渚に想いを乗せて(前編)
日差しの強さが増し始めたある休日、休みが合ったアシュリーとジェラルドは日帰りの遠出に出ていた。目的地は郊外のリゾート地として名高い海岸沿いの街。ジェラルドが仕事の都合でこの街を訪問した際、大変素晴らしかったとのことで、アシュリーを誘ってくれたのが事の始まりだった。
馬車の窓から差し込む日差しが眩しくて、思わず目を細めたアシュリーに、ジェラルドが大丈夫かと優しく声をかける。カリスタとジェラルドの従者は違う馬車に乗っているので、ここには二人だけ。気恥ずかしさに慣れはしないものの、アシュリーは満ち足りた幸福を覚えるようになっていた。
途中で休憩を挟んだりし、目的地に着いたのはちょうどお昼頃だった。観光シーズンではないため、人は疎らで波の音がよく聞こえた。
「人が多くないからか、落ち着いていて良いですね」
「現地に住んでる人に聞いたらこの時期が一番良いんだって。それでアシュリーちゃんを誘おうと思って」
「ジェラルド様と一緒に来ることができて嬉しいです。お誘い、ありがとうございます」
アシュリーの答えに、ジェラルドは目を細めながらはにかんだ。
辺りを少し散策した後、ジェラルドの提案により、食事を取ることになった。海のすぐ近くにあるレストランに入り、気持ちの良いテラス席へと案内される。
海風の独特なべたつきを味わいながら、アシュリーはフィルエンドからもらった帽子が飛ばされないよう被り直す。せっかくこの日のお出かけ用にとフィルエンドが贈ってくれた帽子を、飛ばしてなくしたりなんてしたくない。
「風強いね。屋内に変更してもらうようお願いしよっか?」
そんなアシュリーの様子に気がついたジェラルドがすぐに声をかけてくれる。
「気持ち良いのでこのまま風に当たっていたいです」
「そっか。じゃあ、このままで」
ジェラルドの気遣いが嬉しくて、アシュリーは思わず微笑んでしまう。こういう瞬間が、とても好きだった。
二人は店員に勧められたコースを頼むことにした。メインの新鮮な魚を使用したソテーはとても美味しくて、アシュリーはゆっくりゆっくり味わいながらいただいていく。昔の食べ方はすっかり忘れてしまった。黙々と食べるのも悪くはなかったけれど、こうやって好きな人と話をしながら食べるのはとても素敵な時間だ。
楽しく食事を終えた二人はさっそく海岸へと向かった。日差しを受けて輝く海は眩しくて綺麗で、夏が近づいているのを感じさせた。
今日のアシュリーは砂浜を歩けるような服を選んできたつもりだったが、やっぱり慣れていないのでなかなか歩きにくい。逆に、平坦ではない道を歩くことに慣れているジェラルドは難なく進んでいった。余裕があるからか、アシュリーに手を貸してくれた。繋がれた手がくすぐったい。
「砂浜って歩きにくいですね」
「そうだね。だから、わざわざトレーニングで砂浜を走ることもあるみたいだよ」
「それは……、きつそうですね」
「せっかくだし、走ってみる?」
「遠慮します!!」
おどけた口調にアシュリーは全力でお断りをする。
それもそうだよね、と笑いながらジェラルドは歩を進める。ちらりと後ろを向けば、二人分の足跡が砂浜に並んで残っていた。
遮るものが何もない海岸の風は、波打ち際に近づけば近づくほど強くなっていく。
「あっ!」
そして案の定、アシュリーの帽子はひときわ強く吹いた風に飛ばされてしまった。その風は帽子を勢いよく上昇させると、砂浜の方へ飛ばしていく。
瞬時に気づいたジェラルドは、帽子が飛んで行った方に向かって走っていく。その瞬発力のある動きに、思わず目を奪われる。
ゆっくり下降する帽子の下に、本気で走るジェラルドはあっという間にたどり着き、その勢いのままジャンプをして帽子を捕まえた。
流れるような動きに見入ってしまったアシュリーは、遅れてジェラルドの方へと向かって走る。砂に足を取られてしまい、思うように走れない。結局、ジェラルドの方から来てもらう形になってしまった。
「はい、アシュリーちゃんどうぞ。間に合って良かったよ」
差し出された帽子を両手で抱え込む。海岸にいるときは、帽子を被らないようにしよう。アシュリーは心の中でそう決めながら、お礼を伝える。
