どうあってもヒーローな真祖さま
「リ、リリ……」
ぎょっとした表情のエリザさんに私は両手を広げて無害をアピールする。
ここで逃げられると二度と会えない気がする。
「エリザさん、心配したんですよ! 探しても全然見つからないから。あの、私、全然怒ってないです! ほんとに。っていうか数百年前の話とか、まったく記憶になくて」
「ほんとに? ほんとの……ほんとに?」
「はいっ!」
私は手を取って、「ちゃんと話せて良かった」と表情を緩めた。
エリザさんが呆けた顔で膝から崩れた。
それでも、ぐっと上がった彼女の顔は何かを恐れているように不安で揺れている。
「お仕置きは……ないの?」
「お仕置き?」
「だってプルルスが……リリがそう言ってたって……」
じろっとプルルスを見やった。元凶はこいつか。
優男はどこ吹く風で知らないフリをしている。
また適当なことを言って脅かしたのだろう。この子供じみたやり方はプルルスの悪い癖だ。
「プルルス、お仕置きするよ」
「うぇっ、ちょ、それはダメだって!」
プルルスがわかりやすいほど狼狽し始める。
どんなお仕置きを想像しているのか知らないけど。
「って、そんなことより、ヒュドラをなんとかしないと! エリザさんも手伝ってくれますか? 弓、また見せてください!」
「……もちろん。協力するわ」
少しやつれた顔のエリザさんが、はっと何かに気づいた。
――まるで鷹の目だった。
視線を鋭く変化させ、鬼気迫る顔で一点を睨んだ。私が首を回して確認する時間もなかった。
彼女は目にも止まらぬ早業で矢をつがえ、ひゅんと音を鳴らす。
私がようやく振り返ると、ちょうどヒュドラの右端の首が吹き飛んだところだった。
同じタイミングで、金属片がかけらになってカラカラと音を立ててこぼれ落ちた。
ふうっと、息を吐いた彼女に、別の方向からぼそりと優男の声がかかる。
「六芒星の紋章の首輪を吹っ飛ばしたね。証拠の隠滅とは、あきれるよ。確かに、あれは都合が悪いよねー」
プルルスがにやりと口端を上げると、エリザさんが慌てて私の手を引っ張り、「見て、リリ、あのヒュドラは回復が早いのよ!」とまくしたてるように言った。
「おぉ、ほんとに早い」
「ヒュドラはすべての首を失うと死に至ると聞きます」
私の隣に赤い髪を揺らすシャロンがやってきた。
彼女を探しに『ちっちゃなケーキ屋さん』に寄ったのだけど、運悪く出かけていて、ここに来るまでに時間がかかってしまったのだ。
「つまり、再生の速い首を同じタイミングでやっつけるってこと?」
「主様の言うとおり。ちょうどここには五人いる。一人、首一本を担当しようか。全員息を合わせていくぞ」
プルルスの提案に全員が首を縦に振った。
ディアッチがずしんと音を立てて前に出る。
「我以外は全員、遠距離ですな。では先駆けは任せてもらいましょう」
「ディアッチにタイミングを合わせて。エルゼベートは遅れないようにね」
「私を誰だと思っているの? もちろんわかってるわ」
プルルス、ディアッチ、エリザさんの三人が意気投合したように頷いた。
シャロンが「では私も」と言って、右手を前に出す。
巨体が空に飛んだ。
「――会心剣、ぬぅぅぅぅぅっん!」
ディアッチが空中で斧を大きく振りかぶった。狙いは中央のヒュドラの首。
ヒュドラは体勢を立て直したところで、首を輝かせている。
一拍遅れて後衛の私たちが攻撃を開始する。
ディアッチの着刃と同時に魔法を仕掛ける!
