第34話
ジェラルドからの終了宣言にアシュリーの心は乱されるも、気持ちとは関係なしにどんどん体調は回復していく。
誰が見ても元気になったアシュリーは公爵家の迎えによって帰宅することになった。フィルエンドだけでなく、ダリウスまで迎えに来たことには驚いたが、どうやら娘が世話になった礼を直接述べたかったようだ。
そのお礼に混ぜてもらおうと思っていたアシュリーだったが、アシュリーが顔を合わせた時にはもう済んでいたようで、結局アシュリーは玄関先で侯爵家にお礼を述べることになった。
「今日まで大変お世話になりました。このご恩は忘れません。いつかお返しさせてください。ありがとうございました」
「まあ、レディ・アシュリー。お礼を申し上げるのはこちらの方よ。とても楽しい日々だったわ。今度からは私を訪ねてくださると嬉しいわ。待っていてよ?」
「って、母上が仰ってるから、アシュリーちゃんまた遊びにきてね。これから俺は忙しくなりそうだからタイミングが合えばになるけど、その時は仲間に入れてね」
「…………はいっ!」
良く似た笑顔からの嬉しい言葉にアシュリーは満面の笑みを浮かべて答える。そうだ、別にトレーニングが無くても普通の交遊で会いに行くこともできる。ただ、前みたいな頻度も約束もないだけで……。
結局、漠然とした不安や悲しみは残ってしまった。
侯爵夫人とジェラルドに温かく見送られながら、侯爵家を後にする。
乗った公爵家の馬車は何故だか静寂に包まれていた。進行方向とは逆に座るダリウスとフィルエンドはそれぞれ違う表情を浮かべながら無言だった。
ダリウスは微笑みながらアシュリーを見つめているのに対し、フィルエンドはげっそりした顔をしながら窓から外を眺めている。
「あの、どうかされたのですか?」
「うん? アシュリー、特に何もないが?」
「い、いえ。それなら良いのです、お父様」
何があったのか聞きたかったが、ダリウスはどうも答える気はないようだ。追及して聞き出せる雰囲気ではなかったのでアシュリーはとりあえず曖昧な笑みを浮かべ、窓に視線を移す。
前に見た暗闇と違って日の光に照らされた上流階級エリアの美しい建物が視界に入るというのに、アシュリーは全く興味が湧かなかった。
それからというもの、アシュリーはジェラルドのトレーニングがついていた頃と変わらず、日々努力を重ねていた。ジェラルドがしてくれていた回数のアレンジは、自分の体調を考えながら都度変更し対応していく。
カリスタ以外の屋敷の者も声をかけて応援してくれるようになった。特に庭師はアシュリーの走る姿を良く目にしているからか、いつも熱い応援をしてくれる。
「お嬢様、今日も精が出ますねぇ!」
「ありがとう。……庭もだいぶ華やかになってきたわね」
「ええ、もう春が近いですからね」
そう言うとタイミング良く風が二人の間を吹き抜く。太陽の温かさはまだ風にまで届いていないようで、少し冷たい。
アシュリーはなびく髪を押さえながら、庭を見渡した。ジェラルドと一緒によく歩き、よく走り、そしてよく話した場所。そういえば庭師と喋るようになったのもジェラルドのおかげだった。
ジェラルドの存在は、トレーニングを卒業した後でも消えることはなく、むしろ、その存在の大きさを痛感する毎日だった。
いつになったらこのもどかしい気持ちから解放されるのだろうか。アシュリーは誰に向けるわけでもなく、曖昧な笑みを浮かべながら、辺りを見渡す。
ふと、アシュリーの視界にやわらかなピンク色のチューリップが目に入る。可憐なその姿に思わず目を奪われてしまう。
「あのチューリップ、素敵ね」