「ありがとうございます。……それにしてもジェラルド様、早いですね。思わず、見入ってしまいました」
「だって、フィルエンドからの贈り物でしょ? 汚したくなくって。それに、アシュリーちゃんにちょっとカッコ良いところ見せたかったんだ」
あはは、とジェラルドは笑う。そんなジェラルドに「カッコ良かったです」とストレートな言葉でアシュリーは返した。すると、ジェラルドは頬を染めたかと思うと片手で自分の顔を押さえてしまった。
「自分で言っておいてなんだけど、恥ずかしいね」
照れているのか小声で返すジェラルドが可愛くって、アシュリーはにやけてしまった。
歩くことを再開した二人は、暫く波のさざめきを楽しんだ後、街の方に戻って、観光を楽しむことにした。
街の中には地元で有名なアイスなどの氷菓を販売する店があったので、カリスタやジェラルドの従者にも声をかけて、一緒に食べることにする。冷たくて、美味しくて、思わず口に運ぶスピードが上がってしまうものの、真っ先に食べ終えたのはジェラルドだった。
以前、一緒にアイスを食べた舞踏会の時を思い出して思わず笑ってしまう。なんとなく、あの時の言葉をもう一度言いたくなったアシュリーは、食べ終えると高飛車な態度をとった。
「アイスを食べたら身体が冷えてしまったようだわ」
ちらりとジェラルドの顔を見ると、ジェラルドもあの時のことを思い出したのか茶目っ気のある表情を浮かべる。そして口を開こうとするが、それよりも先に真剣な声が響く。
「お嬢様、本当ですか! すぐさま、何かお持ちしますのでお待ちを――――」
「違うっ、違うのよ、カリスタ! 寒くないの! これは、その、ジェラルド様とのちょっとしたお遊びなの!」
一生懸命伝えるも、半信半疑のカリスタにジェラルドが声をあげながら笑う。一頻り笑った後、ジェラルドが恭しくアシュリーに手を差し出す。
「それではお嬢様、温かな日差しを楽しみながらお散歩でもいかがでしょうか?」
「はい、お願いします……」
なんだか気まずくなったアシュリーは、差し出された手に自身の手を重ねながら、消え入りそうな声で答えた。
その後、また海岸に戻った二人は、他愛無い話をしながら、散策を続ける。楽しい時間はすぐに過ぎてしまうもので、気がついたら帰る時間になっていた。
寂しさを感じながらもアシュリーは馬車に乗る。疲れてしまったのか、暫くすると眠ってしまった。
心地の良い眠りに浸っていると、突然、馬車が大きく揺れ、目が覚める。
目が覚めたアシュリーに、ジェラルドが甘い視線を送りながら優しく声をかけた。
「おはよう、アシュリーちゃん」
「ご、ごめんなさい。ジェラルド様がいらっしゃるというのに、寝てしまって……」
人様の前で寝るのも問題だし、ジェラルドと一緒にいる時間を睡眠に費やしてしまうのも問題で、アシュリーは己を恥じながら謝罪をする。
そんなアシュリーにジェラルドは微笑む。
「ううん、実は俺も寝てたんだ。さっき起きたところ。疲れちゃったよね」
ジェラルドも寝てしまっていたという事実に、アシュリーはほっとする。
「でも、楽しかったです!」
「うん、そうだね。俺も楽しかった。また一緒に行こうね」
「……はいっ!」
また一緒に行くことができる。その事実が嬉しくて、アシュリーは元気よく返事をする。これから先の話が出来ることは、少し照れくさくて、それでいて満ち足りた気持ちにさせる。
ジェラルドに想いを伝えてから毎日が幸せで、いつだってその日が一番幸せだったと感じてしまう。それはこうやってデートをしている日だけじゃなくて、学園で過ごしている日もそうだった。
ジェラルドを通して気づけた日々の幸せは、どうしようもなく愛おしい。
この幸せを大事にしながら、育てながら、一緒に歩んでいきたい。
「ジェラルド様、大好きです」
溢れ出た想いをそのまま告げる。突然の告白にジェラルドは一瞬固まると、すぐにキャラメル色の目を細める。
「俺も、アシュリーちゃんのことが大好きだよ」
自然とお互いの顔が近づき、唇が触れる。ほんの一瞬だというのに、いつだって甘くとろけてしまいそうになる。
この幸せな気持ちがジェラルドに伝わればいいのに。そう思わずにはいられないアシュリーだった。




