第37話
会場である白亜の邸宅は変わらず優美で美しかった。もうそろそろで開始の挨拶が始まるからか、辺りに警備の騎士が数人いるだけで、生徒の姿は見えなかった。アシュリーは昂る気持ちを抑え、ゆっくりと玄関ホールへ足を運ぶ。
あの時と同じ大理石の床と見事な天井絵が迎えてくれた。ホールには何人か生徒が残っていたが、アシュリーは気にも留めずに進む。視線を感じるが、構う気にはなれなかった。
舞踏場へと続く扉は閉じており、横には騎士が二人ついていた。その内の一人が見知った顔で、緊張で強張っていた顔が和らいでいくのをアシュリーは感じた。相変わらず、騎士の制服は着崩していた。
「イードン様、お会いできるとは思いませんでした」
「俺は待っていたよ、レディ・アシュリー。……いよいよだな」
「……はい」
イードンの言葉に静かに頷く。その姿を確認したイードンは横にいる騎士に合図を送り、扉を開いた。
眩しい光がアシュリーに降り注ぐ。思わず目を瞑ってしまうほどだった。舞踏会は夜まで開かれるため、まだ陽は沈んでいないというのに、会場内の蝋燭は全て灯されていた。
場内の明かりが凄いと言っていたのはジェラルドだっただろうか。その通りだと、思わず一人で笑ってしまう。
決意を新たに一歩足を進める。通り過ぎるアシュリーにイードンが声をかけた。
「レディ・アシュリー、誰よりも輝いているよ。……幸運を」
イードンの声援に、アシュリーは思わず振り向いてお礼を言おうとするが、扉は閉じてしまう。
「ありがとうございます。頑張ります」
扉越しに届いているのか不明だが、アシュリーはお礼の言葉を述べ、背を向けた会場に身体を向ける。
――――ここで一番とまではいかなくても、そこそこでいいから、輝きたい。場に恥じない人間になりたい。
そう思ったあの時の自分を裏切りたくない。ううん、大丈夫。裏切らない。
アシュリーは光の中を優雅な足取りで進んでいった。
学園のオリエンテーションは、オリエンテーションと言いつつそれらしいことは開始の挨拶ぐらいで、他は普通の舞踏会と変わらなかった。
ゲームのスタートは入学式のため、このオリエンテーションは一文で紹介が終わってしまう。ゲーム通りに話が進んでいれば、平々凡々な村出身のヒロインは、ドレスが必要なオリエンテーションには出ず、寮にもまだ来ていないはずだ。
辺りを見回すも、ヒロインらしき姿は見えない。シナリオ通りに進んでいるのだろう。
ゲームにとっては重要度の低いオリエンテーションだが、アシュリーにとっては違う。最重要イベントだ。
そんなオリエンテーションは、学園長の挨拶の後、各科目の担当教員の紹介が続き、最後に生徒代表による開始の宣言で、舞踏会が始まる。今年の生徒代表はもちろんアルフレッドだ。
アルフレッドは別室で学園長たちと待機しているようで、会場内で姿を確認することはできなかった。
少しがっかりしている中、興奮気味なマーガレットが勢いよくアシュリーの元にやってきた。
「アシュリー! あなた、アシュリーよね! 凄い、凄いわ! ここまで変わるだなんて! 皆、あなたに注目してるわよ!」
「あ、ありがとう……」
前のめりなマーガレットに、アシュリーは後ずさりながら言葉を返した。
「ああ、アシュリー、本当に頑張ったのね。聖剣の日からさらに細くなって……。ロード・ディアンガーの腕は確かね。後でまた会ったら、色々と詳しく聞かないと……」
マーガレットの発言にアシュリーは首を傾げる。また、とはどういうことだろうか。
疑問がそのまま顔に出ていたようで、マーガレットが困惑しながらもアシュリーに説明をする。
「あら、知らないの? 今日は式典ということで、警備の応援に来ているって仰っていたわ。てっきり、あなたは知っているかと思っていたのだけど」
「……初めて知ったわ」
どうして教えてくれなかったのだろうか。そういえば、馬車に乗る前、何かを言いかけたような瞬間があったが、もしかしてこのことだろうか。
悶々とするアシュリーに、マーガレットの後ろからひょっこり現れたアプロが声をかけてきた。
「一際輝くレディがいると思ったら、キミだったのか。参ったよ」
やれやれと困った顔をしていたが、声色はどこか嬉しそうだった。
「煤で汚れて、泥の中にいたサファイアは、その汚れを落とすどころか、見事なカットを施したようだ」
