出会っちゃった!
とうとう、ちっちゃなケーキ屋さんのオープンの日がやってきた。
その前日からそわそわしていて寝られなかった私は、クロスフォーのメンバーと夜通しトランプをして時間を潰した。
ウィミュは早々に途中で寝てしまったけれど、基本的にヴァンパイアは睡眠が少なくても問題ないらしい。
私とアテルとミャンは、7並べをぶっ通しで楽しんだ。
本当はポーカーも教えたかったけれど、トランプ初心者たちにはルールが難しい。
元王族のミャンは頭がいいのか、すぐに7並べのコツを掴んでいた。
逆に、アテルは「なぜ私にはいつも1から3のカードしか来ないのでしょうか」とうんうん唸っていた。
単に運が悪いだけだけど。
そして、朝日が昇るころ、ウィミュを起こして、ダッシュでお店に向かった。
お店ではシャロンやルヴァンさんたちが最終準備をしていた。
今日は、お店の前の広いスペースを使って、立食パーティ式のコーナーも用意している。
試食用のカステラやケーキを準備し、買わなくても楽しんでもらえるように工夫した。
まずは、客の一口目のハードルを下げるのだ。
「みんな、がんばるよ!」
「「「「おぉーっ!」」」」
クロスフォーのメンバーも含めてメイド服に着替える。
アテル推奨の服で、色々と突っ込みどころが多いけれど、この際、何でもいい。
――開店時間数分前。
ちらほらと店のオープンを待ってくれている人たちがいる。
そしてオープン。
「俺が一番だな」
渋い声でそう吠えたのは、『わんちゃんのフルーツ屋』の店主、ワルマーさんだ。
背の高いワーウルフで銀色のたてがみに黒いはちまきが印象的だ。何より、私たちを一時期雇ってくれたいい人だ。
話を聞いてみると、一番早く店の前に立っていたらしい。
何時起きだったんだろう。嬉しくて涙が出そうだ。
彼は、片手に花束を持って「オープンおめでとう」と渡してくれた。
「ありがとうございます!」
「うちのフルーツもご贔屓に」
「もちろんです」
彼は「じゃあ、カステラ貰おうかね」と流れるように硬貨をさし出した。
後ろにやってきた人たちに聞こえるような大きな声で「こいつは安い!」と吠える。
わざとらしい棒読み。すごい大根役者だ。
アテルは「そこまでしなくても」と、くすくす笑っている。
それに気づいたワルマーさんが、恥ずかしそうに怖い顔を歪め、踵を返してどすどすと無言で帰っていく。
気を利かせてサクラまでしていってくれるなんて。とてもいい人だ。
「あの……来たよ。リリ」
緊張で上ずった、今にも掻き消えそうな声。
二番目に入ってきたのは二人の小さな姉妹だった。
あの時と同じように、姉が妹の手を引いている。相変わらずぼさぼさの髪と傷んだ服。
姉は小さな手に、銅貨1枚を握りしめていた。
「お母さんにも食べさせてあげたいの」
妹は瞳を輝かせている。
受け取った銅貨はとても生暖かかった。
私はシャロンからカステラを受け取り、二人に渡す。
そして、同時に、銅貨もそっと返した。
きょとんと首を傾げる姉妹の前で、ひとさし指を唇に当てて立てる。
「今日は、オープン記念なので特別。内緒だよ。あと、お母さんにもよろしくね」
姉妹の顔がぱっと綻んだ。妹の方は私の真似をして、指を立てている。
しぃー、だって。可愛い。
「……うん! ありがと、リリ!」
「また来てねー!」
小さな背中に手を振って見送る。
ミャンが「子供には甘いんですのね」と呆れた声で言う。
こそっとしたのに見られていたらしい。
「甘味を広めるのが、目標だからね」
「その前に赤字を出して、潰れたら知らないわよ」
「シャロンがなんとかしてくれるよ……ね?」
首を回すとシャロンが微苦笑を混ぜて「努力いたします」と言う。
「シャロンさんは、リリさんを甘やかしすぎですわ」
ぼやくキャットピープルの監視は厳しいね。
***
「いらっしゃいま――うっ」
「いやあ、いいお店ですね」
にこやかな笑顔を浮かべて入ってきたのは、よく見知った人物だった。
彫刻のように精緻で、見る者を魅了するイケメン大天使。
隣には付き添いなのか、大剣を持ったウェイリーンがいる。気後れしているのか、少し表情が固い。
「ここはリリさぁんの濃密な気配が――」
「気配?」
ウェイリーンが耳ざとく怪訝そうな顔をした。
ウリエルが慌てて一つ咳ばらいする。本当に残念な大天使だ。
「あの……来てくださって……嬉しいです」
私の社交辞令に、ウリエルの瞳が大きく見開かれた。
なぜか身震いまでしていて――正直、怖い。早く帰ってほしい。
出禁にしてもいいかな?
