第28話
次の日、アシュリーはいつも以上の力を込めたカリスタにコルセットを縛り上げてもらっていた。
「お嬢様、本当にご無理されていませんか?」
「え、ええ……。大丈夫よ。だから、もっときつくしてちょうだいっ!」
恥ずかしくないように、身だしなみを整えたい。その気持ちはコルセットに反映された。きつく縛った為、余った紐は過去最長となった。
カリスタは言われた通りにしたものの、不本意のようで、顔は険しいままだった。
「大丈夫だから。ほら、見て。身体もちゃんと動くのよ?」
カリスタの目の前で可憐に回ってみせる。空気を含んで広がるドレスは、淡いピンク色で、夜会用ではなく昼用のものだった。夜会用のドレスを持っていくべきかジェラルドに尋ねたところ、気楽な身内のイベントだから昼用のドレスで大丈夫と返ってきたので、その言葉通り、昼用のドレスで行くことにした。少し露出の高いものなので、ヘッドドレスを外せば、夜会用としても通じなくはないだろう。
結い上げた髪にはドレスと同じ色のリボンを編み込んでいる。全体的に可愛らしい雰囲気に仕上がっているはずだ。無理して作り上げたくびれも可憐さを演出するのに一役買っている。
回った後にわざとらしく笑みを浮かべてみると、カリスタは何も言わずに片づけを始めてしまった。
アシュリーとフィルエンドを乗せた公爵家の馬車がディアンガー侯爵邸に着いたのは、ジェラルドの指示通りの遅い時間だった。
フィルエンドの手を借りながら馬車を降りたアシュリーはゆっくりと深呼吸をする。新鮮な空気が欲しかった。公爵家からそんなに距離は無いものの、馬車に揺られて少し疲れてしまったようだ。カリスタの言う通り、締め上げ過ぎたのかもしれない。冬の冷たい空気が、何故だか気持ち良く感じた。
気持ちを切り替え、アシュリーは侯爵邸を眺める。赤レンガ造りの屋敷は温かみを感じさせた。
家令の出迎えを受けながら中へ進むと、美しい甲冑が二人を出迎えてくれた。
騎士の家系であることを感じさせる展示に興味を寄せていると、聞きなれた声が響く。少しやつれているように聞こえた。
「二人とも、待ってたよ」
甲冑から声の主に視線を移す。声だけでなく顔もやつれているジェラルドが元気なさげに手を振っていた。
「ジェラルド、一体どうしたんだ」
「二人を最初から呼べば良かった……」
引きつった笑みを浮かべるジェラルドからは、哀愁が漂っていた。
バザーが開かれている部屋へ向かいがてら、ジェラルドの話を聞く。久しぶりの王都に喜ぶ侯爵夫人は完璧なバザーを開くために、ジェラルドを相当振り回したらしい。イベントの準備が終わって落ち着くかと思えば、侯爵夫人の友人がたくさんやってきて、今の今までその対応に追われていたようだ。
「早く軽食の時間になってほしいよ」
ジェラルドの心からの声に、アシュリーとフィルエンドは言葉が出なかった。
バザー会場は大いに賑わっており、アシュリーの気持ちを高揚させた。アシュリーが色々な物に目移りしている間、ジェラルドは二人の傍から離れ、部屋の中央で談笑している貴婦人に声をかけていた。
ジェラルドに声をかけられた貴婦人は、少し間を空けた後にキャラメル色の瞳を輝かせ、アシュリー達の方に視線を向けた。視線に気づいたアシュリーとフィルエンドはそれぞれその場で礼をする。
「アシュリー、今ジェラルドが話をしている方が、ディアンガー侯爵夫人だよ。挨拶に行こう」
その言葉に頷いたアシュリーは、フィルエンドと一緒にディアンガー侯爵夫人の元へと歩いていく。大丈夫、くびれはある。
ジェラルドと夫人もこちらに向かっていたので、すぐに挨拶をすることができた。
オリーブ色の髪の毛を上品に結い上げた女性は、息子と同じキャラメル色の目を細め、二人を歓迎してくれた。
「母上、ウェストビー公爵家のロード・フィルエンドと、レディ・アシュリーです。フィルエンドとは、何度かお会いしていますよね」
「お久しぶりです、侯爵夫人。侯爵夫人は変わらず、お美しいですね。本日は素敵なご招待をありがとうございます」
親しみを込めた声でフィルエンドが挨拶をすると、侯爵夫人は嬉しそうに微笑んだ。
兄に続いて、アシュリーも挨拶をする。