事の発端であるアプロの登場に、アシュリーは気持ちを切り替え得意げな顔を浮かべる。
「見直したかしら?」
「もちろん。僕の完敗だよ。外見だけでなく、君のその内から溢れる美、恐れ入った。……アルフレッドの反応が楽しみだ」
彫刻の様な顔は視線を奥の扉に向ける。開始の時刻になれば、その扉からアルフレッドが学園長と一緒に登場する予定になっていた。
そのままアシュリーはアプロとマーガレットの友人達に囲まれ、質問攻めにあう羽目になった。ボリューミーな体型で名高いウェストビー公爵令嬢の劇的な変化に、皆興味津々だったのだ。
その追及は開始の合図であるトランペットが吹かれるまで続いた。
トランペットの音が止むと、優雅な音楽が流れ、例の扉から学園長たちが入室してきた。――――もちろん、その中にはアルフレッドがいた。
久しぶりに見たアルフレッドは、それはもうメインヒーローらしく、整った甘い顔立ちで多くの女性の視線を奪っていた。輝かしい金髪はシャンデリアの光を反射させ、光をまとっているようだった。
アシュリーは瞬きをせずに人の隙間からアルフレッドを見つめる。
私のことを見てくれるのだろうか。王子としての礼儀に満ち溢れた言葉ではなく、アルフレッド自身の言葉をくれるだろうか。本人を前にし、期待と不安が入り混じる。
そんなアシュリーをよそに、どんどん開会の式は進行していく。
学園長のやけに長くて抽象的な挨拶や、攻略対象である腹黒教師を含めた先生たちの挨拶。そしてアルフレッドの開始の宣言が会場に響く。
「本日はこのような会を我々新入生の為にご用意いただきありがとうございます。いただいたこの機会は生徒間の親睦を深めるきっかけになることでしょう。……それではこれより舞踏会を開始します」
王子スマイルを浮かべるアルフレッドが宣言すると、拍手が沸き上がる。ついに舞踏会が始まった。
音楽もしっとりとしたものに変わり、早くから約束をしていたらしい生徒たちが中央で早速踊り始める。女生徒のドレスが広がる姿はとても美しく、華やかであったが、アシュリーの視界には一切入らなかった。ただ真っ直ぐ奥にいるアルフレッドに視線を定めていた。
自分から挨拶をしに行くべきか。それとも声をかけてもらうのを待つべきか。そんなことをぼんやり考えながら、学園長に捕まっているアルフレッドをただただ見つめていた。
アルフレッドは爽やかな笑みを浮かべながら相槌を打っているようだが、本当のところは解放されたいらしく、視線をあちらこちら彷徨わせていた。
そんな時だった。アルフレッドがアシュリーの方向を向いた瞬間、固まったのは。
お互いがお互いを認識する。
固まったのは一瞬で、すぐに戻ったアルフレッドは、学園長に適当なことを言ってその場を終わらせ、アシュリーの方へとゆっくり歩みを進める。
もちろん、その間、アシュリーとアルフレッドは視線を互いから外すことは無かった。
――――ついに、この瞬間が来る。
横にいるアプロは楽しそうな表情を浮かべ、マーガレットは読めない顔をしていたが、アシュリーの視界には入らなかった。近づいてくるアルフレッドしか見えていなかった。音楽も耳に入ってこない。
アルフレッドがアシュリーの前にたどり着くと、暫し間を置いた後に口を開いた。
「……アシュリー?」
「はい、殿下。ご無沙汰しておりました」
淑女の礼を済ませ、もう一度アルフレッドを見つめる。するとアルフレッドは――――美しい碧眼を見開き、一瞬動きが止まったかと思うと、紅潮する頬はそのままに、視線をアシュリーから逸らした。
そう、これはまるで、夢で見たスチルのようで……。
アシュリーは思わず呼吸を忘れる。ああ、私が見たかった光景は、これだったのね。
「アシュリー、その、驚いたよ。君があまりにも、綺麗だから……」
「殿下……」
誕生日パーティとは違う、熱のこもった声に、アシュリーの胸に喜びが込み上げる。ああ、ついに努力は実ったのだ。達成感が身体全体を満たしていく。
「どうか僕と一緒に踊ってくれませんか」
差し出された手をまじまじと見つめる。この手を取ったら、いったいどんな感情が自分を襲うのだろうか。ジェラルドと踊った時の喜び以上の何かを、味わえるのだろうか。
様々な感情がアシュリーを襲い心は乱れるが、手は真っ直ぐアルフレッドのものと重なった。
