第10話
今回の夜会は王都にあるランドーガ家の屋敷で開催されていた。会場内は咲き誇った薔薇を至る所に飾っており、訪れた人々を楽しませていた。
「薔薇を愛でる会というだけのことはあるね。綺麗でびっくりしたよ」
「ええ、本当に……」
薔薇の美しさはもちろん、量の多さに驚きを隠せなかったアシュリーは呆然としながら返答する。早咲きの薔薇を大量に確保する財力に流石としか言いようがない。
「アシュリーちゃんの家の薔薇もこんな感じに咲くのかな」
「どうでしょう。意識して草花を観察し始めたのはここ最近のことですので、なんとも……」
庭師に薔薇のことを聞いた際、「春も綺麗に咲いていたんですよ。お嬢様ご覧になられては……あっ」と言われたのはつい先日のこと。アシュリーが散歩を始め、頻繁に庭へ行くようになったのは、ダイエットを決意してからである。春の薔薇の状況など知らない。知っているはずがなかった。庭師もそのことに気づいたのか、小さな声で「失礼しました」と返す。なんとも言えない気まずい雰囲気が二人を包んだ。
あの日を思い出しながら、アシュリーは自分を恥じた。ジェラルドに質問されても答えることができないだなんて。落胆されても仕方がない。
そう思うアシュリーだったが、ジェラルドは特に落胆せずに微笑みかけてきた。
「じゃあ、咲いた時が楽しみだね。咲いたら庭を案内してもらってもいい?」
「えっ、ええ。もちろんです」
予想していた反応ではなかったことにアシュリーは驚く。知らないことをこうもポジティブに考えられるジェラルドは、どれだけ前向きな人なのだろうか。この人がいたからこそ、今日のドレスは緩いのだろう。心の中で改めて感謝をし、改めて頑張ろうとアシュリーは思った。
主催者であるランドーガ家夫妻に挨拶をし終えると、ジェラルドはドリンクを取りに行くといってアシュリーの傍から離れた。会場内の人々に挨拶をする、なんていう社交性は今のアシュリーに全くないので、壁際に設けられたソファに腰掛ける。そもそも新興勢力ばかりで知り合いもいなさそうだから仕方がない、と言い訳をしつつ、別室に設けられた軽食エリアへと向かわなかったことを誰か褒めて欲しいと一人思う。
座ったことで会場内を見回す余裕が出来たアシュリーは、改めて自分の体形の酷さを痛感した。辺りを見回せば美しく着飾った妙齢の女性ばかり。その誰もが細いスタイルを活かしたドレスを着ている。ああいうドレスを着られるようにならないと、きっとアルフレッドのあの表情は見れないだろう。もっと痩せなくてはいけない。
ふと、見慣れた顔がいることに気づく。マーガレットだ。淡い黄色のドレスがやけに似合っていて、ひときわ目立っていた。マーガレットがランドーガ家と交流があるだなんて、意外だった。
マーガレットはこちらに気づくことなく、若い男女と楽しげに会話している。アシュリーから声をかける理由もないし、必要も無い。接近しない限り、挨拶することはないだろう。アシュリーはすぐに視線を他に移し、他の参加者のドレスを観察した。
暫くするとジェラルドの声が聞こえてきたので、そちらの方に顔を向ける。ドリンクを持ったジェラルドがどこぞかの令嬢につかまっていた。よく見てみるとランドーガ家の令嬢だった。
「ごきげんよう、ジェラルド様。お越しいただけて光栄です」
「ああ、ミス・ランドーガではありませんか。本日はお招きありがとうございます。今日の髪飾り、素敵ですね。あなたの輝きをそのままアクセサリーにしたようだ」
「まあ、ジェラルド様ったら。相変わらず、お上手ですこと」
ジェラルドに褒められたランドーガ家の令嬢は、満更でもなさそうに頬を染める。楽しげに会話する二人を見つめながらアシュリーは思う。やはりジェラルドは逆ハニートラップ用に特殊な訓練を受けている騎士なのではないかと。……少し行動が大きくてうるさいところはあるが。
その後、二言、三言で会話を切り上げたジェラルドはアシュリーの元に戻ってきた。アシュリーと同様にソファに腰をかけると、ドリンクをアシュリーに手渡してくれた。
「ありがとうございます。……ジェラルド様、人気ですね」