「あの……注文はどうされますか?」
「そちらのフルーツタルトを8切れもらいましょう」
私はちらりとタルトを見る。よりにもよって一番高い商品だ。ちょうど8切れ。
いきなり売り切れにするなんて。
嫌がらせか?
「あの……8切れ、でいいんですか?」
「もちろん! おや、もしや少ないですか? 売り上げに貢献できない? では、そちらのイチゴのショートケーキも――」
「あっ、大丈夫! ほんと大丈夫です! タルト8切れ! シャロン、包んであげて! 大急ぎで!」
ウリエルが満面の笑みでタルトの箱を二つ持ち帰った。
シスターたちに分けてくれるとは思うけれど、あんまり嬉しくなくて複雑だ。
第一、真祖教会が大人買いって、どうなのよ。
店員にとっても、私以外はウリエルを全然知らないし、その並々ならぬ気配もあるのか、全員が引いている。
「店長、外のスペースにもお客様です。商業ギルドの方ですが」
「あっ、すぐ行く!」
幸いなことにお客さんは外にも並んでくれていた。
ただ――亜人や獣人、ヴァンパイアばかりだ。
純粋な人間は、やっぱり避けられてしまうのかもしれない。
まあ、怖いのはわかる。
「うん……わかってたこと。まずは実績作り。何も事件がなければ、大丈夫」
自分に掛け声をかけて、外の試食コーナーに挨拶に行く。
時折「あんな子供が」と驚かれたけれど、営業スマイルを浮かべて手を振っておいた。
まずは無料スマイルをプレゼントだ。
***
初日の売り上げは思っていたより多かった。
行列のできる店とはまではいかなかったけれど、カステラを中心に、少し高めのケーキの大半も売れた。
「ふぅ」
「お疲れ様でした」
最後の客を見送り、庭の椅子に座った私に、シャロンが温かい紅茶を出してくれた。
アッサムだね。美味しい。
彼女はお金の勘定をしつつ、ミスなく客対応もこなしてくれた。
もちろん双子のヴァンパイアの対応も完璧だった。クロスフォーのメンバーだってがんばってくれたし、きっと、怖いヴァンパイアというイメージは払拭できたと思う。
ウィミュなんて、客引きの大道芸をしすぎてぐったりしているほどだ。突っ伏したまま耳がぺたりと寝ている。ありがとうね。
「もう二、三種類くらいならメニューを増やしても大丈夫かもね」
ルヴァンさんもほっと一息ついた。
私には理由はわからないけれど、長いお店の経験からそう感じたのだろう。
「じゃあ、私も帰りますわ」
「ウィミュも……疲れた」
「みんなありがとね!」
クロスフォーのメンバーに手を振った。
私はシャロンたちと作戦会議がある。リピーターが増えていく場合と、そうでない場合の両方の対策を考えないといけない。
と、敷地内に美しいエルフのヴァンパイアが現れた。
肩には大きな荷物を担いでいる。エリザさんだ。
相変わらず存在感がすごい。
そう言えば最近気づいたけど、シャロンたちは彼女が来ると急に笑顔を浮かべる。
よく知る私には、距離を置くような顔で、少し心配なのだ。
「お店はどうだったの?」
「好評でした!」
「良かったじゃない。これは、頼まれていた砂糖結晶ね」
「いつもありがとうございます!」
エリザさんは、あれからうちの専属ハンターとして仕事をしている。
時折、「調べ物があるの」と言って、ふらりといなくなることがあるけれど、次の日の朝には顔を出してくれるのでありがたい。
彼女にとっては『浮世の迷層』も危険なダンジョンには当たらない。
「じゃあ、私はこれで」
彼女が颯爽と背を向けた。
今日も無駄話はしない。ただストイックに仕事をこなすハンター。
しかし、今日はそうではなかった。
突然ぴたりと足を止めると、上空を見上げた。
「遅れちゃってごめんね」
軽い口調で言葉が降ってきた。
大きな体。
ディアッチがプルルスを肩に乗せて降りてきたのだ。
逆の腕には目を引く大輪の花ばかりをあしらえた、とんでもない大きさの祝い花。
私の目の前に降りてきた二人は、「はいどうぞ」と当然のように店の壁に立てかける。
クローズ寸前に持ってくるとは……
また嫌がらせかな?