「初めまして、侯爵夫人。アシュリー・ウェストビーです。本日はお招きいただき、ありがとうございます」
「レディ・アシュリー、お会いできて嬉しいわ。私はアマンダ・ディアンガーよ。ジェラルドから良く話を聞いていたから、今日を楽しみにしていたの。ゆっくりしていってね。困ったことがあったら、息子に何でも言ってちょうだい」
茶目っ気のあるウインクをしながら、アマンダはアシュリーに温かな言葉をかける。そのウインクがジェラルドとそっくりだったので、アシュリーはすぐに侯爵夫人に親しみを覚えた。きっと、ジェラルドの優しさは母親譲りなのだろう。……動作が大きいのも。
「母上の難題に比べたら、アシュリーちゃんのお願いは可愛いだろうね」
「難題では無くて、愛よ。私のは」
ハッキリと言い返すアマンダに、ジェラルドは苦笑いを浮かべる。
「全く母上には敵いませんね。これ以上ここに居ても分が悪いので、二人を案内してきます」
「ええ、よろしく頼むわ。お二人とも、また後でお話しましょう」
そう言って微笑むアマンダにアシュリーはお礼と共に微笑みを返し、その場を離れた。
少し歩いたところでアシュリーはジェラルドに声をかける。
「ジェラルド様はお母様と仲がよろしいのですね」
「うーん、確かに悪くは無いかな。でも大変だよ、振り回されるのは」
「我が家の母も、なかなかの腕を持っていますよ。ね、お兄様?」
「ああ、我が家で一番の曲者だよ」
「どこの家も母は強いね」
ジェラルドの言葉に、アシュリーとフィルエンドは深く頷いた。
ジェラルドの案内は流石と言ったもので、非常に楽しい時間となった。領地のことを良く知っているのが分かる説明に、生産者達も感心していた。
上手な説明は、上手な売り込みでもあり、アシュリーの物欲はかなり刺激されてしまった。その中でも食品の特産物はどれも素敵で、美味しそうで、誘惑に負けてしまいそうになった。横にいるフィルエンドが「アシュリーは最近痩せすぎだから、食べた方が良いよ」なんて言うのだから、たちが悪い。
ジェラルドの制止により何とか乗り越えたアシュリーは、結局、特産品で作ったハーブティを買うだけで終わった。
バザーは大盛況の内に幕を閉じ、続いて観劇もする来客者は別室に案内された。本来ならアシュリー達も同じ部屋で簡単な食事を楽しみながら、会話に興じるところだが、ジェラルドの手によって違う部屋で過ごすことになった。
通された部屋は美しい彫刻が施されたマントルピースが印象的な応接室だった。暖炉には火がともっており、部屋は温かい空気で満たされていた。暖炉の近くにはテーブルと三人分の椅子が配置されており、アシュリーはジェラルドのエスコートを受けながらその椅子に腰掛ける。
席に着いたアシュリーは自身が思っている以上に疲れていることに気がついた。昼用のドレスにしては薄いからか、少し寒気もする。温かな部屋に通してもらえて良かった。
人心地が着いたアシュリーは、メイドから受け取った紅茶を一口いただく。甘みのある紅茶に頬を緩ませていると、ジェラルドが申し訳なさそうに口を開いた。
「本当は焼き菓子とか出した方が良いんだろうけど、アシュリーちゃん、頑張っているし、今日は紅茶だけ出すように伝えているんだ。言えば出てくるから、欲しかったら言ってね」
「お気遣いありがとうございます。あると遠慮なく食べてしまいそうなので、私はそうしていただけた方が助かります。お二人はよろしいのですか?」
「俺は紅茶だけで十分」
「僕も大丈夫。アシュリーが食べないのに、僕だけが食べるだなんて味気ないからね」
「それを聞いて安心しました。だって、お兄様の目の前に食べ物が置かれたら、全て私に勧めてくるでしょうし」
アシュリーの発言に、ジェラルドは笑いながら同意を示したが、フィルエンドは不満なようで、片眉を上げながら否定をする。
「まるで僕が悪者みたいな言い方だね。僕はいつだってアシュリーの味方だよ?」
「ええ、そうですね。でも、食事に関してだけは同意しかねます」
ハッキリと言い返すとフィルエンドは、寂し気にアシュリーを見つめた。その様子が面白かったのか、ジェラルドはついに声を出して笑っていた。




