うん……」
女神から特別な神託を受けた勇者、剣聖、魔聖、賢者、そして聖女が、まがりなりにも魔王を前にして全員揃ったことになる。
――だけど、神託を授けたネメシス様も、こんなおかしな形で揃うとは想像していなかっただろうな。
エトウは走りながらため息をつきたい気持ちだった。
それにキーナレーンの言葉を信じるなら、魔王は聖杯という厄介なものを手に入れたようだ。それを使えば、龍脈を自在に操れるらしい。そうすることで魔王は魔力を補い、世界を支配するまで戦い続けるつもりなのだろう。
魔王が大神殿を目指していたのはその聖杯を奪うためだったのか、とエトウは一人で納得していた。
――だが、なんの代償もなしに、あれほどの速度で傷が治るはずがない。きっとかなりの魔力を必要とするのだろう。だから、聖剣で斬られ、怪我を治している今は、龍脈の魔力が噴き出している場所から離れられないんだ。
魔王の再生能力のことを考えていたエトウは、あることを思いついて後ろを振り返った。キーナレーンと聖騎士はしっかりついてきている。
彼女がこちらの味方になれば、傷を負ったときに回復魔法をかけてもらえるだろう。ポーションしか回復手段がないのに比べたら雲泥の差である。魔王の再生能力に対抗できるのは、聖女の固有魔法以外に思い当たらなかった。
――突き放した言い方をしたのはまずかったか……。だけど、素直に受け入れるのは難しいよな。いうなれば、彼らは帝国軍の先遣隊なんだから。
山脈下の大穴を通って王国領に入り、国境沿いのビトー村、辺境伯領中央の町ケムト、それから領都ベールと、キーナレーンたちが通ってきた道が、そのまま帝国軍の侵略経路となっている。
王国側からすれば、彼女たちは侵略者の尖兵であり、一度は味方面して民衆を味方につけたことで、憎き裏切り者となっていた。
エトウは頭を一振りして雑念を消した。キーナレーンのことは、なるようにしかならないだろう。目の前に魔王がいる。そのことだけに集中すべきだった。
丘を麓まですべり落ちた魔王はそこから動かず、龍脈の魔力を浴びながらロナウドと戦っていた。
少し丘を登ったところに後衛陣が陣取っている。ソラノ、サニー、コハク、カーブ、そしてミレイの四人と一匹だ。
彼らは元の場所からあまり動いていない。丘の上に向けていた体を、魔王がすべり落ちていくのに合わせて下に向け、以前と同じ攻撃を繰り出していた。
そこにエトウが近づいていくと、ミレイがずいと前に出てきた。
「エトウさん、あなた、少し遅かったのではなくて?」
「ええ、こちらもいろいろありまして……」
ミレイのいつも通りの口調に、エトウは苦笑いしながら答える。ミレイはまったく動揺していないエトウを見て、つまらなそうな顔になった。
「もういいですわ。そんなことより、ロナウド様に聖剣を渡していましたね。見ていましたよ。エトウさん、あなたは聖剣を隠し持っていたのですか?」
「違いますよ。えーと、まぁ、女神様からの神託を受けた感じです……」
「まぁ、女神様はやはりなんでもご存知なのね! ロナウド様の助けになるように、聖剣をお与えになったのだわ!」
ミレイが勝手に納得してくれたので、エトウはほっと一安心した。
「ソラノとサニーさんは、今まで通り、遠距離からの攻撃を頼みます。ソラノ、矢はまだ大丈夫か?」
ソラノたちは背負い袋に大量の矢を入れていた。そこには世界樹からつくられた貴重な矢もあれば、武具屋で購入した既製品や属性魔法が付与された特別なものもある。だが、それでも矢は消耗品である。魔王との戦闘が長引くと足りなくなる恐れがあった。
「大丈夫。王国軍に補充してもらったから」
ソラノは魔王の方へ移動している王国軍の部隊へ視線を向けた。そして、王国軍の指揮官や部隊長と顔見知りのミレイを通じて、矢の補充を受けたことを説明した。
「そうか、だったら一安心だな。あと、コハクも、魔王はなにをしてくるか分からないから、注意しておいてくれ」
「任せておいて」
「キキッ!」
コハクの肩に乗っているカーブも、返事をするように鳴き声を返した。
「ああ、カーブも頼んだぞ」
「キュッ!」
エトウが話を切り上げて魔王の元へ向かおうとすると、またミレイが騒ぎ出した。ミレイはキーナレーンの存在に気づいて、彼女に詰め寄っていたのだ。聖騎士たちの存在などお構いなしの迫力で、「聖女の神託を受けた者が、帝国の味方をするなんて、どうかしています!」と怒りの声をあげている。
ラナが慌てて仲裁に入り、ミレイを両手で押し留めて、キーナレーンたちの事情を簡単に説明した。ミレイの直情的な言動にコハクまでも呆れ顔になる中、ラナのおかげでなんとか場が収まった。
――ネメシス様、本来の勇者パーティーが揃いましたが、相性はよくないみたいですよ。
エトウは心の中でそうつぶやいた。
そのとき、魔王のいる方向から聖魔法の光があふれた。ロナウドの持つ聖剣の輝きである。再び聖剣技を放つのか、とエトウがそちらを注視していると、魔王の魔力が一気にふくれ上がるのを感じた。
「なんだ、魔王はなにかするつもりだぞ!」
エトウは警戒の声をあげて皆に注意をうながす。
次の瞬間、魔王の体を覆っている漆黒の魔力が大きく揺れ動き、そこから辺りを埋め尽くすほどの魔物があふれ出したのだった。




