エリザさんにようこそ
ひっそり再開します。
またお付き合いいただけると嬉しいです。
夢心地だった。
レガシーに取り込まれてしまったあとも、そのレガシーの中で、リリの戦闘風景を眺めているときも。
『虫かご』と呼ばれるレガシーに取り込まれた時、「ああ、自業自得とはこういうことを言うのね」と苦笑いしか浮かばなかった。
エルゼベートはこの数百年、毎日『虫かご』にMPを分け与えてきた。自立型のレガシーの中でも、『他人の力を取り込む』能力を持つものは珍しい。
もしエルゼベートが真祖に力及ばず、制御が不可能となった時の切り札だった。
しかし、何ということか。その努力すら、リリはあっさり跳ね返した。
「はぁ……どうしてこんなにほっとしているのでしょうね」
エルゼベートは上体を起こし、胸の中に溜まった空気を細く吐き出した。
清潔なベッド。なぜか服が紫色のワンピースに変わっている。
誰が着替えさせてくれたのか。
隣の小さなテーブルには『真夜』が静かに鞘に収まっている。てっきりどこかに隠されていると思っていたが、よほど信用してくれているらしい。
「私はヴァンパイア五柱の一角――真夜姫エルゼベートなのに」
エルゼベートは、口端を緩めて失笑を漏らした。
滑稽だった。
今まで威厳の塊だと思っていた自分の名前が、ひどく空虚に感じられて、口にすると、ボタンを掛け違えたような違和感しか与えない。
いつからだろう。
トラブルはあったが、自らその名前に幕を下ろし、舞台から降りると決めたときかもしれない。
結局、命を狙っていた真祖に助けられた瞬間に、今まで何とか体裁を保っていたプライドは木っ端みじんになって消えた。
元々、重い役目で、彼女には向かないものだった。
真祖と和解し、世界の破壊もなくなった今、もう『真夜姫』である必要はない。
ただのヴァンパイアとして、好きなことをして暮らせばいい。
「あぁぁぁっ! エリザさん、起きてる!」
扉が開いて、リリが入ってきた。
後ろにはその仲間たちがいる。ウサギ族の少女やヴァンパイア。プルルスもいれば、一緒にヒュドラと戦ったシャロンもいる。
「体、大丈夫!? 回復魔法も使ったんだけど、痛いところないですか?」
リリがベッドに上り、エルゼベートの体をぺたぺたと確認するように触る。
エルゼベートは優しく微笑み「大丈夫よ」と言って、目を細めた。
目の前にいる真祖は――まぶしかった。
輝くエネルギーの塊を見ているようだ。
太陽のように温かく、包み込むように柔らかな気配。
初めてリリと出会ったときとはまったく違う。おそらく、力を封印するアイテムを身に着けていたのだろう。
数百年前の赤ん坊のリリを見たときは、この桁外れの力に恐怖した。
荒れ狂う嵐を見ているような、深淵の奥底を覗いているような、制御など絶対にできない神の力を思わせた。
それがどうだ。リリの力は凪のように静まり返っている。
彼女の力が落ちたのではない。山のようにどっしりしている、という表現が近いだろう。
「もっと早く気づけば良かった。プレッシャーばかりで目が曇ってたのね」
「ん?」
エルゼベートは手を伸ばしてリリの頭を撫でた。
なぜかウサギ族の少女がそれを見て、自分の耳をさし出した。
一緒に撫でると、なぜかリリも少女も表情を緩めた。
「ウィミュのお母さんみたい」
ウサギ族の少女は、少し気恥ずかしそうに言った。
リリが「なんか、わかる」と賛同する。
エルゼベートは未婚だが、二人の言葉を聞いて少し納得した。
赤ん坊のリリを知っている彼女からすれば、母親感覚も遠くないかもしれない。
まあ、その母親はリリにずっと恐怖していたわけだが。
「あなた、本当に『真夜姫』なの? 全然強そうじゃないわ」
赤茶色のくせっ毛の少女が訝しげに尋ねた。綺麗な三角形の猫耳がぴくぴくと動いている。
エルゼベートは「本物よ」と端的に答えてから、「いえ」と頬に人差し指を当てて考えた。
「昨日までは『真夜姫エルゼベート』。今は『ただの』エリザよ」
「意味がわからないわ」
「心境の変化があったってことよ。これからは気軽にエリザと呼んでちょうだい」
「エリザさん!」
リリが嬉しそうに何かをさし出した。
白い皿に載ったカステラだった。一口サイズのものが山型を作るように積まれている。
一番上のカステラには、女の子の笑顔が印字されていた。
これはおそらく――
そう思ったエリザは、リリの紅く輝く瞳と目が合った。
「おかげさまで、カステラがとっても売れてるんです! エリザさんの活躍を見たって人もいて、お礼を伝えてほしいって言伝も聞いてます!」
「ちょっと待って。全然、状況がわからないんだけど……」
「あっ、ごめんなさい。えっと、実は――」
リリは喜びを迸らせるような、満面の笑顔で説明を始めた。
そこそこの客足だった『ちっちゃなケーキ屋さん』に、突然お客さんが増えた、と。
ヒュドラというモンスターと勇敢に戦ったエルゼベートはもちろん、プルルスやディアッチの評判があがった、と。
「もちろん、リリ様もですよ」
水色の髪をボブにした町娘のような少女――アテルが口を挟んで、なぜか自分のことのように胸を張った。
「それで、それで――あのヴァンパイアはどんな店をやってるんだ? って人がたっくさーん来てくれたんです! カステラが爆売れ! もう笑いが止まらない……うへへ」
