静かなる真夜姫、困惑するヴァンパイア
「じゃあ、その探し物っていうのが見つかるまでは、ここにいられるの?」
「そうよ」
私の質問に答えたエリザはそこで少し迷う素振りを見せた。
彼女のそんな表情を見たのは初めてだ。
「リリ、あなた……この町から出た方がいいかもしれないわ」
「出る? どうしてですか?」
「それは……もしかしたら危険な人物が現れるかもしれないから」
「危険な人なんて、どこにいてもいますよー」
苦笑いしてしまう。
人間から見て危ないモンスターなんて、この町にはいくらでもいる。
プルルスとか、ディアッチとか、ウリエルとか……そして私。
あれ? 主に私つながりな気がする。
いや、気のせいだ。
それに、前よりずっとましなはず。
シャロンだって、今の流れがいいって言ってくれたんだし。
「そう。まあ、忠告はしたわ」
「ありがとうございます! ところでエリザさんは、どこに泊まるんですか?」
「決めてないけど」
「じゃあ、じゃあ、お勧めの宿があるんです。私もこのヴィヨンに来たときに使っていた宿で、とっても安いですよ。あっ、でも、エリザさん、そんな宿じゃダメか……」
「そんなことないわ。しばらくこの町に滞在できればどこでも。住民に溶け込むために仕事もする予定だし」
「仕事?」
当たり前のように言うエリザさんを盗み見た。
――無理だと思う。
一般人とはかけ離れた美人だし、ヴァンパイアであることも隠していない。
しかも珍しいエルフの特徴そのままの長耳。
これで普通の住民です、とはならないだろう。
「どうしたの、リリ?」
でも、エリザさんは、そんなことを気にした風もない。
もしかして、どこかいいところのお嬢さんとか、かな?
これは恩返しのチャンスかも。
「エリザさん、良かったら、うちで働いてみませんか?」
「え?」
***
私が『ちっちゃなケーキ屋さん』の話をすると、エリザさんは目を丸くした。
「ヴァンパイアが協力してお店を開くなんて、初めて聞いたわ。やっぱりあなたは面白いわね」
「あっ、そんなに大きなお店じゃないんですけど」
「成功するの?」
「どうでしょうね……でも、みんながんばって、ここまで来たので、絶対成功させるつもりです」
思わず言葉に力が入る。
失敗は許されないのだ。
「で、私を材料確保のための専属のハンターにってことね」
「そうなんです! どうですか? お給料はそんなに出せないかもしれないですけど……」
「給料には興味ないから大丈夫よ」
私とエリザさんはちっちゃなケーキ屋さんに向かって歩く。
「その仕事は住民として目立たないかしら?」
「もちろんです! その……エリザさんの見た目だと、たくさんの人の目があるところでは難しいかなって思って」
「そう……私の格好どこかおかしい?」
「い、いえ、そういうわけじゃないんですけど」
エリザさんが道の中央でくるりと回る。
ローブを纏っていても気品に満ち満ちている。
通りを行きかう人は足を止めるし、男性や亜人の熱い視線もそそがれている。ヴァンパイアじゃなければ、すぐにお茶の誘いが、かかっているだろう。
けれど、本人はわかっていない。「できるだけ地味な格好にしたのだけど」と、アンニュイな表情でつぶやくだけだ。
桁外れの美女は何を着ても目立つのだ。
「うちのお店のハンターなら、ギルドに登録とかいらないし、エリザさんくらい強かったらお一人で材料集めもできるから、目立たないしどうかなって思って」
彼女は「そうね」と少し悩み、ゆっくり表情を和らげた。
「行く当てもないし、お世話になろうかしら。私もリリのお店なら安心だわ」
「ほんとですか!? 嬉しいです!」
「良かったら、この前の続きで矢の練習にも付き合うわ」
「ありがとうございます!」
なんて優しい人だ。
美人でかっこよくて、強くて、でも高飛車なところがなくて、とても優しい。
こんなにすごいヴァンパイアもいるんだ。
黒プルルスと黒ディアッチのことを思い出す。
最初に出会った強い人物は、どちらもおかしかった。
エリザさんは最初から、いい人。
