悪魔の誘いは断れない
アテルとウィミュは当然のようにお茶風味の水を飲み終わっていた。
せっかく頼んでくれたのだから、と私もがんばっているものの、ジョッキには三割ほどの水が残っている。
酒なら三分もかからないのに。
と、カフェの入り口に店内の客の視線が集中した。
そこには猫耳の少女が立っていた。
赤茶色のくせっ毛。猫のようなアーモンド形の瞳は緑がかっていて大きい。手足は細く体も小柄だ。長めの尾がふるふると腰元で揺れている。
何より目立つのが、背負っているリュックだ。体に似つかわしくない大きさのそれがアンバランスで、家出少女を彷彿とさせた。
彼女は店内をぐるっと見回した。昼間だと言うのに客は多い。空いている席は少なく、ついでに荷物も大きい。
とことこ歩いて、足を止めた。私たちのテーブルの真横だ。
彼女の視線がお茶風味の水を捉えた。
「あなた、小さいのにしっかりしていますのね。シスターかしら?」
少女はしたり顔で私の顔を覗き込んだ。
声に特徴があり、高貴さとあどけなさが同居している。
アテルが、なんだこいつは、と言いたげに瞳を細めた。
ウィミュは対照的にテーブルに突っ伏している。耳を触られすぎてぐったりしているのだ。
「うん、顔つきも可愛らしいし、私にぴったりですわ」
少女は一人頷いて、びしっと私に人差し指を向けた。
「喜びなさい! 私の家来にしてあげますわ!」
「は?」
素で漏れた反応に気を悪くする様子などなく、少女は「光栄に思いなさい! あはははは!」と魔王のような笑い声をあげた。
***
「どうして嫌なのですか! 私よ! このペルシアン王国の第七王女、ミャン=エナトミ=ペルシアンの家来にしてあげるって言ってるのですわ!」
「嫌なものは嫌」
「まったく、リリ様の言うとおりです。リリ様は貴様ごときの、いや……人に仕えるような方ではないと見てわからないのですか? とんだ節穴です」
「下僕はだまってなさい」
「なにぃ!? 下僕だと!? 私はリリ様のけん――」
「アテル、小さい子が言うことよ。むきにならずに座ってなさい。私の飲み物の残りあげるから」
「えっ……ほ、ほんとうですか! ありがたく頂戴します!」
なぜかとても嬉しそうな顔で私のジョッキをいそいそとテーブルの端に持っていって眺めるアテル。
さっきとは打って変わって、一口飲んで、にやついている。
背筋がざわつくのはなぜだろうか。
まあ、今はそれより、このミャンの方か。
アーモンド形の瞳が感心したように細くなった。
「リリさんって呼ばれてたわね。あなたも元は高貴な血筋でしょう? でも節約しないといけない事情がある。一目見てわかりましたわ」
「全然、高貴じゃないけど。ただの庶民だし」
「え……」
毎日、酒とアイスを買い込んで幸せになる安い女だ。
むしろ高貴さとは何か教えてほしいくらいだ。
ミャンはなぜか気まずそうにもじもじしている。
自分の予想が外れていたのがショックだったのか。
王族を名乗ったわりに、顔にすぐ出るタイプ。かけひきは苦手そうだ。
「ねえ、私を家来にって言ってたけど、ミャンのお付きはいないの?」
「ペルシアン王国は……そう……子供を一人旅に出すのよ! そういう習わしなの! 世界を回ってきなさいって、そういうことですわ」
突然声が大きくなった。
あちこちのテーブルでミャンの発言を聞いてざわめきが起こった。
「ペルシアンって何年か前に滅びたよな?」
「銀帝に逆らったんだっけ?」
「あそこの生き残りか」「クーデターを起こしたとか聞いたぞ」
耳に入ってくる情報はあまり良くないものだった。
ミャンは、ばんと机をたたいて立ち上がった。
きっと目を吊り上げて何かを言おうとして、どすんと椅子に座った。
小さな口はへの字に曲がっていた。
でも、私には「まだ滅んでない」というかすかな声が漏れ聞こえた。
