8. ターンアンデッド
エーベン辺境伯領は、北側に王国でも最高峰となる山脈を抱えている。
それが豊富な水量を誇るユクシード川の水源地帯だ。
ベールの北から東に多く見られる大小の川も、水源をたどっていけは同じ場所に到る。
その一方で、トーワ湖に流れこんでいる複数の川は、辺境伯領南西にある山脈が水源だ。
森林地帯を抜けてくる川の水には豊富な栄養素が含まれており、多様な生物が生息できる環境をトーワ湖にもたらしている。
冒険者による定期的な魔物討伐も、湖周辺の環境を守るのに一役買っているようだ。
エトウたちはトーワ湖の南西にある川のそばで陣を張った。湖に流れこむ川の中で、もっとも水量が多い川である。
エトウは川の流れの勢いも利用しながら、ターンアンデッドの効果を少しでも広げようと考えていた。
司祭たち二十六人は、湖から十歩ほどの距離を取り、ひざをついて祈りを捧げる姿勢で魔力を高めている。
その周囲には大きな盾を持った三十人の騎士たちが護衛につく。
そして、その外側では、早くも湧きだしたスケルトンフィッシュを冒険者たちが討伐していた。
エトウは司祭の傍らで聖剣を抜き放ち、そのときを待っていた。
コハク、ソラノ、アモーの三人は、エトウの周囲を固めて護衛に徹している。
「エトウさん、我らの準備は整いました。合図を頂ければ、ターンアンデッドの儀式魔法をいつでも放つことができます」
司祭は言った。
聖職者たちの魔力が全身をめぐり、いつでも属性変化を起こせる状態であることがエトウにも分かった。
「フランチェスコ司祭様、それではお願いします」
エトウはそう言うと、聖剣の切っ先を高くかかげて、牧師や修道女から見えやすいようにした。
そして剣身を魔力で覆っていく。
「分かりました。それでは皆さん、私の詠唱に続いてください」
全員がうなずき、集中が高まっていく。
「さまよえる魂の抜け殻よ」
司祭が厳かな声で唱える。
「さまよえる魂の抜け殻よ」
聖職者たちの詠唱はぴったりと重なり合い、その響きが周辺の空気に伝わっていく。
「大いなる流転の渦に立ち返り」
司祭の上空に光の球が浮かび上がった。
「大いなる流転の渦に立ち返り」
その光の球が強く輝き始める。
「生の理に従え」
広がっていた光の帯が一点に集約されていく。
「生の理に従え」
球形だった輝きは一本の光の矢に変化した。
そして、右手を聖剣へとかかげた司祭と聖職者たちの声がそろう。
「ターンアンデッド!」
空中を飛んできた光の矢はエトウの持つ聖剣に命中した。
魔法の衝撃はそれほどでもなかった。
しかし、ターンアンデッドを受けた途端、聖剣が激しく震え始め、制御できない状態となっていた。
エトウは我知らず声を出しながら、なんとか聖剣の制御を取りもどそうと苦戦していた。
「大丈夫だ。魔力自体は安定している。久しぶりに大きな魔力を流されて驚いているだけだ。落ち着け、落ち着け、落ち着け――」
エトウは自分の魔力を安定させて、その上に司祭たちから受け取った魔法をのせていく。
すると聖剣の震えが少しずつ収まってきた。
震えが完全に収まったとき、それまでで一番強い光が聖剣からあふれ出した。
エトウはパーティーメンバーにうなずいて合図を出すと、アモーを前方に、コハクとソラノを左右に置きながら、川が湖に流れ込んでいる地点まで駆け寄った。
周囲のスケルトンフィッシュは、聖剣からの光を浴びただけで溶けるように消えていく。
湖のすぐ近くまで来ると、アモーがさっと横にずれて道を開いた。
エトウは一歩踏み込んで湖を見据える。
湖面上には無数のスケルトンフィッシュが浮き上がってきていた。
「ターンアンデッド!」
エトウは鋭い声で魔法名を叫びながら、高くかかげた聖剣を湖面めがけて振り下ろした。
聖剣から放たれた光の波は、湖の上を滑るように広がっていく。
宙に浮かんでいたスケルトンフィッシュは、なんの抵抗もできずに次々と消え去った。
ターンアンデッドの聖なる光はトーワ湖全体に広がった。
湖周辺の葦などは透明な光に包まれて輝いている。
「どうやらうまくいったようですな」
エトウの隣までやってきたフランチェスコ司祭は言った。
「湖の底にいたスケルトンフィッシュなどはどうなのでしょうね」
「ここまで清らかな光に包まれた湖では生きていけないでしょう。魚が熱湯の中で泳ぐようなものです」
「トーワ湖からはアンデッドの気配が消えましたか?」
「ええ、まがまがしいほどだったアンデッドの気配が、すっかりと消えて……」
司祭は言葉を途中で止めて、湖の南側を見ているようだった。
「どうしました、司祭様?」
「私としたことが、これほどの気配に今まで気がつかないとは……。エトウさん、あちらの林を見てください。この川とは異なる支流がトーワ湖に流れ込んでいますね」
「はい」
「あの林の中から、トーワ湖全体に漂っていたほどの強い負のオーラを感じます」
「なんですって!」
エトウたちが林を見つめていると、グギャーというとてつもない大きな鳴き声が聞こえた。
「な、なんだ?」
「あっちだ! あの林の中になにかいるぞ。木が大きく揺れてる」
冒険者たちが川をはさんだ向こう岸にある林を見ながら騒ぎ始めた。
エトウももう一度気持ちを引き締め直す。
すると木々の上に巨大な白い影がゆっくりと浮かんできたのだ。
冒険者の一人が叫び声をあげる。
「あ、あれは、ビッグマウスだ!」
ビッグマウスと呼ばれた巨大な魔物は木々の上まで浮き上がると、支配者の風格を漂わせながらエトウたちを睥睨した。