私は運がいいなぁ。
「どうしたの、にこにこして?」
「あっ、いえ――あっ、あれが、私の店なんです! 『ちっちゃなケーキ屋』さんです!」
そうこうしているうちに、店が見えてきた。
濃い茶色の木材を使った森の小屋をイメージした外観。
エリザさんが感嘆の声を漏らした。
「これは、すごいわ。本当にいいお店じゃない」
「ありがとうございます! 中へどうぞ。専属ハンター就任のお礼に、カステラを出しますね! うちの名物にしようと思ってるお菓子です――シャロン、シャロンいる?」
店の奥からシックなメイド服に身を包んだシャロンと、双子のヴァンパイアが姿を見せた。
「リリ様、宣伝は――っ」
柔らかい表情を浮かべていたシャロンが、私の隣に立つエリザさんを見て、動きを止めた。
彼女の眉がぴくりと動き、背筋を立てた。
珍しい表情だった。
ふと、エリザさんの腰の剣も、かたりと音を立てた。
「リリ様……そちらの方は?」
「この人ね、さっき通りで会ったエリザさんって言うの! 前にダンジョンで助けてもらった縁で、うちの店の専属ハンターになってくれるって! すごい人なんだよ!」
私がまくしたてるように言うと、シャロンは頬を引きつらせた。
「それは……そう、でしょうね」
「うんうん! 弓の技術とか、私よりずっとずっとすごくて」
「そう……でしょうね」
「うん? シャロン、エリザさんのこと知ってるの?」
「いえ……初対面です。ですね、ユミィ、ルリィ、あなたがたも知りませんね?」
シャロンが素早く後ろに視線を向けた。
「はい、存じ上げません」
双子のヴァンパイアがそろって頷いた。
「本当にヴァンパイアの店員なのね」
エリザさんが驚きを隠さず言った。
「はい! 聞こえたかもしれませんけど、手前がシャロンで後ろの二人、金髪がユミィ、銀髪がルリィっていいます。みんなすっごく優秀なんです。あと、ルヴァンさんっていう人間のシェフさんもいるんですよ!」
「人間も……それはすごいわ。普通は、吸血対象よ」
「ですよね? 私もよく協力してくれたなぁって思ってます。えへへ」
「ところでリリ」
「何ですか?」
「そちらのシャロンさんは、あなたに『様』をつけるの? 店長と店員の関係でしょ? みたところ、シャロンさんはリリより随分年上で、高位のヴァンパイアに見えるけど」
「え? あぁ……それは……」
「私たちは、『店長であるリリ様』を尊敬しておりますので」
私が口ごもったところに、シャロンがフォローをしてくれた。
いつもの表情に戻った彼女は、さらに続けた。
「エリザさんがおっしゃるような、『ヴァンパイアの格』ではなく、私共は、リリ様の言動や目的に敬意を持ち集まりました。ですので、呼び名には自然とその意を込めてしまうのでしょう。指摘されてみて、今、初めて気づいたところです」
「シャロン……」
目頭がじんと熱くなる。
優秀な店員はさすがだ。嘘でも私も嬉しくなってしまう。
「なるほど。リリが良い店長と言うことね」
「ご賢察のとおりです」
「面白いわ。さっそくリリが推すカステラというものを食べてみたくなったわ」
「良ければ、テラス席がございます。リリ様、エリザさんの案内をお願いできますか? すぐにカステラと飲み物をお持ちいたします」
シャロンの勧めに、すばやく頷く。
店内にイートインスペースは少ししかない。
それよりは視線の少ない外の方がいいだろう。
「じゃあ、こっちにどうぞ」
私はエリザさんを、再び店の外に連れ出した。
***
「心臓が止まるかと思いました」
シャロンが胸の中の熱い空気を吐き出すように言った。
彼女の背中には冷や汗が浮かんでいた。
まさか、ヴァンパイア五柱の一人――真夜姫エルゼベートが入ってくるとは思わなかったのだ。
「武器は必要なかったようですね」
金髪のユミィが、ほっとした様子で言う。
彼女の手にはナイフが握られていた。それを腰の後ろに隠し、隣を見た。
一つ頷いた妹のルリィが、額の汗をハンカチでぬぐって言う。
「可変式インテリジェントウェポン――通称、『真夜』。過去の遺産……レガシーが進化した武器をまさかこんなに間近で見ることになるとは思ってもみませんでした」
