キャラメルが運ぶ幸せ(後編)
「そういえば、私、この前、アシュリー様の婚約者の方を見かけたんですよー」
学園での授業が終わり、それぞれが自由な時を過ごす放課後、アシュリーは自分の部屋にいた。目の前のテーブルには、従妹から届いた焼き菓子と紅茶が三人分用意されていた。一つはマーガレット用で、もう一つは気になる話題を提供した人物、サラのもの。――――そう、このサラこそ『王子様との恋するラブレッスン』のヒロインだ。
入学式の日、ジェラルドの元を離れたアシュリーはすぐにサラへ声をかけにいった。夢でその姿を見ていたとはいえ、実際は初対面。初めての会話だけでも緊張するのに、お茶に誘うという無謀な挑戦。己を鼓舞しながらアシュリーがお茶会に誘うと、サラは驚きつつも嬉しそうな声で快諾してくれた。
社交性の無いアシュリーが他に誘える人と言ったらマーガレット以外おらず、結局三人でお茶会をすることになった。これが思いの外盛り上がり、従妹からのお菓子も毎週届くので、週に一度、こうやって放課後にお茶をするようになっていた。
マーガレットはティーカップを持ち上げながら、同意を示すように頷いた。
「ロード・ディアンガーは目立つから分かりやすいわよね」
「そうなんです、そうなんです! この前の休日に王都を散策してたら見かけて。すぐに気づいちゃいました。流石に声はかけれませんでしたけど」
興奮気味のサラは、焦げ茶色のボブヘアーを揺らしながら勢いよく喋りきった。
「ジェラルド様はお元気そうだったかしら」
「相変わらず爽やかな笑みを浮かべてましたよ。長い髪をひと括りにした女性の騎士と一緒に巡回されてました」
「ふーん、女性の騎士、ね」
面白そうな顔でこちらを見るマーガレットに、アシュリーは慌てながら口を開く。
「ジェラルド様はお仕事をしているだけよ!」
「あら、妬かないのね。流石、愛されてるのを実感してるアシュリーは強いわね。羨ましいわ」
マーガレットは肩を竦めながら、わざとらしくため息をついた。サラも思うところがあるみたいで、座っている椅子に脱力しながらもたれかかった。
「私もそんな愛を実感したい……」
このゲームのヒロインが何を言うんだ、と心の中でアシュリーはツッコミを入れる。上手くいけば素晴らしいエンディングを迎えられるというのに。
遠い目をしたままのヒロインに、アシュリーはさりげなく探りを入れることにした。
「サラさんならできるわよ。最近、アプロと楽しそうに過ごしているって聞いたけど、実際のところはどうなの?」
興奮気味のアプロの長話に付き合ったのは記憶に新しい。サラと出会ったアプロは、ゲーム通り彼女のことを気に入ったらしく、アシュリーにその素晴らしさを説いた。学園の敷地内にある誰も知らない石像の手入れを黙々としていたサラが、アプロには女神のように見えたらしい。
そんな女神様はアシュリーの発言に顔色を変えず同意する。
「そうなんです、私の村から出た画家の話で盛り上がっちゃって。アプロ様、庶民の私にも気さくにお話してくださって、お優しい方ですね!」
いい笑顔を向けられたアシュリーはすぐに同意出来なかった。悪い人ではないが、失礼な扱いを受けた回数が多すぎた。
少し遅れて同意すると、サラは言葉を続けた。
「入学前は貴族の皆さんと同じ空気を吸うという事実だけで震える思いでしたけど、アシュリー様やマーガレット様のように、皆さんとっても親切で、毎日が楽しいです。王子様と言葉を交わした日なんて、夢のようでした。卒業したら、村で自慢します!」
ランドーガ家の令嬢に絡まれたことをすっかり忘れているサラは、何故か自慢げな顔で言いきる。確かに、この国の時期国王であるアルフレッドと会話しただなんて村の人からしたら大事件だろう。
入学式、サラは無事にアルフレッドと出会った。アシュリーを追いかけていたアルフレッドが道中で絡まれているサラを発見しゲーム通り助けたのだったが、そこまでで、その後は特に会話などしていないらしい。
アルフレッドからもサラの話は特に聞かないので、夢で見たゲームとは違う展開を見せている。ヒロインと親交を深めるアルフレッドはとても幸せそうだったが、これでは実現しそうにない。
アルフレッドにはアルフレッドの幸せを見つけてほしいとアシュリーは願っているので、少し残念な気持ちだった。
