50. さらなる力を
(魔王アービド二世視点)
アービド二世は、大神殿の方向から魔力の波動を感じた。それは龍脈由来の魔力に間違いなかった。
視線をそちらへ向けると、大神殿の上階にいる騎士の手に聖杯が握られているのが見えた。それこそが、わざわざここまで足をのばした理由だった。
――あれを奪え!
心の声が命じる。
国境沿いの砦でその声を聞いて以来、アービド二世の視界は真っ赤に染まったままだ。
声は一人のものではなかった。複数の人間が繰り返し耳元でささやくのだ。望むままに行動しろ、誰にも奪われるな、世界のすべてを手に入れろ、と。
血のつながった息子であるアーキルから魔力を奪ったときのように、あるいは長年自らに仕えたメイナードから生命力すらも吸い尽くしたときのように、アービド二世はさらなる力を欲する激しい衝動に支配されていた。
もはや、どこまでが自分の意思や欲求なのか定かではなかった。アービド二世の精神は、波間に漂う浮きのように頼りないものになっている。抗いがたいその声に従い、アービド二世は龍神たちとの戦闘を放り出して、龍脈の魔力光に包まれた騎士のもとへ飛んでいった。
「オロロロロロロロロォォォ!」
大口を開けた喉の奥から、歓喜の声があふれ出す。
ガーゴイルと騎士に体ごとぶつかり、そのまま大神殿の中へ飛びこんだ。埃が舞い上がり、視界がさえぎられる。ガーゴイルの石の体は砕けた。即死だろう。一方、騎士の方も、当たった衝撃で体が二つに裂けてしまった。かすかに息はあるが、もう長くはないだろう。
そこでアービド二世は焦りを覚えた。聖杯は、かつて存在したエーベン公国の末裔にしか使えないことを思い出したからだ。先ほど、騎士の体には龍脈由来の魔力が見えた。つまり、大怪我をした騎士こそ、公国の末裔である可能性が高かった。
心の声が命じるままに行動すると、しばしばこうしたことが起きる。冷静な判断ができなくなるのだ。龍神セイと戦っている間にも、以前の自分だったら考えられないような衝動的な行動が多くなっていた。
――しまった! 聖杯が使えなくなるのはまずい!
聖杯のことは、今回の計画を立案したアーキルから聞いていた。大神殿に聖結界を張るためには、そういった魔道具が必要だと教えられたのだ。
当時、その肝心の魔道具が入手できておらず、敵地で奪還するとの話だったので、うまくいけば儲けものぐらいに考えていた。聖女や聖騎士たちの工作がうまくいかなくても、山脈のトンネルを利用した侵攻によって、相当な領土を奪い取れると算段していたのだ。
聖騎士の中に公国の末裔がいるとの話だったが、幾人いるのかは聞いた覚えがない。上半身と下半身が分かれてしまったその騎士以外に、聖杯を使うことのできる末裔とやらが存在するのかは不明だった。
「くっ、な、ならば、その力ごと、よ、余のものにしてくれるわ!」
すぐ近くに転がっていた騎士の上半身を持ち上げ、したたる血をごくごくと飲みこんだ。突然、胸がドクンとはね上がる。力が身の内に入ってきた。そして、「もっと寄こせ!」という声が耳の奥で聞こえ出す。
アービド二世の顎が外れたようになり、蛇が獲物を捕らえるときのように大口を開くと、騎士の上半身を躊躇なく丸呑みにした。大きく膨れたアービド二世の体が、たちまちのうちに元にもどっていく。
「わ、分かるぞ。ち、力さえも吸収できるのだ。そ、その血肉さえも、余のものにできて当然であろう!」
アービド二世は、舞い上がった埃で視界が悪い中、床に落ちている聖杯の位置が正確に分かるようになっていた。そこに向かい、なんの問題もなく聖杯を拾い上げた。そのとき誰かが風魔法を使ったようで、室内の埃が一気に晴れて視界がもどる。アービド二世の手には、龍脈の魔力に覆われた聖杯が握られていた。
「ふはははは。や、やっと手に入れたぞ!」
アービド二世は高揚感に包まれた。だが、視界が晴れたことにより、室内にいる者たちにも意識が向いた。
「うん? なんだ、お、お前たちは?」
「……」
その男女の二人組はなにも答えなかった。大神殿の騎士と神官のように見える。そうした者たちが身に着ける武具や服装だった。
「ふんっ、ど、どうでもよいか」
いずれこの土地は自分のものになる。女神教の大神殿ならば残してやってもよい。アービド二世はとにかく聖杯を欲していた。メイナードと腐り神の魔力を取り込んだとき、聖杯さえあれば自分に敵はいなくなると本気で考えたのだ。
腐り神の能力である超再生には大量の魔力を使う。では、その魔力を無制限に使えたらどうなるか。何者も自分を滅ぼすことはできなくなる。聖杯はそのために最適な魔道具だった。
アービド二世は飛行魔法で大神殿の外に出ると、聖杯を高くかかげて叫んだ。
「せ、聖杯よ、この地を、龍脈の魔力で、み、満たすのだ!」
たちまち地震が起き、地割れから龍脈の魔力があふれ出した。その奔流の一つにアービド二世は自ら飛びこんだ。
「おおおおお! ま、魔力が体を駆け巡る! こ、これで余は、無敵の支配者となるのだ!」
アービド二世の体がどんどん大きくなっていった。
膂力や魔力なども大幅に向上し、自分が自分でなくなってしまう恐怖に襲われた。しかし、それも一瞬のことで、体に巣くう者たちの声が恐怖をかき消した。これでいいのだ、と声は叫んでいた。
いまだ残っていた聖結界を力任せに押してみる。ギシギシと音を立ててたわんでいった。空いている右腕で拳をつくり、聖結界を殴りつけてみた。すると、金属が押しつぶされたような音を残して聖結界は粉々に砕け散った。
「き、貴様ら王国の民に、ま、魔王の力を見せてやろう!」
この大いなる力を思うがままに振るい、自らの意に従わぬ者たちに絶望を与えたい。その暗い欲望が、アービド二世の胸の内を満たしていた。