「あっ、もしかしてさっきの見られてた? なんだか恥ずかしいな。でも、アシュリーちゃんのお兄様の方がもっと凄いよ。俺なんて、どちらかというと仕事のお礼とかで声をかけてもらえることが多いだけだから。さっきも随分と昔の仕事に対してのお礼だったし」
笑いながら、「大したことない大したことない」と続けて言うが、説得力は皆無である。随分と昔の仕事にお礼をするのも不思議な話だし、彼女の反応はただのお礼とは思えない。それに、ランドーガ家の令嬢含め、何人かの令嬢がこちらを見ている気がする。するのだが、当の本人はいつもと同じく気にしていなかった。
「そうだ、この後気分転換に一曲踊らない? 良い運動になると思うんだ」
「いえ、私は、ちょっと……」
自分でも分かるほどの歯切れが悪い返事だったが、アシュリーはそんなこと気にしていられなかった。ダンスは極力したくなかったのだ。パーティには参加していたが、食事重視。この体形になってから、まともにダンスをした覚えが無い。ステップを上手く踏めるかどうかすら分からない。毎日運動はしているので、体力不足で倒れることはないだろうが、そんな恐ろしい状況で踊れるわけが無かった。
「ステップに自信がありませんし、何よりバランスを崩したら悲惨なことに……」
横綱が倒れる。大惨事だ。大事件だ。悲惨な展開、間違い無しである。
「俺なら、足を間違って踏んでも大丈夫。バランス崩れそうになってもアシュリーちゃんを支える自信あるよ」
ジェラルドは自身の腕を叩きながら爽やかに言ってのける。確かに、支えられた実績がある。ここまで言われては断る理由も無いので、アシュリーはダンスの相手を受けることにした。ジェラルドの前向きなところがうつったのかもしれない。そう思うとなんだか面白くなって、アシュリーは一人で笑った。
一曲目は4組の男女で踊るダンスだったので踊らずに見守る。良くも悪くも一番目立っていたのは例のランドーガ家の令嬢であった。アクセサリーが多すぎて、シャンデリアの光をあちらこちらに跳ね返していた。ジェラルドの言うとおり、髪飾り自体は素敵なのだが、他の装飾品も主張が強く、アシュリーの印象としてはまとまっていなかった。……身体の主張が強いアシュリーにきっと言われたくはないだろうが。
ダンスは大いに盛り上がり、会場も熱を帯びてきた。二曲目まで少し時間が空くようで、居心地悪く感じてしまう。変に間が空くぐらいなら、すぐに踊ってしまいたい。落ち着きの無いアシュリーに気がついたジェラルドは楽しそうに笑うと魅力的な提案をしてきた。
「アシュリーちゃん、そんなにそわそわしなくても。終わったらさ、せっかくだし別室にあるアイスでも食べようよ。運動の後のご褒美ってことで」
「アイス……」
「ダンスの後に食べるアイス、俺好きなんだよね。少しだけなら体形に影響はないと思うし、一緒に食べようよ」
「……はいっ!」
アシュリーはもちろんアイスが好きだが、ダンスを踊った後に食べたことは無い。熱くなった身体をアイスで冷やしながら、仲の良い人と語らうひと時は、きっと素敵だろう。
誕生日に夢を見る前は、パーティは嫌いではなかった。皆、公爵令嬢であるアシュリーに気を使い、心地の良い言葉ばかりを捧げてくれた。しかしながら、夢を見てからはそのような類の言葉を素直に受け取ることができなかった。むしろ馬鹿にされているように感じたし、現に従妹はそうだった。たとえ本心で賞賛していたとしても、自分の駄目さ加減を理解しているアシュリーにとっては受け入れられるものではなかった。
それなのに、とアシュリーは振り返る。ジェラルドの言葉は何故だか最初から素直に受け取ることが出来た。きっと、体形のことや食べ方のことを避けずに会話してくれたからだろう。夢はアシュリーに未来の絶望や現実を突きつけてきたが、こうやって信頼のできる人と関係がもてた。このことに関しては、夢に感謝をしたい。
一人で振り返っていると、二曲目の音楽が流れ始める。明るいワルツだった。ジェラルドがアシュリーに手を差し出す。
「レディ・ウェストビー、私と踊っていただけませんか」
「ええ、もちろん」
わざとらしくかっこつけた誘い方のくせに、顔には茶目っ気溢れる笑顔があった。アシュリーも負けじと淑女らしく返事をする。
ジェラルドにエスコートされながら、アシュリーは会場の中心へと向かっていった。




