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婚約者もどきの公爵令嬢アシュリー  作者: 柑橘眼鏡
番外編

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渚に想いを乗せて(後編)

 ゆっくりと進む馬車は心地よいリズムで揺れ、眠気を誘う。アシュリーちゃんは見事にその誘いにつられたようで、眠ってしまった。海風は意外と体力を奪うから、疲れてしまったのだろう。


 あどけない表情で眠る姿を俺はただ見つめる。こうやって一緒の時間を過ごせるようになるだなんて、思いもしなかった。倒れたアシュリーちゃんを助けた時も、自分の気持ちを自覚した時も。




 アシュリーちゃんに手を貸したのは、正直に言うと自分のためだった。


 フィルエンドの妹だし、一生懸命殿下のために頑張ろうとするアシュリーちゃんの力になりたかったという理由も、もちろんある。けれどもそれ以上に、フェナーで上手くいかなかったことを、今度は上手くやれるんじゃないかと、そう思って提案をした。


 トレーニングの出だしは順調だった。運動の習慣がない彼女はだいぶ苦しかっただろうけど、毎週正直に報告をしてくれるので、調整がしやすかった。それに、ずっと知らせを待ちながら家にいるより、あの兄妹と話をしている方が楽しくて、俺にとっても気晴らしになっていた。


 そんな中、事件が起きてしまった。気分転換にと誘ったランドーガ家の夜会で、彼女に対する辛辣な言葉が聞こえてきた。彼女に聞こえるほどの声量は、俺にももちろん聞こえてくるわけで。なんてことない顔をしながら彼女の顔色を確認する。傷ついているはずの彼女は何故か心配そうな顔でこちらを見ていた。


 俺の気分を害していないか心配になったんだろうか。自分のことをもっと大事にして良いのに。


 声をかけても何でもないと言うので、ダンスの最中は普段通りの会話に興じる。流石に、一言申さないと気が済まないので、彼女には申し訳ないけど、該当の女性たちには釘を刺しておいた。


 夜会を楽しむ雰囲気ではないので、そのまま馬車に乗り込み公爵家へと向かう。俺はもう申し訳ない気持ちでいっぱいだった。ドレスが緩くなったことを喜んでいた彼女にとって、この夜会は気分転換どころか、気持ちを下げるだけだった。結局、またフェナーのように、俺の行動は裏目に出てしまった。


 そう自分の不甲斐なさを痛感している時だった。彼女が一生懸命自分の気持ちを言葉にしてくれたのは。


 酷い言葉をかけられたのは彼女の方で、俺が彼女を支えなきゃいけないのに、彼女は必死に俺のために言葉を紡いでくれた。俺はその一生懸命な言葉に、救われた気持ちになった。


 そんな事件があった後も、彼女は毎日運動に取り組んだ。途中、停滞した時期があったけれど、一緒に学園に行ったら、もっと気持ちが高まったようで、彼女は苦しい時期も乗り越えることができた。それどころか、副隊長の要請があるにも関わらず、部隊に顔を出すことを躊躇している俺に、彼女は優しい言葉までかけてくれた。彼女の夢を支えているはずの俺が、何度も支えられていた。


 月日は流れ、彼女は明確に痩せていった。それと同時に、俺の中で彼女と一緒にいる時間が当たり前になっていて、気がついたらとても大事な時間になっていた。


 そしてついに、俺は自分の気持ちに気づくことになる。それは彼女が俺に聖剣の日のプレゼントを渡してくれた時だった。一生懸命考えて選んでくれたプレゼントを、精一杯の感謝の言葉と共に贈ってくれた彼女は、俺の感想を聞くと、嬉しそうで、それでいて安堵した表情を浮かべた。


 その姿がどうしようもなく可愛くって、愛おしくて、俺はアシュリーちゃんのことが好きなんだということを痛いほど理解した。


 それからは苦しい日々だった。彼女が痩せようとしているのは、殿下のことを慕っているからであって、そんな彼女に俺の気持ちなんて迷惑でしかない。


 そう分かっていても、辛いものは辛かった。聖剣の日、彼女と同い年の令息が楽しそうに踊っている姿を見たときは、そんな資格がないというのに嫉妬した。


 自分だけが支えられる。それは俺だけの特権だと思っていたけれど、日々彼女は頑張っているから、この聖剣の日のように、鍛えていない男でも彼女を支えられるようになるだろう。楽しそうに踊る彼女の相手が自分以外の男であったこと、それがどうしても辛かった。殿下との幸せを考えたら、喜ぶべきなのに、その幸せを喜べなかった。