「お嬢様、よくお気づきで! いやぁ、用意した甲斐がございました。本来ならチューリップは本格的な春にならないと咲かないのですが、これは一足早く咲くチューリップでして。お嬢様の日課の励みになればと植えたんですよ」
アシュリーが気づいたことがとても嬉しかったようで、庭師はそれは嬉しそうに口を開けて笑う。
「まあ、そうだったの。私のために、ありがとう。チューリップってこの時期にはもう咲くものかと思っていたけど、特別な品種なのね。暫く楽しめるのかしら?」
「一月ぐらいは持つと聞いておりますが、長い間、お嬢様の目を楽しませることができるよう頑張りますよ。腕の見せ所ですからね」
そう言って腕を叩く庭師がなんだか愉快で、アシュリーの口角は自然と上がってしまう。
「期待してるわ。そうそう、以前話をした薔薇っていつ頃咲くのかしら?」
「薔薇ですか。うーん、お嬢様が学園に入学して暫く経った後でしょうねぇ」
思っていたより先でアシュリーは少しがっかりしてしまう。屋敷にいる間に咲けば毎日楽しめたのに。
「じゃあ、休みの日に屋敷に戻らないといけないわね」
事前に申請を出せば休みの日は外出が可能で、実家や親戚の家であれば宿泊も可能だ。フィルエンドからすぐ連絡をもらえば、間違いなく薔薇を楽しむことができるだろう。
「お嬢様が薔薇のために戻られるって言うなら、今年はさらに気合いを入れて手入れをしないといけませんなぁ」
そういうと豪快に庭師は笑う。この勢いのある庭師から、どうしてこんな繊細な庭が作られるのか。アシュリーは不思議に思いながら、一緒に笑った。
庭師だけでなく、家令から御者にまで応援される日々。ある意味監視の目が増えたのだが、なんだかんだで完全にものぐさを卒業出来ていないアシュリーにとってはありがたかった。
時は流れ、本格的に陽気が暖かくなっても暫くはジェラルドからの連絡は届かなかった。その代わり、母であるロレッタの元に王妃からの手紙が届いた。アルフレッドが無事に帰ってきたようだ。帰国の祝いとして非公式の晩餐会を催すとのことで、ロレッタはアシュリーを誘ってきたが、アシュリーは遠慮することにした。
今も昔に比べればだいぶスッキリしたが、ゴールはあくまでオリエンテーション。せっかくなら、アプロやマーガレットの前でアルフレッドとの再会を果たしたい。口頭で報告するより見せた方が早いし、何よりドラマチックなようにアシュリーは思えた。
アルフレッドが帰ってきたことに嬉しさよりも緊張感が増す。アルフレッドはアシュリーの変化をどういう風に見るだろうか。少しは、アシュリー個人を見てくれるだろうか。
アルフレッド帰国の知らせを聞き、アシュリーのトレーニングはより濃くなっていく。
そんな中、アシュリーが待っていた連絡はついに届いた。
いつも通りの量をいただきながら過ごす朝食の席で、いそいそと家令がアシュリーに銀の盆を差し出した。いつもは厳しい顔が貼り付いてる家令だが、何故か満面の笑みを浮かべている。不思議に思いながら手紙を受けとると、そこには見慣れた名前が流暢な字で書かれていた。
瞬時に顔が明るくなる。急いで中を確認すると、簡単な挨拶と現状の報告がシンプルにまとめられていた。最後にはスケジュールの候補日が上がっていた。
アシュリーはすぐに朝食の席を離れ返事を書く。いつもはうるさく感じる家庭教師の指摘を急いで思い出しながら、丁寧な筆運びで手紙を書いていく。それなりに上手に書けたはずだ。
返事を出したらすぐにジェラルドから連絡が返ってきた。日付がようやく決まったことに安堵する。
最後のトレーニングは、ちょうど、オリエンテーションの一週間前に実施されることになった。楽しみなような、終わってしまうから来てほしくないような、複雑な気持ちを抱きながら、アシュリーはその日が来るのを待った。




