36. 葬儀
冬の冷たい雨が降っていた。
キリングワース侯爵家の墓地に棺が納められ、司祭の長い言葉が終わると、下男の手で土がかぶせられた。雨に濡れた参列者たちは、当主やロナウドに声をかけて離れていく。今日葬られたのは侯爵家の第一夫人レイラ・キリングワース、ロナウドの実母だった。
このとき、ロナウドは十六歳。勇者の神託を受けて、王城での訓練が始まっていた。母の具合が悪いという話は聞いていたが、それから数日後、急性の肺炎にかかった彼女は、あまりにもあっけなく命を落としてしまった。
母親の死を知らされたロナウドは、すぐには事実を認めることができなかった。実家にもどり、母親の死に顔や使用人たちが涙を流す姿を見て、頭ではそのことを理解したが、心はどこかに置いてきてしまったようになにも感じなかった。
雨でずぶ濡れになりながら墓石を眺めていても、悲しい気持ちにならない。冷たい雨で体の芯まで冷えているはずなのに、寒ささえも感じなかった。身も心もなにかを感じるのを拒否しているかのように麻痺していた。
「ロナウド、家にもどるぞ」
ロナウドが顔を上げると父親が立っていた。その傍らには、第二夫人とその息子であるラルクが寄り添っている。
ラルクは四歳上の兄である。父親は不倫相手に先に子供をつくり、その後、第二夫人として家に招き入れたのだ。ロナウドの母親が精神的に追い詰められていったのは、父親のそうした行いのせいだった。
その三人が寄り添っていると、本当の家族のように見える。ロナウドと母親など、もともと侯爵家に存在していなかったかのようだ。
――母上が亡くなって、この人たちはやっと気兼ねなく家族になれたのか……。
箱入り娘として蝶よ花よと育てられたロナウドの母親は、平民の愛人を第二夫人にするような父親の下品な行為を許せなかった。第二夫人は没落した貴族家出身だったが、しばらくの間、平民として市井で暮らしていた女性である。そんな人間を家に入れてしまったら、社交界で母親の立つ瀬がなくなるのは目に見えていた。
しかも、嫡男であるロナウドよりも年上の子供までいるのだ。噂話の恰好のネタになるのは避けられなかった。
母親は父親からの愛情を感じられなくなり、第二夫人とその息子が家にいることで強いストレスも感じていた。そのときに彼女がすがった希望の光はロナウドだけだった。それまで以上にロナウドの教育に力をそそいだのだ。
以前、父親が気まぐれに褒めたロナウドの剣術の才能を伸ばすため、わざわざ親類に頼んで腕のよい指南役を雇い入れた。それが後に不倫相手となるラードだった。
結果的にそうなってしまったが、母親は不倫相手を求めていたわけではなかった。ロナウドに成長をうながし、少しでも父親の関心が自分たちに向くようにして、希薄となってしまったその関係をつなぎとめようとしていた。
だが、いつからか母親の精神は壊れ始めた。ロナウドへの要求は苛烈になり、手の皮が破けて血まみれとなっても剣術の鍛錬を休ませなかった。大会で年齢相応の結果を残しても、一切褒められることもない。
第二夫人の息子であるラルクに剣術の才能があったことで、比べられる機会も増えた。ロナウドとしては、四歳上ですでに成人している兄と比べられるのはつらかったが、それでも母親に認めてもらいたい一心で鍛錬にはげんだ。
そうしたいびつな親子関係は、母親の不貞行為によって終わりを告げた。それ以来、ロナウドは家に寄りつかなくなり、たまに帰ったときでも本宅とは距離がある離れで寝起きし、家族とは顔を合わせなかった。
その結末が、母親の突然すぎる死だった。
今さらロナウドに父親や第二夫人に対する怒りはない。どうでもよい存在になっていた。ロナウドの胸を占めているのは空虚さだけだった。
「ロナウド、大丈夫か?」
今度はラルクが正面に来てロナウドに話しかけた。
兄の外見は父親によく似ている。母親似のロナウドとはあまり似ていない。兄は真面目な性格で、侯爵家を継ぐことが決まっていた。
勇者の神託を受けた者は、魔王の顕現に備えなければならず、貴族家の当主になるのは難しいという事情はある。だが、父親が第二夫人とその息子のラルクにことさら愛情をかけているのは、ロナウドから見ても明らかだった。自分似のかわいい息子に家を継がせたかったのだろう、とロナウドは思っていた。
「ロナウド!」
ラルクはロナウドの両肩に手を置いて揺すった。
「うるさいな」
「なんだと?」
「邪魔者がいなくなってよかったじゃないか。私も勇者の務めがあるから、めったに家には帰らない。侯爵家はお前たちの好きにしろ。思い通りになってよかったな」
「ロナウド、お前なんてことを!」
ラルクはロナウドの胸倉をつかんだ。
「なんだ、この手は?」
ロナウドは、ラルクの手首をつかんでひねりあげた。
「くっ!?」
ラルクの顔が苦痛にゆがむ。立っていられなくなって、雨で濡れた地面に膝をついた。
「ラ、ラルク! ロナウド様、どうかお許しを!」
第二夫人が駆け寄ってきてラルクを背中から抱きしめた。その目にはロナウドへの恐れが見えた。
安っぽい家族の芝居を見ているようだ、とロナウドは思った。途端になにもかもが馬鹿らしくなる。そして最初から気持ちは冷めていたことに気づいた。
「目障りだ、消えろ」
離れた場所からこちらを見ていた父親はなにも言わなかった。三人はそそくさと馬車に乗り込み、ロナウドを置いて帰っていった。まだ残っていた参列者が一部始終を見ていたが、ロナウドにとってはどうでもよかった。
母親の墓石に視線をもどす。もう家族はいない、とロナウドは思った。少なくともあの三人を自分の家族とは思えなかった。参列者たちがいなくなり、墓地に一人となっても、ロナウドは墓石の前に立ちつくしていた。