「そ、そう……良かったわね」
「エリザさんの活躍もあったからですよ! すごい弓の使い手がいたもんだ、って冒険者ギルドで噂にならない日はありません!」
リリがエルゼベートの両手を握ってぶんぶん振った。
そっと視線を外す。
元々エルゼベートが撒いた種なので、多少心苦しさはあった。しかし、褒められて悪い気はしない。
何より、リリが喜んでいる姿にほっとし、嬉しかった。
「ねぇ、リリ……」
「はい、何ですか?」
「材料は……砂糖結晶は足りてる?」
「今はありますけど、予備はもうなくなったみたいです……だったよね? シャロン。とっても売れてるもんね?」
リリの問いに、赤髪のヴァンパイアが「おっしゃる通りです」と嬉しそうに頷いた。
シャロンはその姿勢から、流れるようにエルゼベートに視線を向けた。
意味深な紅い瞳は、きっとエルゼベートが今から言おうとしていることを理解している。
わかりやすく顔に出る性格を恨む。
気恥ずかしさで視線を逸らしつつ、でも、ぽつりと言った。
「わ、私で良かったら、砂糖結晶くらい……いつでも手に入れてあげるけど……」
リリが目を丸くした。
だが、何か言うより先に、視界の端で、プルルスが「ツンデレか」と小さくふき出したのが見えた。
顔がかーっと熱くなる。できることなら、今すぐ『真夜』でぶった切ってやりたい。
「ぜひ……ぜひぜひ、お願いします!」
しかし、そんな気持ちは、目の前で飛び跳ねて喜ぶリリを見て霧散した。
それも、きれいさっぱり。
「エルザさんがうちの店のハンターを続けてくれるって、ことですよね!」
「そうよ……迷惑じゃなかったら、だけど」
「迷惑なんて! お願いします! とっても嬉しい!」
「あと……私のことは、エリザって呼んで。エルゼベートは辞めるつもりだから、『さん』付けもいらない。これからは……」
「これからは?」
首を傾げるリリが次の言葉を待つ。
視界の端で、プルルスが肩をすくめるのが見えた。絶対にわざとやっているに違いない。
生まれ変わったという噂だが、性格の悪さは治っていないようだ。
と思っていたら、シャロンがプルルスの脇腹に素早く肘を当てた。見事な角度と速度だ。
主人に躊躇なく攻撃するとは、いいメイドだ。
声も無く悶絶するプルルスをしり目に、エリザはぱっと明るい笑顔を浮かべて言った。
「対等な仲間として、付き合ってほしいの。いいえ……仲間というよりは、雇い主と使用人……かしら?」
「どっちでも、歓迎する!」
リリはそう即答し、笑顔で無邪気さを振りまいた。
猫耳の少女が「それなら」と前に出てきて、片手を伸ばした。
エリザが、にっこり笑って手を掴む。
「要は仲間になるってことよね? 先輩として歓迎するわ」
「ミャンよりずっと強い人なので、むしろ私たちが後輩では?」
「仲間に先輩と後輩ってあるの?」
「ウィミュ、いいこと言った!」
リリの突っ込みに、ミャンが眉を寄せる。
「王と家臣は、しっかり線を引かないと、あとで揉めるんですのよ?」
「え? 家臣扱いですか? リリ様が王として……って、私たちもみんな家臣になるじゃないのですか! それは嫌です」
アテルがほおを膨らませる。
しかし、一転して、
「いえ……付き人として色々なお世話をさせていただくのは……ぐふ」
「うわぁ、それ引きますわ」
「二人とも、エリザが笑ってるよ。やめようよ」
「そうそう。あんまり最初から恥ずかしいのとか、気持ち悪いのは、やめようねー」
「リリ様っ!? さらっと、私のこと気持ち悪いとか言いませんでしたか!?」
「気のせい、気のせい」
「ひどいですー!」
「まあ、それはそれとして――」
ミャンがちらっとプルルスに視線を向けてから、リリに尋ねた。
「エリザに指導はするの? リリさん」
「え?」
「ほら、ディアッチにもプルルスにも、リリさんが厳しく指導したから、今の変わりっぷりがあるんでしょう? エリザも元は、ヴァンパイア五柱ですし、何か少しくらい指導がいるのでは? このまま自由というのも危険じゃない?」
「えぇ……し、指導って言っても、そんなに大したことは……」
困惑するリリをよそに、アテルが瞳を輝かせる。
「私もリリ様の指導って興味あります! 良かったらこの場で、見せてもらえませんか?」
「うぇっ!? ちょ、ちょっと無理かなぁ……あれは個人的にしかできなくて……」
「どんな指導なのですか?」
「えー、そ、それは……ちょっと、痛い……ような……」
「痛いっ!?」
アテルの大きな声に、その場にいた全員が双眸を開いた。
リリが慌てて釈明する。
「あっ、違うの、何ていうか……お金がかかるから難しいっていうか――」
「お金がかかる痛いことなのですか!?」
リリがだらだらと汗をかき始めた。
全員が良からぬことを考えているように見えた。
そこに、背後から援護射撃が飛んだ。
「僕のときは、衝撃が大きすぎて意識を失った」
「ちょ、ちょっと、プルルス! あっ、違うのみんな! エリザも、違うの、そんなに後ずさらないで! 私、そんなに痛いことしてないって! ほんと! 苦しませずに一瞬だったから!」
「リリさん、墓穴を掘るばかりですわね」
ミャンがあきれ果てて肩をすくめた。