 それでもまだ一緒にいたくて、俺は気持ちさえ伝えずに、今までと同じように接していれば問題はないだろうと思って、毎週彼女と一緒にトレーニングをしていた。どうせ、彼女が学園に行ってしまえば、もうこんなに会うことはないのだから。


 自分自身に言い訳をしながら過ごしていた俺だったが、ついに自分の気持ちと向き合う日が来てしまった。彼女が屋敷で倒れた時だ。


 目の前で倒れた彼女を何とか手で抱きとめることに成功した俺は、彼女を部屋に運ぶことにした。体調を崩した彼女が心配で、あまり揺れないように慎重に運んだ。そしてベッドまで運びきって改めて顔を確認したら、様々な気持ちが襲ってきた。


 やっぱり、傍にいたい。傍にいてほしい。でも、彼女の気持ちは殿下に向いているから、その気持ちが報われることはなくって。分かっているのに、強く願ってしまう。



「気持ち切り替えて応援しなくちゃいけないのに。ほんと、俺ってまだまだ未熟だなぁ」



 気がついたら、自嘲しながら言葉が溢れ出ていた。


 そして俺はついに決断することにした。領地もだいぶ整理がついたと父から聞いていたし、フェナーからの励ましの言葉、そして迷う俺の背中を優しく押してくれた彼女の存在もあって、俺は仕事に復帰することにした。彼女への気持ちを抑えきれなくなるのも時間の問題な気がして、タイミングとしては丁度良かった。


 仕事に復帰すると気持ちはいくらか落ち着いた。隊長となると、現場よりも書類などの事務仕事が多くて、あっという間に時間が過ぎていく。何か他に集中できるものがあることの大切さを学んだ。


 とはいえ、彼女にとっての決戦の日であるオリエンテーションの日は怖かった。心身共に美しい彼女は殿下の目に留まるだろう。自分の気持ちにけりをつけなければならない。


 悶々とした気持ちのまま、俺は応援で学園の警備に入ることになった。邸宅からは優雅な音楽が微かに漏れて聞こえてくる。きっと上手くいっているだろう。


 報われることのない想いの強さを痛いほど感じながら、整理をつけていく。そんな時だった、美しく着飾った彼女が目の前に現れたのは。


 本来なら邸宅で踊っているはずなのに。驚く俺に、彼女はもっと驚く言葉を告げていく。殿下への気持ちは、実際のところ尊敬や憧れの気持ちだったらしい。


 そして満面の笑みを浮かべ、彼女はもっとも俺が聞きたくて、もっとも俺が聞けないと思っていた言葉を贈ってくれた。


 俺はその日、大切な人から気持ちを伝えてもらえる喜びと、自分の気持ちを正直に伝えることができる喜びを知った。


 それからは毎日、驚いてしまうほど幸せな日々が続いていて、たまに夢じゃないかと疑ってしまう。こうやって、大切なアシュリーちゃんが俺の前で安心して眠ってくれることも、奇跡のようだ。




 色々と振り返りながら彼女を眺めていると、突然、馬車が大きく揺れた。石にぶつかったのだろうか。


 その衝動で目を覚ました彼女は、まだ寝ぼけているのかぼーっとしていたので、俺は声をかけることにした。まだ眠たそうな青い瞳が愛らしい。



「おはよう、アシュリーちゃん」



「ご、ごめんなさい。ジェラルド様がいらっしゃるというのに、寝てしまって……」



 どうも寝る気はなかったらしい。彼女は起きて早々自身を責めていた。そこまで責める必要はないのに。


 俺は彼女の気持ちが楽になることを願って、嘘をつくことにした。



「ううん、実は俺も寝てたんだ。さっき起きたところ。疲れちゃったよね」



 効果があったらしく、彼女は安堵の表情を浮かべる。



「でも、楽しかったです!」



「うん、そうだね。俺も楽しかった。また一緒に行こうね」



「……はいっ!」



 アシュリーちゃんは瞳を輝かせながら元気よく返す。そして少し間を空けると、突然可愛らしいことを言ってくれた。



「ジェラルド様、大好きです」



 やっぱり、彼女の口から聞ける想いは特別で、信じられないほどの喜びがそこに存在している。


 この世で一番大切な人を支えることが出来る。その立場を得られた俺はとても幸せで、責任重大。


 これから先、きっと楽しいことがあれば、その分辛いこともあると思う。本当はそういう日が来ないことが一番なんだけど、それは現実的じゃない。


 ……もしその時が訪れたら俺が精一杯支えるから、どうかこれからも傍にいてください。


 そんな願いを込めながら俺は言葉を紡ぐ。



「俺も、アシュリーちゃんのことが大好きだよ」



 伝えることの出来ない苦しさを知っている俺は、こうやって何度も彼女に想いを告げていくのだろう。


 傍にいられる限り、ずっと。

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