「あっ、でも、例の先生の授業がある日は少し身構えてしまいますね。何故か私ばっかり難しい問題当てるんですよ!? 笑顔でとぼけてますけど、絶対に怪しいですって!」
サラの言う例の先生とは、腹黒キャラのことを指している。どうやらさっそく虐められているらしく、不服に思うサラは腕を組みながら口を曲げていた。
共通ルートはまだまだ続くので、サラが誰を選ぶのかはもう少し先にならないと分からない。傍観者となったアシュリーは、自分が巻き込まれないで済むことを祈った。
お茶会から数日後、アシュリーはマーガレットに加えて他二名の女子生徒と一緒に馬車に揺られていた。不定期で開催される放課後の校外学習の帰りだった。サラは別の用事があるとのことで、不参加だった。
アシュリーは向かいに座るマーガレットと、先程訪問した美術館の感想を語り合っていた。隣に座る女子生徒とは最初の方で会話が途切れてしまい、結局、マーガレットと話をすることになったのだった。
「何度も訪問したことがあるけれど、やっぱり素敵ね。美しいものは、何度見ても色褪せないわ! 今日いらした方に少しでも良さが伝わったら良いのだけれど」
マーガレットと別の馬車に乗るアプロの二人は、引率の教員以上の知識を保有しており、語りも止まらないため、途中から解説者になっていた。本来解説を請け負っていた教員も知らないことが多かったらしく、いつの間にか聞く側に回っていた。
「本当に美しいものが好きね、あなたたちは……」
「当然よ? だって……、って、ちょっとアシュリー!」
マーガレットは突然、馬車の窓を指差す。何事かと思い覗いてみると、そこには今度の休みに会う約束をしている自身の婚約者の姿があった。……そして、横には紺色の髪を結った女性が側にいた。何かの店の前でお互い笑みを浮かべている。
これが騎士の制服なら特段気にすることもなかっただろう。だがしかし、そういう訳にはいかなかった。なんと、二人は私服だったのだ。
ジェラルドはいつも通りの優しい笑みを浮かべているだけで、藍色の髪の女性も適切な距離感を保っており、どこにも心配する要素はなかった。が、しかし、何故か心はざわめいている。
映す景色が変わったというのに、アシュリーは窓に視線を送ったまま動けずにいた。
あのジェラルドに限って変な話があるとは思えないが、気にならないと言ったら嘘だった。仕事だけでなく、非番の日に私服で会う関係ということは、きっと親しい間柄なのだろう。
ジェラルドにはジェラルドの時間があるわけで、婚約者だからと言って全てに踏み入って良いというわけではない。そう理解しているものの、気持ちは落ち着かない。知れるものなら、知りたいと思ってしまう。
「今度の休み、休日が合うからってお出掛けするんでしょ? その時に聞いたらいいじゃない」
唖然としたままのアシュリーに、呆れながらマーガレットが声をかける。
マーガレットの言うとおり、アシュリーは次の休みにジェラルドとお出掛けの約束をしていた。ジェラルドが好んで食べているキャラメルのお店が店内飲食を始めたらしく、一緒に行こうと誘われていた。そのため、まだまだ油断のならない体型のアシュリーは前回のお茶会を最後に甘いものは一切口にしていなかった。何故かサークル活動のようにトレーニング仲間が出来てしまった毎日の運動も、アシュリーだけは内容をきついものに変更していた。
「聞くって、何をどうやって……。その、不自然じゃないかしら」
「婚約者のことが気になるのは当然のことよ。どこも変じゃないわ。普通に聞けばいいのよ。一人で思い悩むより、聞いた方が早いし楽よ?」
「それも、そうね」
マーガレットの意見が正しすぎて、アシュリーは同意するより他なかった。
「ああ、結果は報告しなくていいから。事情は何にせよ、結末は見えているわ」
白けた表情のマーガレットはそう言うと視線を窓に移す。
冷めたマーガレットと違い、混乱の最中にいるアシュリーは約束の日まで悶々と過ごすことになった。
色々な意味で待ちに待ったお出かけの日。アシュリーは学園の正門前で侯爵家の馬車に拾ってもらい、キャラメルのお店まで向かっていた。
直接会って話すのは数週間ぶりだと言うのに、アシュリーの心は嬉しさより緊張が勝っていた。挨拶もどこかぎこちないものになってしまう。
