第36話
玄関に出る頃には、日がほぼ沈んでおり、空は濃い紫色から暗闇に移り変わっていた。星も輝き始めている。風が吹かなくても肌寒く、より寂しさが募ってしまう。
いつもよりゆっくりと歩いていたつもりだが、もう馬車が見えてしまった。
「……次にお会いできるのはいつになるんでしょうね」
トレーニングが終わっても別に今生の別れという訳ではない。機会はちゃんとある。ただ、確かなものが無いだけで。アシュリーはその不確かな状況が嫌で、思わず次を確認する言葉を口にしていた。
「ああ、実は……」
ジェラルドは何かを言うとするも、口を閉ざしてしまった。寂し気な表情を浮かべながら、首を横に振る。
「ううん、何でもない。今年の聖剣の日はアシュリーちゃん、学園の方に行っちゃうからなぁ。よかったら、休日に母を訪ねてよ。事前に分かれば、なるべくその日は空けるようにするから」
「……はい」
期待していた回答は得られず、不確かなままで会話は終わってしまう。騎士として活躍するジェラルドに迷惑をかけるわけにはいかないので、アシュリーはそれ以上何も言えなかった。
何故だか今日やけに多い沈黙が再び襲うが、もう少し話をしていたいアシュリーはなんとか話題を見つけ、口にする。
「ジェラルド様、あの、頑張りますね。来週のオリエンテーション」
「うん、アシュリーちゃんなら大丈夫だよ、きっと」
キャラメル色の目を細めながらジェラルドは告げる。それ以上の言葉は続かない。いつものジェラルドなら、面白おかしく話を膨らましてくれるのだが、今日は動作も含め静かだった。
他に何か話題があれば、とアシュリーは思うものの浮かばない。
覚悟を決めたアシュリーは、お別れの挨拶を口にした。
「ジェラルド様、ありがとうございました。また会える日を楽しみにしております。――――それでは、ごきげんよう」
今までの感謝の気持ちを込めながらジェラルドに伝える。悲しい気持ちを隠して微笑むことができた。上出来だろう。
ゆっくりとジェラルドに背中を向け、馬車へと歩き出そうとしたその刹那――――。
「えっ……?」
突然、アシュリーの左腕が掴まれる。もちろん掴んでいる人はジェラルドで。
思わず歩みを止め、驚くアシュリーだったが、それ以上に驚いていたのはジェラルドの方だった。
「あっ……。ご、ごめん……!」
無意識の行動だったらしく、ジェラルドはすぐに手を離してアシュリーを解放してくれた。慌てながらジェラルドは言葉を重ねていく。
「え、えっと……。そう、そうそう! 今日の分のキャラメル渡し忘れていたことに気がついて!」
自分で言いながら大きく頷くジェラルドは、ポケットから見慣れた紙袋を取り出す。そういえばすっかり忘れていた。毎回楽しみにしていたキャラメルだというのに。
「はい、どうぞアシュリーちゃん。今日で最後だし、ちょっと多く渡すね。疲れて糖分が欲しくなった時は、このキャラメル食べてね。あと一週間、無理せずにね」
ジェラルドからいくつかキャラメルを受け取ったアシュリーは、その内の一つの白い紙を剥がし、口の中に入れる。残りはジェラルドの言うとおり、欲しくなった時に食べよう。
すぐに甘みが口の中に広がる。こうやって一緒にキャラメルを食べるのも、きっと最後だろう。そう思うと、キャラメルの甘い部分ではなく、僅かなほろ苦い部分がやけに舌に残る。
「ジェラルド様、キャラメルご馳走様でした。いただいたキャラメル、大切に食べますね。いい報告が出来るよう、来週頑張ります」
口の中であっという間にキャラメルは溶けてしまう。努めて明るい声色で礼を言うが、余韻はどうしてだか切ない。
「うん、報告待ってるよ。アシュリーちゃんの想いが伝わること、祈ってる。アシュリーちゃんの幸せは、俺の幸せでもあるからさ」
そう告げるキャラメル色の瞳はどこか切なげで、まるで先程口にしたキャラメルのようだった。
簡素ではあるが歴史を感じさせる造りの部屋で、アシュリーはカリスタの手を借りながらコルセットを縛り上げていた。見慣れた美しい公爵家の部屋と違うこの場所は、アシュリーが一年間過ごす学園の寮であった。
そう、ついにオリエンテーションの日を迎えたのであった。
最後のトレーニングを終えた後、アシュリーは今までの経験と反省を踏まえ、無理のないストレッチをしながら過ごした。クラリッサから美容の秘訣を聞き、肌に良い食事やクリームなどを塗り、体調を整えた。お陰で、コンディションは今までで一番良いように思える。
「お嬢様! もう少し締めますかっ?」
この日の為に応援で来たカリスタが力強く確認する。基本、学生は一人で生活をすることになるのだが、ドレスアップが求められたりする特別な日に関しては、侍女や従者を呼んで良いことになっていた。
「いいえ、これぐらいでいいわ。倒れてしまっては、元も子もないし……。それより、髪をもう少しきつく結んでもらえないかしら。崩れそうで心配なの」
「畏まりました!」
アシュリーの指示を受け、カリスタは高く結われた髪をいったん解き、再度結び直す。慣れた手つきですぐに仕上げてしまった。少し痛かったが、これならば動いても乱れたりはしないだろう。
アクセサリーを身に着け、ついに完成する。姿見で自身の格好を見つめ、一人頷く。
高く結われたプラチナゴールドの髪には小さなダイヤモンドの髪留めがいくつも使用され、少し動くだけで光が溢れ出る。イヤリングには薔薇のモチーフに加え、シルバーの細長いチェーンが付いているものを採用した。動くたびに揺れるデザインに多くの人が視線を奪われるはず、というクラリッサの助言を参考にしたのだが、確かにその通りだと揺れる耳元を確認しながらアシュリーは思った。首元に黒いチョーカーを身に着け、全体を引き締めるようにした。
自分で言うのもなんだが、とても綺麗だった。夢で見た世界の価値観でも、この世界の価値観でも、これなら十分胸を張って公爵令嬢だと名乗れる。
この日の為に、頑張ってきた。アルフレッドがどんな反応を示すか、全く想像がつかないが、やれることをやるしかない。
決意に満ち溢れたアシュリーにカリスタが声をかける。
「お嬢様、ついにこの日が来ましたね……。お嬢様にお仕え出来ることを誇りに思います。……大変お綺麗です」
誇らしいカリスタの表情にアシュリーも嬉しくなる。褒めてもらえたことはもちろん、カリスタに誇ってもらえたことが、何よりも嬉しかった。
そんなご機嫌なアシュリーだったが、何故だか先程から震えが止まらなかった。カリスタには気づかれないほどだが、足と手が微かに震えていた。武者震いだろうか。
落ち着かせるために、屋敷から持ってきた袋からキャラメルを取り出す。一週間前に、ジェラルドからもらったキャラメルだ。
白い紙を丁寧に剥がして口に含み、ゆっくりとキャラメルの味を楽しむ。トレーニングが終わる度に食べていたこの味は、今までの歩みを思い出させた。なんとなく、ジェラルドが傍で見守ってくれている気もした。
「――――カリスタ、行ってくるわね」
アシュリーの言葉にカリスタは頭を下げ「いってらっしゃいませ」と返す。その言葉を背中で受け止め、姿勢を正す。そして真っ直ぐ歩きながら、アシュリーは部屋を後にした。




