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転生幼女な真祖さまは最強魔法に興味がない  作者: 深田くれと


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わりと追い詰められたエルゼベートさん

「ひどい顔」


 安宿の室内で、鏡の中の顔を見たエルゼベートは独り言ちた。

 目の下のクマがひどく、髪はぼさぼさだ。肌も傷み、なぜか呼吸が浅く胸が苦しい。

 無様にリリの前から逃げ出して一週間。

 彼女はヴィヨンの街の中を転々としていた。分厚いローブを纏い、誰も来ないような安宿を渡り歩く放浪人だった。

 今日も通行人の視線から身を隠し、昨日と似た宿に入れた。


「一泊素泊まり」


 カウンターから伸びた金の催促の手に硬貨を数枚渡す。

 足早に階段を上がり、指定された部屋の扉をあけて、周囲を確認してから身を滑り込ますように入室する。

 扉を閉めるときには必ず追手を確認する徹底ぶりだ。

 幸い彼女はヴァンパイアだ。絶食状態でもしばらくは問題ない。

 ただ、定期的な血液の摂取は避けられない。


「いくか……でも……」


 この町には、ヴァンパイア用の吸血ルームがあると聞いた。

 血を出してお金を欲しがる者と、血を吸いたいヴァンパイアのマッチング。そこを利用すれば素性はばれない。

 けれど、エルゼベートはヴァンパイア五柱の一人。

 彼女ほどのヴァンパイアが血を吸えば、その者は眷属に変化してしまう。

 そして、もしそんな事態が明るみになれば、すぐにプルルス一派の大捜索が始まり彼女の存在がバレてしまう。それどころか、それを先読みして待ち構えている恐れもある。

 彼女の居城であれば、眷属たちを呼び寄せ血を吸えば解決する問題なのに、この町ではそうもいかない。


「それもこれも――プルルスがあんなことを言うからよ」


 同格のヴァンパイアの高笑いが聞こえるようだ。


 ――真祖はまだ過去を清算していない。ここから逃げた場合には、君を永遠に追い続けるだろう。


 あの言葉は、彼女を精神的に縛り上げていた。

 ひどく重い楔のようなものだ。

 もしヴィヨンから逃げれば即座に死刑。逃げずに、自分たちの監視下にいる間は見逃してやろう。そういう意味だ。

 彼女は自分の体を両腕で抱きしめる。

 リリ――真祖と呼ばれるヴァンパイア。

 力はさほど感じなかった。でも、教祖プルルスが『主』と崇めるほどだ。何らかのアイテムで力を抑えているに違いない。二人はすでに協力関係にある。

 プルルスは冗談や酔狂で、崇める相手を作るヴァンパイアではない。

 本当の真祖であるからこそ、プルルスは膝をついているのだ。


「怖い……」


 彼女の脳裏に数百年前の光景がまざまざと蘇る。

 当時のヴァンパイア五柱は、赤ん坊の真祖に為す術なく敗北した。魔法も剣も何も通じなかった。


「しかも、どうして成長してるのよ……封印したのに。私も気づきなさいよ。ああ……どうしたらいいの。やっぱり、私に真祖の監視なんて無理だったのよ」


 エルゼベートは両手で顔を覆った。

 後悔があとからあとから湧いてくる。

 ヴァンパイア五柱の最古参として、リーダー役のように他の若いヴァンパイアを引っ張ってきた。血の気の多い彼らを誘導し、時には裏から手を回し、ストレスを適度に発散させながら操ってきた。

 でも――

 その理由は、彼女が一番争いたくなかったからだ。

 なぜ争いたくないのか。


「怖いの……」


 リリに偉そうなことを言って、先輩風を吹かせた。

 でも、そうしなければヴァンパイアは舐められるのだ。最古参ともなると、全ヴァンパイアが、エルゼベートのことを最強と信じてしまう。

 だから自信満々に敵を見下し、威風堂々、敵の挑戦を受ける。そう演技を続けてこなければならなかったのだ。

 エルゼベートは強い。それは自他共に認めている。

 しかし、進んで戦いたいとは思わない。

 同格との戦いなんて、絶対に嫌だし、まして遥かに強い真祖の相手なんてできるはずがない。

 突き詰めて言えば、彼女は臆病なヴァンパイアなのだ。

 そして、なんとか塗り固めていたはずの恐怖感が、先日のあの瞬間に漏れ出てしまった。

 隣に真祖がいて、しかもその真祖に手を貸していたのだ。

 きっと、内心でほくそ笑んでいたに違いない。

 手を貸したと思っていたのは自分だけで、リリは「バカは使いつぶしてから、始末するか」とあざ笑っていたに違いない。


「うぅ……どうしたらいいの、みんな……」


 数百年前の仲間のヴァンパイアたちは、真祖との戦いの前夜に言った。


 ――エリザは怖がりだからなぁ。

 ――怖がりの方が長生きできるものよ。

 ――そうそう。怖いから強くなるって言うし。

 ――逃げ足最速のヴァンパイアって通り名もいいじゃん。

 