中央へ向かう二人に、周りは道を譲る。目立つ王子に、劇的な変化を迎えた公爵令嬢。会場全員が二人を注視していると言っても過言では無かった。
目的地にたどり着くと、丁度最初の曲が終わったようで、一瞬の静寂の後、次の曲が奏でられた。ワルツだった。
アシュリーはアルフレッドを見つめ、アルフレッドもアシュリーを見つめる。アルフレッドの瞳に自分しか映っていないことが、とても不思議だった。
最初のステップはスムーズに決まり、奏でられる旋律に身を任せながら、舞っていく。フロアには他にも踊っているペアがいたが、皆、この二人を見つめていた。
羨望の眼差しや感嘆の声を感じながら、優雅にターンを決める。大丈夫、何も問題ない。そう、何も問題なかった。
「昔の君が戻ったようで嬉しいよ。なんだか懐かしいね。母たちの茶会に同席しては、よく一緒に遊んだね」
「え、ええ。そうでしたね」
アルフレッドは微笑みながら懐かしい話をアシュリーに振る。しかしながら、アシュリーはうわのそらで生返事するだけであった。
――――何かがおかしい。いや、ステップもちゃんと踏めている。アルフレッドの今までに見たことのない、甘い笑みだって、堪能できている。
でも、それだけだった。
溢れ出る想いなど何もなくて。自分でもコントロールが利かない感情もなくて。ああしたい、こうしたいという願望もなくて。
ただ、そこには達成感しかなかった。
音楽が終わり、アシュリーとアルフレッドは密着していた身体を離し、互いに礼をする。
「ねえ、アシュリー、よければこの後も――――」
アルフレッドが何かをアシュリーに提案しようとしていたが、思っていた展開と違うことに困惑するアシュリーの元には届かない。アルフレッドがアシュリーの名を呼ぶが、呼ばれた本人は全く反応できずにいた。
立ち尽くす二人だったが、王子の次のパートナーを狙う令嬢たちが、お上品かつ優美に、そして大胆に恐るべき速さで攻めてきたので、強制的に離れ離れになってしまう。
そんな中、果敢に攻め込み一番最初に名乗り上げたのはランドーガ家の令嬢だった。相変わらず、アクセサリーが痛いほど眩しい。
「殿下、次は是非私と踊っていただけませんか?」
彼女の勢いにアルフレッドも為す術がないのか、アシュリーとの距離は決定的なものになってしまう。
アルフレッドと自分にかなりの距離が出来たことにも気づかず立ち尽くすアシュリーに、アプロとマーガレットが歩み寄る。
「アシュリー、いったいキミはどうしたいんだい。せっかくの悲願が叶ったというのに、そんな表情をして……」
アプロが怪訝な顔をしながら声をかけた。
「私、分からないの。自分のことが。だって、もっと、あの時以上の特別な感情を得られると思ってたのに……」
「あの時って?」
マーガレットが何故かしたり顔でアシュリーに確認する。
「それは……」
脳裏に過るのはジェラルドと踊った数々の想い出。あんなにも幸せなのに、何故だか緊張して……。それでも終わってほしくなかった。ずっと一緒に踊っていたかった。もっと一緒の時間が欲しかった。
……ああ、そうか。そういうことか。アシュリーは突然何かがかちりとはまるような、そんな感覚に襲われる。
――――私は、ジェラルド様のことが……。ジェラルド様のことが好きなのよ。
答えはとてもシンプルだった。
確かに、アルフレッドに認めてもらいたかった。でもそれだけ。その先の未来は描かれていなかった。
アシュリーが未来を求めてしまう相手。そう、それは、半年苦楽を共にしたキャラメル色の瞳を持つ温かくて優しい騎士だった。
自分の本当の気持ちにようやく気がついたアシュリーは、意外にも冷静で、すぐに受け入れることができた。
受け入れることが出来た次は、ジェラルドに今までの感謝の言葉と、今の自分の気持ちを伝えたい衝動に駆られる。
すっきりとした顔になったアシュリーにマーガレットは楽しそうな笑みを浮かべた。
「もう答えは出たようね。……私が見かけた時は外で警備をしていたわよ。探せば会えるんじゃないかしら」
アシュリーはその言葉を聞くと居ても立っても居られず、扉に向かって歩き出す。否、走りだした。
「あ、アシュリー? キミはいったいどこに……」
「ふふっ、いってらっしゃい。アシュリー」
湧き上がる気持ちはとどまることを知らず、行動になって現れる。
アシュリーは舞踏場から抜け出した。




