第29話
アシュリーは三人で楽しい時間を過ごした後、広間へと案内された。広間には簡易の舞台が出来ており、ソファや椅子が舞台の方を向いて並べられていた。
別室で軽食を楽しんでいた参加者は先に部屋に入っていたようで、前の方の席は埋まっていた。談笑しながら劇の始まりを待つ人々は、三人が入ってきたことに誰も気づかなかった。ジェラルドはそれを好機ととらえ、静かに空いていた後方の椅子に腰かけた。アシュリーとフィルエンドもそれに倣う。
着席してすぐ、アシュリーは何故だか身震いをしてしまった。人が多くいるはずなのに、何故だか寒い。確かに日が暮れたので、気温自体は下がっている。しかしながら、暖炉は仕事をしているので、寒いはずはないのだ。薄着のせいかと思うも、着替えをした参加者もいるようなので、自分だけが寒いということはないはずだ。
おかしい。コルセットを強く締め上げ過ぎたせいだろうか。それとも食事を控え過ぎた? いや、先ほどは紅茶だけだったが、昼は適切な量を食べたはず……。
「アシュリーちゃん、大丈夫?」
まとまらない思考に翻弄されていると、ジェラルドが心配そうな顔をしながらアシュリーの顔を覗いてきた。
今日はジェラルドの応援できたのだ。心配をかけることはしたくない。
アシュリーは口角を無理やり上げた。
「ジェラルド様、ありがとうございます。少し寒いようで……。でも、大丈夫です。じきに慣れますから」
「女性は大変だよね。ドレスって、体温調整大変だろうし。あっ、俺のジャケットでも羽織る?」
「だ、大丈夫です! そこまでは寒くありませんから……!」
今にも脱ぎ出しそうなジェラルドを止めながら、アシュリーは勢いよくお断りする。
「そっか、そっか。無理しないでね。俺のジャケットはさておき、ひざ掛けや羽織ものはあるから欲しかったら言ってね。すぐ持ってくるから」
「ありがとうございます」
ジェラルドの気遣いにアシュリーは礼を返す。フィルエンドも心配そうにこちらを見つめてきたが、大丈夫だと目で伝える。それを受け止めたフィルエンドは変わらずアシュリーの様子を伺うが、舞台から威勢の良い声が響いたことで視線が移る。
劇団の団長の挨拶が終わると、劇が始まった。内容は古典的な喜劇で、主役の俳優の美声に女性の観客達は酔いしれていた。
アシュリーも本来なら酔いしれているところだったが、寒さを感じていたはずの身体が熱を帯び、全く集中できなかった。
気がついたら第一幕は終わり、休憩の時間になっていた。観客達は給仕からドリンクを受け取ったり、談笑したりと、思い思いの時間を過ごしている。
不調の原因が全く分からないアシュリーは、ジェラルドとフィルエンドに声をかけると、新鮮な空気を求め、広間から続くテラスへと向かった。
誰もいないテラスは静かで、冬の寒さを感じさせた。昨日の雪は残っていなかったが、空気は冷えており、吐く息は白い。人目のない場所ということもあり、アシュリーの緊張が少し緩む。手すりにつかまり、ゆっくり深呼吸をすると、身体の中の空気が入れ替わり、気持ちが少し楽になる。それでも、身体の方は変わらず暑いままだった。
長居は出来ないが、もう少しだけ外の空気に触れていたい。
そう思いながら澄んだ冬の空に輝く星を眺めていると、突然、アシュリーの肩が温かな物で包まれる。視界の隅に入ったそれは、間違いなくジェラルドのジャケットだった。
「アシュリーちゃん、身体冷えちゃうよ」
アシュリーの横に並んだジェラルドは穏やかな笑みを浮かべながら、アシュリーに語りかける。
「ジェラルド様……」
何か気の利いた返しが出来ればいいのだが、アシュリーの頭は全く機能しなかった。ただただ、ジェラルドのジャケットがもたらす温かさを堪能していた。
「今日は凄い綺麗に星が見えるね。久しぶりに星を見たなぁ。アシュリーちゃんは良く見るの?」
「……ええ」
うわのそらで生返事をするアシュリーだったが、気にしていられないほど、気怠かった。
不自然に思ったジェラルドがアシュリーの顔を覗き込む。
「……アシュリーちゃん?」
ジェラルドは呼びかけながら、手すりに乗っかっているアシュリーの手に、自身の手を重ねる。するとジェラルドは驚きながら、アシュリーの手を自身の両の手で包んだ。
「…………っ! アシュリーちゃん、もしかして熱が……っ!」
ああ、そうか。私は熱があるのね。アシュリーはジェラルドの指摘を貰って初めて自分の容体に気づく。
今日はジェラルドの応援で来たというのに、なんという体たらくだろう。熱だったとしても、これぐらい気合で乗り越えればいい。倒れるのは、屋敷に帰ってからだ。
「だ、大丈夫です。ジェラルド様……」
そう否定する声は頼り無く、アシュリーは自分で言っていて矛盾を感じるほどだった。
「全く大丈夫じゃないから! 今すぐ部屋を用意させるからそっちで――――」
慌てているジェラルドは少し早口になりながら、アシュリーに伝えていく。途中から聞き取れなくなっていくアシュリーだったが、包まれている手の感触だけは感じ取れていた。
心配をかけたくないはずなのに。迷惑をかけたくないはずなのに。それなのに、どうしてだろう。触れた手の温かさは、アシュリーの緊張を緩め、気持ちを楽にさせる。
しっかりしなければという思いと裏腹に、意識はぼんやりとしていき、身体はふらつく。
「危ないっ!」
崩れていく身体をジェラルドが瞬時に支える。腕の温かさに安堵したアシュリーはついに意識を手放した。