ディアッチが私の視線に気づいたようで、慌てて弁明する。
「本当はもう少し早く来る予定だったのですが、その、プルルス様が……最初の花では納得いかないと言って……」
「悪かったって。だって、せっかくなんだし、他のやつらに負けるのは癪だからさ。国中回って大きな花をかき集めてきたんだよ。こういう時は花らしいからね」
プルルスは「ふふふ」と笑い、流し目を送る。
そして――打って変わって、猛禽類のような鋭い瞳を、とある方向に向けた。
そこにはエルフのヴァンパイアが立っている。
「これは、珍しい客もいたもんだね。僕の国に何か用事かい? 真夜姫」
ぞっとするほどの声色。
しかし、返ってきた言葉は、それを越えて冷たい声だった。
「出不精と評判の男が、こんな時間に出歩いているとは思わなかったわ」
「エリザ……さん? お知り合い……ですか?」
一触即発の空気に、私はごくんと喉を鳴らした。
エリザさんはつかつかと足音を鳴らして、プルルスに無造作に近づいた。
高い身長から見下ろすような鋭い視線。
「リリ、こいつは凶悪なヴァンパイアよ。どういう関係か知らないけれど、関わらない方が賢明だわ」
そう言ったエリザさんの背後に、巨大な六芒星の紋章が浮かぶ。圧倒的な魔力の波動が放たれ、一体の気配が塗り潰されるように変わっていく。
対するプルルスは奇妙な笑みを浮かべる。すると、背後にサソリ紋が赤々と浮かんだ。
ヴァンパイアにとってわずか数歩の距離で向かい合った二人は、びりびりと緊張感をまき散らしながらにらみ合う。
「何の用だい? まあ、聞かなくても想像はつくけどさ」
プルルスが挑発的に口端を上げた。
「ふぅ……潜入が時間の無駄になったわね」
「潜入? 最古参の真夜姫ともあろうものが、潜入とは弱気だね。これは――よほど、アレにビビっているらしい」
「……なんですって?」
とんでもない迫力だ。
思わず縮み上がってしまうほど怖い。
プルルスはまだしも、エリザさんにこんな一面があったなんて。
「プルルス、二度は言わないわ。あなたも私の『真夜』の恐ろしさは知っているでしょう? 用意したレガシーはこれだけではない。国ごと滅びたくなければ、アレの居場所を言いなさい。どうせ、あなたが匿っているんでしょ?」
「匿ってなんていないさ。それどころか隠すつもりもない。ねえ、ディアッチ」
「左様です。匿ってなど……むしろ自由気ままに動いておられる。第一、我々が制御できるようなお方ではないゆえ」
「嗜虐翁、あなたには聞いていない。私はプルルスと話しているの」
「これは失礼を……」
ディアッチがすごすごと引き下がる。
その様子を、シャロンや双子のヴァンパイアたちが、はらはらした様子で見守っている。
「で、どうするの? あくまで隠すつもりなら、この場で一戦始めてもいいけれど?」
「そんなに知りたいのか。そうか……仕方ないね。どうせ隠していてもいずれわかるんだし」
「もったいぶるのはやめなさい。不愉快よ」
「じゃあ、最後に一言だけ伝えておこうかな。アレはまだ――過去を清算していない。もし君がここから逃げた場合には、君は永遠に追い続けられるだろう」
エリザさんの顔色が変わった。
例えるなら青白くなった。拳をぐっと握り、耐えるように歯を噛みしめた顔だ。
葛藤が透けて見える。
何の話だろう? 私にはまったくわからない。というか、まさか二人が知り合いだったなんて。思ってもみなかった。
「は……早く教えなさい」
エリザさんは絞り出すように言った。
そして、プルルスが指さした――私だった。
「ん?」
「え?」
私とエリザさんの声がはもった。
「え? 私がなに?」
「『主さま』、そこのヴァンパイアが御身に何か伝えたいことがあるようです」
「え、どういうこと? エ、エリザさん?」
首を回した私は、そこに真っ青な顔をしているエリザさんを見た。
膝はがくがく揺れ、口は時間を止めたように開いたままだ。
彼女は、半歩、後ろに下がった。
かたかたと腰の剣が鳴っている。彼女の顎が同じようにがくがく揺れた。
「な、な、な、な――」
「あの……エリザさん?」
何か悪いことが起きている。そう直感した私は、恐る恐る半歩踏み出した。
反応は劇的で苛烈だった。
エリザさんが、
「く、く、来るなぁぁぁぁ!」
今にも千切れんばかりの声で叫んだ。
どん、と大地が揺れた。
彼女が斜め上空に跳んだのだ。さらに空中に血界術で足場を作り、二度、空中で加速した。
相変わらず、すごい技術だ。
いや、そういう話じゃない。
ぐるっと首を回す。プルルスが笑っている。
「っていうか、え? どういうこと? ちょっと、プルルス! ちゃんと説明して! 私、なんかした!? どうしてシャロンも苦笑いしてるの!?」
私は半泣きになって夜空に怒鳴った。




