89 南北対決
滅亡した新バロード王国のウルス王子が沿海諸国にいるらしい、との情報をガルマニア帝国に齎したのは、東方の暗黒帝国マオールからの使者であった。
その情報をどうやって得たのかは明らかにされなかった。
予てから沿海諸国近海を根城とする海賊と密貿易をしているとの噂のあるマオール帝国のこと、後ろ暗い筋からであろう。
「これは、またとない好機でございます」
皇帝ゲールの前でそう主張したのは、そのマオール帝国出身の新宰相チャドスであった。
体毛の薄いツルリとした肌をしており、目が細く吊り上がっている。
床に立ったまま、東方風に少し頭を下げていた。
「簡単に言え!」
ゲールは一段高い床に立ち、いつものように大剣二本で素振りを続けながら、息も切らさずにそう告げた。
真っ赤な髪を振り乱してはいるが、その横顔はハッとするほど秀麗であった。
チャドスと反対側には、苦虫を噛み潰したような顔の軍師ブロシウスがいた。
今日は魔道師が着るようなフード付きのマントは身に纏っておらず、高位の武官の着る制服で窮屈そうに立っている。
皇帝が立っていることが多いため、家臣も滅多には座れないのである。
簡単に、と皇帝が念を押したにも拘わらず、チャドスの話は長かった。
新バロード王国は先王カルスが一代で築いたとは云え、その血筋は遥か千年前に滅びた古代バロード聖王国に連なりまする。
バロードの民の尊崇の念は強く、今でも、共和国総裁のカルボン卿は国家簒奪者として、白い目で見られております。
民を力で押さえつけても、いずれ時が来れば暴発するでしょう。
その際、カルス王の庶子でありながら捨てられた悲劇の王子、しかも、かのシャルム渓谷の戦いの英雄、機動軍将軍ニノフが担ぎ上げられるのは、火を見るよりも明らかです。
そうなれば、民の士気は一気に上がり、バロードは益々厄介な存在になるでしょう。
剰え、厭々ながらバロード共和国と同盟を結んだ辺境伯アーロンも、ニノフが新王となれば、喜んで馳せ参じるはず。
そうなれば、かの北方警備軍の将軍マリシすら動くかもしれません。
そうなった場合、鍵を握るのが、新バロード王国の正当なる嗣、ウルス王子でありましょう。
如何に父に捨てられたとは申せ、その父を屠った仇の部下となり、その引き立てで将軍となったニノフより、落城を生き延びた上に、苦しい逃亡生活を凌いだウルス王子の方が、何倍も民の信望を集めるものと思われます。
今のうちにウルス王子の身柄を確保し、手懐けて置くべきです。
何でしたら、わが母国には、人に言うことを聞かせる薬もございますぞ。
さて、ここからが本題ですが、沿海諸国へ行くには船が必要となりましょう。
固より、ガルム大森林を母体とするわが帝国には海軍がございません。
わたくしには、それがずっと気懸りとなっておりました。
わが帝国が真に中原の覇者となるには、是非とも優秀な海軍が必要です。
ところが、何たる幸運、わたくしめの宰相就任を祝い、わが母国より、軍船四隻が寄贈されるとの連絡がございました。
しかも、その初仕事として、いつでも沿海諸国へ向けて出港できる手筈になっておるとのこと。
陛下、何卒今回の件、わたくしめにお任せください。
「長い!」
ゲールがそう叫んだ時には、大剣の一本が飛んでいた。
無論、チャドスは予期しており、ぬらりと体を捻って、最小限の動きでそれを避けた。
マオールに伝わる体術であろう。
しかし、大剣を投げたゲールは本気で怒った訳ではなかったらしく、「が、面白い。やってみよ!」と続け、そのまま出て行こうとした。
「暫し、暫しお待ちを!」
そう叫んだのはブロシウスである。
ゲールの足が止まった。
「宰相閣下のお申し出は然りながら、北方に怪しい動きがございます。蛮族を統一する王が現れ、既にスカンポ河を渡ったとか。場合によっては、この者たちと手を組み、バロード共和国を挟撃することこそが、中原制覇の近道かと」
ものも言わず、ゲールの手からもう一本の大剣が飛んだ。
動揺したためか、ブロシウスは必要以上に大きく飛んだ。
その様子を、チャドスが薄ら笑いで見ている。
二人の上に、ゲールの断が下った。
「南だ!」
勝ち誇るチャドスと、悔しさに顔を歪めるブロシウスを残し、ゲールは部屋を去って行った。