「アシュリーちゃん、久しぶり。元気そうで安心したよ。今日、凄く楽しみにしていたんだ」
「ご、ごきげんよう、ジェラルド様。その、私も、えっと、楽しみにしておりました」
不自然な返しに、ジェラルドは首を傾げる。
「アシュリーちゃん、どうかした?」
「いえ! 何でもないです!」
アシュリーは反射的に答えてしまう。せっかく自然な流れで問いかけられるチャンスだったというのに、口が勝手に動いていた。
心の中で後悔するが、時すでに遅し。ジェラルドはアシュリーの返事を受け、気にせずに違う話題を提供してくれた。今更、何かありますと言うのも不自然な気がして、アシュリーはそのままジェラルドの話に乗る。
ジェラルドとの会話はとても楽しくて、気にしていたことがどんどん薄まっていくのを感じていた。
途中、このまま、聞かなくてもいいのでは? という逃げの気持ちが現れる。思わずそれに流されそうになってしまう。しかしながら、今流されて逃げるのはとても簡単なことだが、帰った後に後悔するのは目に見えている。やっぱり聞いた方が精神衛生的には良いに決まっている。
それは分かっているものの、否定してしまった今、聞きづらい。ああ、どうしたものだろうか。アシュリーの悩みは終わらない。
「……ねえ、アシュリーちゃん、やっぱり何かあるんじゃない?」
心の中であれやこれやと考えていたアシュリーだったが、やっぱり言動に出てしまっていたようで、ジェラルドが再度確認をしてきた。
これは最後のチャンスだ。理解したアシュリーは、緊張した面持ちで口を開く。
「あの、ジェラルド様。実は、お伺いしたいことがありまして」
「何かな? なんでもどうぞ」
ジェラルドは優しく微笑む。どうやって話を展開していけばいいのか一瞬迷うが、ストレートに聞いた方が早いし分かりやすいので、アシュリーは直球の質問をぶつける。
「藍色の長い髪をひと括りにした女性、ご存じですか……?」
「藍色の長い髪?」
「そうです。先日、校外学習帰りに私服姿のジェラルド様を馬車からお見かけしまして。その時に、その、女性の方がご一緒されてて……。それと、私の友人もお仕事中のジェラルド様を見かけたようで、その時にもその女性がご一緒だったとか。その、お仕事関係のお方だとは思うのですが、その、どんな方かな、と気になって、はい……」
言葉を続ければ続けるほど、アシュリーは自身の情けなさを強く感じた。最後の方は、気まずくて声が小さくなってしまった。
ジェラルドは真剣にアシュリーの話を聞いた後、目を閉じ思案する。そして思い当たったのか、手を打つと笑みを浮かべた。
「ああ! イレインのこと? イレインはイードンの妹だよ。彼女は最近、騎士の試験を受けて合格したんだ。それで、今、色々な部隊の説明を受けている最中で、俺の部隊にも最近来てたんだよ。友達が見たのはちょうど通常任務の説明をしている時じゃないかな?」
「イードン様の、妹……」
「そうそう。顔は似てないけど、性格とか似ててアシュリーちゃんもすぐに仲良くなれるよ。今度紹介するね。……それで、アシュリーちゃんが見たのは、店を紹介していた時だね。彼女が短剣を購入したいって言っていたから、隊で人気の店を紹介していたんだ。イードンもいたんだけど、妹よりも長引いてね。先に二人で店を出たんだよ。だから二人だったんだ」
「剣の、購入……」
「うん、そうだよ。だから、アシュリーちゃんが心配するようなことは何もないよ」
アシュリーの疑問にさらりと答えたジェラルドは、アシュリーを安心させるように微笑んだ。
明朗な回答をもらったアシュリーは、自身の記憶を振り返っていた。確かに、言われてみればあの髪色はイードンと似ている色だった。
「そ、そうでしたか……。私ったら、とんだ勘違いを……。ごめんなさい」
全てが分かった今、アシュリーはどうしようもないほど恥ずかしい気持ちでいた。スッキリするはずだったのに、居心地が悪くて仕方ない。
「謝ることなんてないよ。アシュリーちゃんに気にしてもらえるだなんて、正直、嬉しいし。でも、俺もまだまだだね。アシュリーちゃんに心配かけちゃうなんて」
「ジェラルド様……?」
「だって、俺がもっと気持ちを上手に伝えられていたら、そんな心配をかけずに済んでいたと思うんだ。俺はアシュリーちゃんに不要な心配なんてかけたくないし、どちらかと言えば、俺と一緒にいることで安心感を覚えて欲しいというか」