「ユミィが武器を構えたのは正解です。『真夜』は、持ち主より早く私たちに反応しましたから」
「正直なところ……店が吹き飛ぶ場面を幻視しました」
三者が、そろって安堵の息を吐いた。
いくら状況が状況とは言え、リリがあれだけ楽しみにしている店をオープン前から破壊するわけにはいかない。
もし、エルゼベートの隣にリリがいなかったら、リリが自然な笑顔を浮かべていなければ――即座に戦闘に突入したかもしれない。
シャロンは、エルゼベートの国に潜伏していた時期を思い出す。
最も古参で、最も強いヴァンパイア――真夜姫エルゼベート。
その動きを監視し、何度もプルルスに報告を上げたものだ。
隙があれば殺していい、という指示も同時に出ていたので、毎日が緊張の連続だった。
しかも政は人間の王に任せきりだったために、姿を見せる機会が少なく、調査は困難を極めたものだ。
「しかし、あのエルゼベートが直々にこの国に入ってくるとは思いませんでしたね。しかも一人とは」
ユミィが表情を引きしめる。
シャロンが「そうね」と口にし、「でも」と考えるように言う。
「彼女の強さに追随できる者はいないでしょう。あの国は、レガシー使いの彼女のワンマンですから。それと、先日、白雪城にネズミが出たようですから、おそらくその主がエルゼベートなのでしょう。よほど、信頼の厚い部下だったのかもしれません。連絡がないのを不審に思い、ここに来た」
「本人が出向いてくるほどですからね」
「目的はおそらく――」
「真祖探し」
ルリィの一言に、全員が首を縦に振った。
「リリ様は、それに気づき行動を逆手にとり、エルゼベートの動きを監視するために、わざと懐に入った――と考えるのが自然でしょうか。お店のオープンを気にかけながら、随分危険なことをなさいます」
「せめて、事前に一言教えてくだされば、こんなに驚かなくてすみましたけどね」
ユミィが金髪をかき上げながら言うと、シャロンがほほ笑んだ。
「リリ様には何かお考えがあってのことでしょう。私ですら演技を見抜けなかった……真祖に最も近いヴァンパイア五柱のことです。細心の注意を払っているはず――今ごろ、気づかれないよう情報を得ようとしておられるに違いありません」
「確かに。では、私は、それをサポートすべく早々にカステラを用意しましょう」
「そうしてください。くれぐれも自然に。私たちはエルゼベートの顔を知っていますが、向こうは知らない。そのことに気づかれないように」
「承知しております」
「あの……」
ルリィが恐る恐る声を上げた。
真剣に話し込むシャロンとユミィに申し訳ない。そんな思いが透けて感じられる。
二人の視線を受けたルリィは、困惑顔を浮かべていた。
「どうしたの?」
「エルゼベートが真祖探しをしているというのはよくわかるのですが……」彼女はごくんと唾を飲んだ。「リリ様は、本当にそこまで考えておられるでしょうか?」
「どういう意味?」
「えっと……リリ様って案外ぼーっとしているところがあるので、実は、本当に偶然なんじゃないかなって思いまして……そういう深謀遠慮みたいな、かけ引きとはちょっと違うんじゃないのかなって」
ルリィの言葉に、シャロンとユミィは顔を見合わせた。
「こんな偶然があるでしょうか?」
「そう言われてみれば、リリ様は――動揺が顔に出るお方ですね。自然……すぎる?」
ルリィが首をぶんぶんと縦に振った。
その速度は見たことがないほどだ。
「もし、エルゼベートを策略に嵌めているとしたら、あんなに素敵な笑顔ができないんじゃないかって、思いまして。どっちかというと、甘いものを食べている顔に近いような気がして……」
「それは……」
シャロンは台に残っているカステラを見た。
表面には満面の笑みを浮かべたリリのイラストが映っている。
「案外、ルリィが当たっているかもしれませんね」
「どうしますか?」
「まあ……なるようになるとしか……」
三人は互いに困惑顔を浮かべて見つめ合った。