「聖魔法・スティグマ」
「弓術――ルーナ」
「水魔法・アクアーリウス」
「……ええぃ!」万能魔法・ピュロボロス
力の乗ったディアッチの斧が、予定通りざくっと首を割く。同時に、多様な攻撃が様々な色を描いて空を駆けた。
着弾。爆発。
世界でも屈指のモンスターやヴァンパイアたちによる強力な連携攻撃だ。
ギャラリーはしんと静まり返り、誰もが期待した結果を待った。
しかし――
「ダメだったみたいね」エリザさんがぽそりとつぶやいた。
「どうやら、左端の首だけタイミングがずれたらしい」
「ちょっと魔法が遅かったようです。回復があの首だけ遅いようですから」
「うっ……」
「左端の首って……主様か。ああ……」
「うっ……」
三人の視線が同時にこちらを向いた。
ちょっと遅れたと思ったけど、なんとかなるかなぁって思っていたら――ダメだったみたい。
しゅんと身体を縮こまらせる。
「まあ、真祖でも失敗はあるわ。みんなでカバーすればいいの。次はきっとできるわ。私たちは一流よ」
「エリザさぁん、ありがとうございますー、プルルスっていつも私に厳しいんですよ!」
「主様、あまりエルゼベートを信用しない方がいいんじゃない? そのヴァンパイア、結構腹黒いよ。ここでポイント稼ごうとか思ってるに違いないし」
「あなたにだけは言われたくないわ!」
「あの、みなさん、ディアッチ様が!」
シャロンの声で全員がヒュドラに視線を戻した。
いつの間にか、ディアッチがヒュドラの首に巻きつかれている。
私は素早く移動した。そして体に――拳を振り抜いた。
どごっという鈍い音とともに、ヒュドラが奇怪な悲鳴を上げて、ディアッチを手放した。
しかし、その瞬間、ヒュドラの胴体の腹が割れた。覗いた内側は暗いがらんどうのような空間だった。その中に、無数の生き物が蠢いていた。
怖気の走る光景に動きが止まった。
何かが飛び出した。金色のツルだ。それは私の足に素早く巻きついた。
あっという間に全身にツルが走り、がんじがらめにされる。
だが、上空から落ちてきた銀の刃が、一刀で断ち切った。エリザさんだった。
彼女の『真夜』は刀に変わっていた。
さっきの弛緩した空気はどこにもない。鬼気迫る瞳が紅く光っている。
彼女は私を素早く足で蹴飛ばし、ヒュドラから無理やり離した。
代わりに――エリザさんが四肢を絡めとられた。
彼女は苦い顔をしたが、一瞬で抵抗を諦めた。
私の代わりになったのに、笑顔で「この程度、大丈夫」と一言言い残してヒュドラに呑み込まれた。
「エリザさんっ!」
ヒュドラの体がどくんと波打った。
泣き叫ぶような咆哮を天に向け、狂喜乱舞するように首を振りまわった。
大丈夫なはずがない。
どう見ても異常な光景だ。彼女ほど強いなら逃げられたはず。それをあの一瞬で諦めざるを得なかったのだ。
瞳にきっと力を込めた。
「返せ! エリザさんをっ!」
まだ間に合うはずだ。
ヒュドラの腹は金色に光り続けている。
変化が起こってすぐなら――
今のタイミングなら――
私は、身に着けていたアイテムを引きちぎるようにすべて外した。
――封魔の輪
――破邪の呪玉
――減衰のネックレス
――聖封のブレスレット
全開放。体に一気に力が戻った。
間髪容れず、天に向けて細い右手を上げて、叫んだ。
「万能魔法・最強化・ピュロボロス――エリザさんを助けて!」
ざわりと空気が波打った。巨大な気配が天から降りてくる。
仲間も、ギャラリーもそれに気づいただろう。空間が全力で震え出すような感覚が、じりじりと一帯に広がっていく。
耳をつんざくような轟音が鳴った。
ヒュドラの五本の首が一度に、一気に焼かれて、姿を消していく。
消滅の魔法。
まるで体が切り取られていくように、紫色の体躯が散り散りになっていった。
でも、これで終わりじゃない。
「ディアッチ、ここからみんなを連れて逃げて!」
万能魔法がこれ以上落ちると背の高いディアッチに当たる。範囲が広すぎるのだ。
大きな返事とともに背後から気配が消えた。
ヒュドラはこれで消滅するはず。
でもこのままだと、私は大丈夫でもエリザさんが消滅してしまう。
途中で魔法を止めるやり方は知らない。それなら――
私は左手をすくい上げるように上に向けた。
「万能魔法・最強化・ピュロボロス」
落ちてくる万能魔法に下から万能魔法を当てて相殺する。
ヒュドラのすべての首が消滅した瞬間をうまく見計らい、エリザさんが呑み込まれた部位を残して止める。
魔法の相殺はうまくいった。
ヒュドラは首と上半身を失い、光の粉となった。
残った体がさらさらと風に乗って消えた。
ぽつんと残った金色に輝く『虫かご』が一つ。形はどこにでもある100円均一のものに近い。
そして、気を失ったエリザさんが粘液でドロドロの状態で横たわっていた。
『愚者の祝福』で回復すると「う……ん」と彼女から声が漏れた。
無事で良かった。
「ふぅ、危なかったぁ」
しんと静まり返った草原で、ぱちぱちと誰かの拍手が聞こえた。
それは、外壁の側まで下がっていたシャロンだった。いつか見た、ふわふわ飛ぶ門番さんが、激しく舞っている。プルルスも笑みを湛えていた。
ギャラリーの中から「ありがとう!」という声が生まれた。
それは「すごかった!」「何の魔法だ!?」と続き、雷のようにも聞こえるほどの大きな音に成長した。もう誰が何を言っているのか聞き取れなかった。
私は、エリザさんを小さな体に背負い、外壁の上にいる人たちに向けて、恐る恐る手を振った。
割れんばかりの歓声が、わっと鳴り響いた。
いつもお読みいただきありがとうございます。
今話で2章が終わりました。次章でラストです。