話の途中で馬車が止まる。ジェラルドは「着いたみたいだね」と言っていったん話を切り上げた。御者台から降りたジェラルドの従者が、ゆっくりと馬車の扉を開く。先に降りたジェラルドは、アシュリーに手を差し出した。ありがたく借りるものの、アシュリーは顔を見ることが出来ずにいた。自分とジェラルドの器の大きさに違いがあり過ぎて、恥ずかしかったのだ。
降りた後もアシュリーはジェラルドと手を重ねたままで、従者についていく。馬車はお店の正面につけたようで、目的地はすぐそこだった。
ずっと顔を逸らし続けるアシュリーにジェラルドは甘く微笑んだ。
「だからさ、これからはもっときちんと言葉にして伝えていくね。心配なんてしないで済むようにさ」
「…………」
些細なことを気にして、妬いていた自分の未熟さを痛感したアシュリーは、何も返せないまま足を動かす。自分への恥ずかしさだけでなく、ジェラルドから深い愛情も感じ、信じられないほど頬が熱かった。
店の前にたどり着くと、従者が慣れた手つきで扉を開けて店内に入っていく。二人もそれに続いて進んでいった。店内からは甘い香りが漂ってくる。
変わらない態度のアシュリーにジェラルドは眉を下げながら声をかけた。
「アシュリーちゃん、こっち見てよ、ね?」
「未熟な自分が恥ずかしくて、お見せする顔がありません……!」
更に顔を背けたアシュリーは思わず唇を尖らしてしまう。こんな態度をとってしまう自分がどこまでも幼稚で、もう何かもを投げ出したい気持ちでいっぱいだった。
「どんなアシュリーちゃんも素敵だから、気にせずに色々な顔を見せて欲しいな」
「ジェラルド様……」
そこまで言われたらどうしようもない。アシュリーはおずおずと顔をジェラルドの方に向ける。キャラメル色の瞳と視線が重なると、ジェラルドの笑みが一層甘くなる。
「うん、やっぱり、顔を見ながら話す方がいいね」
優しい声色のジェラルドに、自然とアシュリーも絆され微笑みを返した。
一通り二人のやり取りを見守っていた従者は、一件落着したのを確認すると店主に声をかけた。店内の奥の方には木製のテーブルと椅子がいくつか置いてあり、二人はそこに案内される。
椅子に腰をかけると表情が硬い店主がこちらにやってきた。
「いつもご贔屓いただきありがとうございます。今日のオススメセットは、季節のフルーツを使用したタルトとフルーツティーですが、いかがですか?」
声色も硬いが、不思議と怖い雰囲気はなかった。
「美味しそうだね。俺はそれにしようかな。アシュリーちゃんは?」
「私も、そちらをいただきたいです」
ジェラルドの優しさで落ち着いたものの、ちょっぴり気まずさが残るアシュリーは遠慮がちに告げる。
店主は硬い表情のままオーダーを受け、去っていく。と、思ったら再び戻ってきた。手には小皿を乗せた銀のトレイがあった。その小皿を二人のテーブルにゆっくりと置くと、店主は表情も声も硬いまま口を開く。
「毎回ご購入いただいているキャラメルです。よければ、食べながらお待ちください」
店主は慣れていないのか、途中からぶっきらぼうな口調になっていった。言い切ると今度こそ本当にその場を離れた。
店主の言う通り、小皿にはキャラメルが置いてあった。見慣れたキャラメルに思わず頬が緩む。
ジェラルドは喜びながらさっそく小皿からキャラメルを取出し、アシュリーの手の上に置いた。その後、自身の分も取り出した。
「せっかくだから、いただいちゃおっか。で、これ食べたらさっきのことは全部忘れて、美味しいタルトを楽しもう?」
まだ気にしているアシュリーに気づいていたようで、ジェラルドは優しい提案をしてくれた。このキャラメルを契機に気持ちを切り替えられるように、声をかけてくれたのだった。
やっぱり、この人は底なしに優しい。この優しさに報いたい。
「はい、そうします!」
今度こそ明るい声でアシュリーは返す。
アシュリーは手の上に置いてあるキャラメルを摘まみ、それを包む白い紙を慣れた手つきで剥がすと、そのまま口の中に入れた。ジェラルドも気持ちが切り替わったアシュリーに安心したのか、キャラメルを口に入れ、味を楽しんでいた。
暫し、無言の時間が流れる。大好きな人の幸せそうな顔を見ながら食べるキャラメルは、とても素敵な味だった。