 そして、口を揃えて言ったのだ。

 ――だから、あとはよろしく。

 と。


「今となっては善意が恨めしいわ」


 腰のレガシー『真夜』が、カタカタと音を立てた。

 真祖との再戦に備え、数百年の間、育ててきたレガシーだ。

 刀型は珍しく、発見されたと報告を聞いたときには、様々な手を用いて手中にした。

 そのとびぬけた性能は思っていたとおりだった。

 エルゼベートの力と思考に合わせ、武器の形を自在に変えられたのだ。

 しかも刀となれば刃こぼれがなく、弓となれば矢にMPを乗せられる。

 今となっては最高の相棒だ。

 しかし――真祖に通じるとは思えない。

 またカタカタと音がなる。使い手の弱気を叱咤しているのだろう。


「あなたは知らないのよ。真祖の怖さを」


 恨めし気にバシバシと『真夜』の柄を叩く。しばらくすると、持ち主の戦意の無さにあきれ果てたのか、反応はなくなった。

 その様子をじっと眺めていたエルゼベートは、ふぅ、とため息をついた。

 と同時に、ある思いが心の中を走り抜けた。


「逆に、あ、謝ってみるとか、どうだろ……」


 口に出してみると、悪くないアイデアかもしれない。

 すでにたくさんのギャラリーを前にしてエルゼベートは恥をさらしてしまったのだ。

 それも最大級の。

 プルルスの前で逃げ出した以上、他のヴァンパイアにもすぐ伝わるに違いない。

 最古参のヴァンパイアが何たるざまだ、と他の五柱は憤るだろう。

 彼女だって、有象無象を相手に逃げだす五柱がいれば「ヴァンパイアの誇りはないわけ?」と氷のような口調で言うと思う。

 しかし、相手は世界を統べるとまで言われた真祖だ。

 いくら最古参のヴァンパイアといえど、勝てない相手はいる。

 相手は最強。それは何も恥ずかしいことではない。

 この辺りで、『最古参』『真夜姫』『最強』という看板を全部下ろして、『真祖』様に拾ってもらうのはどうだろうか。

 そうすれば、彼女はエルゼベートでありながら、普通のヴァンパイアたちと同じ位置に下がれるのではないか。

 もし、リリに謝罪を受け入れてもらえたら――


「こ、これは……悪くない?」


 彼女の中に様々な謝罪の方法が浮かぶ。

 頭の中のイメージのリリが、にっこり笑顔で「許す」と言ってくれるシーンが。


「そうよ……絶対に許さないって言われたわけじゃないんだし。それを言ったのはプルルスだけで、リリ本人の口から聞いたわけじゃないんだし」


 エルゼベートはリリと初めて会ってから今までのことを考える。

 落ち着いてみると、リリはまったく自分に敵意を向けていなかった。どちらかと言うと、尊敬してくれていたような気もする。

 「バカは使いつぶしてから、始末するか」なんて言うタイプには見えない。

 これは彼女のイメージが悪すぎるのだ。


「今は、赤ん坊から成長してるし、望みは……ある」


 エルゼベートの視界がぱっと光に満ちた。

 首筋に常に刃物を当てられていたような暗澹たる気分が霧散し、明るい未来が花開いたようだ。

 途端に呼吸が通り、足が軽くなった。

 『真夜』がその変化を察し、音を鳴らしたので、強くバシバシ叩いて戒めた。そういう前向きさはいらないのだ。暴力反対。


「私が、リリに協力……いえ、こういう態度はダメね。ぜひ店と町の発展に協力させてもらって、心から謝罪をする。あのおかしいプルルスさえ配下にしてるくらいだし……これはイケる」


 ぐっと両拳を握る。

 むしろチャンスだと思えてきた。真祖の庇護下に入れば、全部解決するじゃないか。

 五柱には「真祖に負けた」と言い訳し、「自信を無くした」から、まとめ役を降りる。流れで背負ってしまった重荷からも解放される。

 エルゼベートは瞳を輝かせた。

 数日前の自分の判断を褒めちぎりたかった。

 自暴自棄になり、一か八かで街を巻き込みつつ真祖と全面衝突する案も浮かんでいたのだ。

 彼女は首を振って気持ちを切り替える。


「丁寧に説明し、絶対に恨みを買わない! リリの言うことは絶対協力! これよ!」


 勢いよく立ち上がった。

 何かとても大事なことを忘れているような気がしたが、エルゼベートはバラ色の未来に気を取られて、深く考えなかった。

 ちょうど、逃げ出してから七日目。


 ――かんかんと高い音が聞こえた。


 エルゼベートは聞きなれない音に首を傾げた。

 緊急を知らせる鐘の音だろう。

 窓をそっと開けて通りの方に意識を向けた。

 知らない男が大慌てで走って、何か叫んでいる。


「みんな、逃げろ! 山みたいなモンスターがここに向かってくるぞ!」


 その瞬間にエルゼベートの顔が真っ青に変わった。

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