第4話
アプロに真実を突きつけられたアシュリーは傷心のまま家に戻り、そしてその日はいつも通りの夕食をとった。安心したフィルエンドがいつもと同じように「これが美味しい」やら「食べたことのない味だよ」と勧めてくるが、それは辞退した。痩せるのを諦めたわけではないからだ。明日から仕切り直そうと考えていたのだ。
次の日の朝、固い決意の下、アシュリーは昨日と同じくミルクだけで済ませた。またフィルエンドとダリウスがうるさかったが、無視をした。
今日もピアノやハープのレッスン、家庭教師による事前学習の予定はない。このまま意味もなく家にいては朝の努力が無駄になってしまいそうなので、アシュリーはまた侍女を連れて外出することにした。
今回は大きな公園へと向かう。食べ物がなさそう、という理由で公園を選んだ。馬車でぐるぐると走っていれば見知った顔に会ったりして、あっという間に時間は経つだろう。飽きたら馬車を降りて大道芸人でも見物すればいい。きっとお昼になるはずだ。……そしてそのまま、お昼も食べずに公園のベンチで読書をするのだ。
昨日の衝撃的なアプロの発言を踏まえ、アシュリーが至った結論は単純なものだった。「昼に食べちゃうのなら、お昼も抜いちゃえばいいじゃない」という実に明快で短絡的な作戦だった。
胃の大きさ的に夕食を食べ過ぎたとしても、抜いた朝分と昼分までは受け付けないはず。この作戦にアシュリーは大変自信があった。痩せる為にわざわざ口にしたものを吐き出すという恐ろしいダイエット法の存在を例の夢で見たが、そんなことはしたくない。食べ物を粗末に扱うだなんて、アシュリーは考えるだけで恐ろしかった。
良い天気だからか公園は大いに賑わっていた。同じように馬車に乗っている人や乗馬を楽しんでいる人、普通に散歩している人もいた。公園を住まいとしている猫やリスも穏やかな気候が嬉しいのか、噴水の近くでのんびりしていた。
これほどたくさんの人がいるのだから、見知った顔やゲームのキャラクターがいてもおかしくない。視線を彷徨わせているとやけに眩しい銀髪を運ぶ馬車があった。またアプロであった。
まるでアプロを攻略している勢いだが、アシュリーは前世でも今世でも関心は薄く、むしろ今は憎むべき相手である。
彼の隣にはオレンジ色の髪の毛をゆるく下した華やかな女性。深緑の瞳はハツラツとしていて、大輪の花の様な笑顔を浮かべながらアプロの隣に座っている。ヒロインの親友であるマーガレットだ。
アプロと一緒の馬車でこの素晴らしい陽気を楽しんでいるのは付き合っているからではない。親戚なのだ。深緑の瞳が何よりの証拠。ついでに美についても同じようにうるさい。
しかしながらそんなことをヒロインは知るはずもなく、アプロのルートに行くとヒロインは三角関係だと勝手に勘違いし、勝手にすれ違いを始めるのであった。
ついでにこのもどき令嬢アシュリーはどこのルートでもヒロインの妨害をする。とにかくヒロインに嫉妬しているのだ。
感情のこもった笑みを向けてもらえないのも、婚約者と認めてもらえないのも、全部、自分が蒔いた種だというのに。
ゲームの詳細を改めて思い出したアシュリーは更に意思を強くした。痩せる。食事量を減らして、痩せて、そしてアルフレッドに自分を見てもらう。
ついでに逆ハーも築こう。あのアプロが自分に愛を囁いているのを想像するとなんだか少し気味が悪いが、せめて美しいと言わせたい。きっと溜飲が下がるだろう。
大丈夫、細かい攻略法は忘れたけれど、好きなものと嫌いなものは覚えているので、痩せた自分ならきっと簡単に築けるはずだ。
ヒロインがビッチなのかは今のところ不明だが、もしそうであるなら断罪だ。痩せた自分ならきっといけるに違いない。
アシュリーが妄想に耽っているとアプロとマーガレットはいつの間にか視界から消えていた。楽しい妄想はいくらでも出来てしまう。
妄想を現実にしなければ。
馬車に揺られるのも飽きたので、アシュリーは大道芸人を見ることにした。ナイフを回したり、帽子から鳩を出したりとなかなかに派手だ。歩きながら多様な芸人たちを楽しみつつ、良さげなベンチが無いかを探す。歩くのは好きでは無い。基本動きたくないので、早く座ってのんびりしたかった。
ちょうど良い具合にベンチ部分が日陰になっているエリアがあった。三人は座れそうだ。
どっしりと腰をかけると少し軋む音が聞こえてきた。きっと気のせいだろう。三人座れそうなのに、アシュリーと侍女が座ったらスペースがなくなったのも、きっと気のせいだろう。
現実の受け入れを拒否し、本を開く。お気に入りの作家の推理小説だ。新作でまだ最後まで読めていなかった。侍女は侍女で刺繍をするようなので、遠慮なく本に集中する。
穏やかに時間が流れていった。
途中、侍女が意味深に席を外し、意味深に戻ってきた以外、特に何も起きず平和に時が過ぎていく。……口にパンくずをつけているような気がするが、彼女の優しさを無下にしたくないのでアシュリーは何も言わなかった。
いくら熱中できる推理小説といえども、危機は訪れる。身体が空腹を訴えてきたのだ。アシュリーはここで折れてはいけないと痩せたときの妄想をし乗り切る。
殿下。逆ハー。断罪。
それを何度か繰り返していると辺りは夕陽色に染められていた。
「私、頑張ったわ……」
一人つぶやくと侍女が心配そうにこちらを覗いてくる。
「お嬢様、このようなご無理をどうして……」
侍女の疑問に答えずにアシュリーはベンチから立つ。景色が数千倍も美しく見えた。達成したからか清々しい気持ちでいっぱいだ。
一歩踏み出すとなんだか身体がふらついたが、気のせいだ。馬車を待たせているところまで向かわなくては。
侍女が先程より深刻な声でアシュリーに声をかけるが、なんだかハッキリと聞こえなかった。それどころか足元もおぼつかない。それでも一歩ずつ進んでいるからか、馬車が見えてきた。安心する。
その安心によって脱力したアシュリーは脚に力を入れることが出来ず、バランスを失った。
地面に後ろから倒れそうになる。
どうやら無理をし過ぎたようだ。
痛みに耐えるため、強く目を閉じ衝撃に備えると思いもよらぬ感触がアシュリーを出迎えた。
「ちょ、ちょっと大丈夫?」
ドレス越しに感じる大きな手と逞しい腕。誰かが横綱のアシュリーを支えている。この世に支えてくれる人がいるだなんて思いもしなかった。
――――いったい、どなた……?
アシュリーは恐る恐る目を開ける。そこには栗色の髪を風になびかせた兄の友人がいた。




