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8. ベールの赤鬼

 赤鬼の邸宅はエトウがあまり見たことがない木造建築だった。

 玄関で靴を脱ぎ、案内人の後について長い廊下を歩いていくと、隣の建物まで渡り廊下が続いていた。


 渡り廊下の左手には配置や高さなどが調整されたさまざまな木々が植えられ、その間を縫うように石畳の小道が作られていた。

 右手を見ると、建物群の間に挟まれるようにして池があり、水辺の環境が品良く再現されている。

 その池からは建物奥に向けて川が流れており、その上にかけられた橋を渡ってエトウたちは三つ目の建物に入った。


 ずいぶんと歩かされたが、その途中で左右から監視されている気配があった。長く歩かせるのは防犯上の措置かもしれない。


 案内された部屋のソファに腰掛けると、南方や東方地域でよく飲まれるという緑茶が出された。紅茶ほど香りは強くないが、とろみがあって飲みやすい。


 エトウの正面には文字が書かれた長い掛け軸がかけられ、剣身が細い二本の剣が鞘に収められて剣置きに乗っていた。


 橙色の果物をかたどった菓子が、きめの細かい紙の上に乗せられて出てきた。

 脇にあった木製のフォークで半分に切って口に入れると、果実のほのかな甘みと香りが口中に広がる。


 そのとき左手の引き戸が開かれて数人の男が入ってきた。

 先頭の男だけがエトウたちのところまでやって来て、あとの者たちは壁際に待機する。

 壁を背にした強面の男たちが、護衛なのか、それとも虚仮威しのつもりなのか、エトウには判断できなかった。彼らの戦闘力はそこそこというところだろう。


「待たせたな、カマラン。今日はよく来てくれた。そしてあんたがエトウさんか。王国の英雄に会えて光栄だ。俺はエラドという。どうせカマランから聞いているのだろうが、ベールの赤鬼などと呼ばれている者だ」


 エラドはカマランとエトウに右手を差し出して握手を求めた。


 赤鬼などというからアモーのような大男を想像していたが、エラドは人間族の中では長身のカマランよりも少し低いぐらいだった。

 年齢はカマランと同世代、五十代半ばぐらいだろう。


 顔が赤いわけでもない。

 体は鍛えているのか筋肉質だが、戦闘を生業にしている者の身のこなしではなかった。

 鉱夫などの肉体労働者に近いような体つきだ。


 髪と目の色は茶色。多少赤みが強いかなといった程度だ。

 エラドが赤鬼と呼ばれる理由をその外見から探していたエトウだったが、唯一それらしい特徴としては、彼の額中央にある小さな出っ張りだった。

 しかし、それは鬼の角というにはあまりにもささやかな大きさである。


「これか?」


 エトウの視線に気づいたエラドは指で自分の額を差した。


「俺は少しだけオーガ族の血が入っていてな。角になりきれずコブがある訳だ。中途半端で笑うだろ?」

「いえ、自分のパーティーメンバーには、オーガ族の戦士とその娘のハーフオーガが所属しています。それもあって、エラドさんの額のものはもしかして角なのではと見てしまったのです。失礼しました」

「ほー、そうか。そのハーフオーガの娘さんは角が一本なのか?」

「はい。額の中央に角が一本です」

「生える場所は変わらないんだな。俺のも角らしくもっと伸びてくれれば、見栄えも少しはましになるだろうに」

 エラドは豪快に笑った。

「今夜はそんな話じゃなかったな。カマラン、早速だが本題に入らせてもらうぞ」


 エラドの言葉にカマランは黙ってうなずく。


「前領主代理の誘拐にかかわっていたのは、グドー一家の二十人程度だ。グドーと幹部四人の居場所はこちらで把握している。一家に名を連ねる者たちのリストも用意した。さすがに仕事ごとに雇うような末端のごろつきはリストにないが、うちの情報があれば主だった者を全員引っ張れるはずだ」

「それでは、まずそのリストを拝見しましょう」


 カマランはテーブルの上に乗った書類に手を伸ばす。


「おっと、待ってくれ」

 エラドは片手でカマランの動きを止めた。

「こちらからは情報を提供する。カマラン、次はそちらの順番だろうが」

「なるほど。それが道理ですね。あなたが用意した情報が私どもの求めるものならば、騎士団に捜索範囲を限定するように通達を出します。上層部には容疑者のリストと居場所を教えることで折り合いをつけるようにしましょう。そうすればスラム街全体に無用の混乱を引き起こすような事態は避けられるはずです」

「その確約はとれるのか?」

 エラドは厳しい視線をカマランに向けた。

「ええ。こちらの誓約書に私が署名を入れます」

 カマランは懐から封筒を取り出してテーブルの上に置いた。

「中を見せてもらうぞ?」

「ええ、どうぞ」


 エラドは封筒から一枚の紙を取り出す。

 二度、三度と読み返すと、カマランを見ながら「これでいい」と言った。


 話にはまったく参加していないエトウだったが、目の前でどんなやりとりが行われているのかは理解できた。

 エラドは、騎士団によるスラム街掃討作戦によって、誘拐事件と関係ない者まで被害を受けるのを避けたいのだ。


 騎士団としては、怪しい者がいれば多少強引なやり方を使っても根こそぎ捕らえたいと考えているだろう。そのための大規模な掃討作戦である。


 その中で無関係な者も多く逮捕されるかもしれない。

 エトウが掃討作戦について聞かされたとき、どこまでが誘拐事件の加害者なのか、その線引きが難しそうだと思っていた。


 例えば誘拐事件が起こっている最中、詳しいことは知らされずに見張りをしていた者の罪はどのくらいなのだろうか。

 監禁されていた被害者たちを、上から命じられるままに見張っていた者もいただろう。

 奴隷商人の命令で、スラム街から奴隷商館まで被害者たちを護送した者もいたはずだ。

 借金奴隷や犯罪奴隷を移動させると聞いていれば、護衛の仕事を引き受けた者は疑問を持たなかったのではないか。


 事件が小さければ見逃されるような罪であっても、今回はそうならない可能性が高い。

 王国騎士団の団長ムジークが、犯人の捕縛や被害者の救出のために動いているのだ。

 それは事件がエーベン辺境伯領内に留まらず、王国全体の問題として扱われるようになったことを意味する。

 騎士団としては面子にかけても有罪の証拠を集めるだろう。


 厳しい取り調べによって心身ともに衰弱した容疑者が、やってもいない罪を認めてしまうこともあるかもしれない。

 疑わしい者が片っ端から捕らえられ、軒並み有罪にされるような事態になれば、エラドの面目は丸つぶれだろう。


 ベール内での無用の混乱を避けたい辺境伯と、スラム街の被害を最小限に抑えたいエラドは利害が一致する。

 勇み足の騎士団が少しかわいそうな気がしてきた。

 エトウがそんなことを考えている間も、カマランとエラドの交渉は進められていた。


「よし。これで俺の面目も立つ。スラム街全体が大騒ぎになるのも避けられるだろう。恩に着るぞ、カマラン」


 これで誘拐事件の犯人は騎士団によって捕縛され、スラム街が無用の混乱状態になることもない。

 めでたし、めでたし。裏取引も悪いことばかりではないね。

 だけど、本当にそれでいいのか?

 なにかおかしくないか?

 エトウは胸の奥から湧き上がってくる強い感情がなんなのか分からずに戸惑っていた。

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