「それで、王女さまがどうして違う国に来たの?」
「教祖プルルスに頼みにきたのですわ」
「何を?」
「王のかたきを、銀帝を討ってほしいって」
「なるほど……」
重苦しい雰囲気だった。
そして、数秒前にミャンが言った「一人旅に出した」という話は早くも綻びてしまっていた。
アテルがつまらなさそうに言った。
「無茶苦茶です」
ミャンが瞳を吊り上げてアテルを睨んだ。
「どういう意味?」
「子供を相手にするほど暇じゃないってことです。相手はこの国の王ですよ」
「他国の王女が来たと言えば、話くらいは聞いてくれるはずですわ」
「ミャンは全然わかっていません」
アテルが悲し気に瞳を伏せて言った。
「プルルスに話を聞いてもらえたら、それで終わりだと思ってください。門前払いされた方が、あなたにとって、よっぽど幸せです」
「言ってる意味がわかりません」
「行ってみたらいいんじゃない?」
ウィミュがむくりと起き上がった。
一応、聞いていたらしい。
「話を聞いてってお願いして、ダメなら帰ればいいんだし」
「ウィミュ、行くのが危険だと私は言っているんです。銀帝のことはよく知りませんが、少なくとも教祖の城はモンスターの巣窟です。あなたが行けば、MPを喰いつくされるか、モンスターの仲間入りです」
「そんなの全然怖くありません」
「……体が震えてますが?」
「ぎ、銀帝が死ぬことを考えて喜びに震えてるんですわ!」
ミャンの尻尾がぴんと伸びたあと、へなへなと曲がっていた。
体は口より正直だ。
「ねえ、アテル。プルルスが話を聞くとしたら、どんな場合かわかる?」
私の問いに、アテルがジョッキを置いて思案顔を作った。
というか、まだお茶風味の水を飲み終わってなかったのか。
「強いか、相手に興味を持ったか……かと」
「どういう相手なら興味を持つの?」
「それは、わかりません」
「なら、強くなればいいわけね。ミャン、レベルは?」
「19よ。王女の中では一番強かったわ」
ミャンが薄い胸をそらせて言った。
アテルがちょっとショックを受けている。こんな小さな子供がレベル19も、なんてことを考えているのだろうか。
「もう少しだけ鍛えてから行ってみたら? この辺、色んな道場があるし、町で有名になれるくらいなら、プルルスの耳にも入るかもよ?」
「確かにいきなり乗り込むより、いいアイデアですわ! さすが、私の家来!」
「リリ様をまた侮辱するのか!」
「アテル、落ち着きなさいって。大人げないから」
「ああ、話してたらのどが渇いたわ。店員さーん、ミルク一つ」
ミャンは方針が決まってにっこり微笑む。
まあ、私が手助けできるのはこれくらいだ。
町で有名になれなければ、あきらめの気持ちが湧いて、熱い頭も冷えるだろう。
「はいよ。お嬢ちゃん、ミルク一つ」
「ありがとう。あっ――シロップいっぱい足してくれるかしら?」
「シロップは高いぞ?」
「お金ならあるから」
目の前で大きなリュックから皮袋が取り出された。
服屋で見せてもらった金貨が大量に入っている。
おじさんがやかんに似た容器を持ってきた。
まさか――
「適当に止めてくれよ」
白くにごったシロップが、どぼどぼと注がれた。
「止めて」と聞こえるまでが、私にとって途方もなく長かった。
ミャンは長いスプーンでかき混ぜた。
そんなに入ったら――
そんなにシロップが入ったミルクは――
「あ、甘すぎるんじゃない?」
「ん? 大丈夫よ。私、甘いものじゃないと飲んだ気がしないの」
ミャンはスプーンでミルクをすくった。
飲むのではなく、舐めるのだ。
本当に猫だ。
「……リリさん? どうしたの?」
「べ、別に……全然……何も」
ミャンが不思議そうな顔をして数秒。にやあっと意地悪く瞳を曲げた。
「私が食べるものは、当然、家来にも与えるつもりよ」
それはとても甘美な悪魔の囁きだった。




