85 離脱
所々蝋燭の灯りが照らすだけの地下の穴を通り抜けながら、タロスは途中の鉄格子の扉を次々に閉めていった。
少しでも追っ手を遅らせるためだろう。
城から随分離れた古井戸から出ると、すでに外は薄暗くなっていた。
ウルスが振り返ると、王宮が炎上しているのか、そこだけ空が赤くなっていた。
城の形を探したが、すぐに涙で翳んでしまう。
「行きましょう」
差し出されたタロスの手を握り、一緒に走り出した。
いつの間にか、ウルスラは傍から消えていた。
別の夢を見ているのか、或いは、先に目が醒めてしまったのか、一瞬だけ考えたが、すぐに忘れた。
実際にはそれから何日も逃亡を続けたはずだが、気がつくと、ウルスはあの夜の草叢をタロスと走って逃げていた。
月が雲に隠れ、辺りは真っ暗になっている。
追っ手の声が聞こえてきた。
「タロスと王子は、まだ遠くへは逃げておらぬはずだ。探せ!」
草叢のそこかしこから、「おー!」と応じる声がした。
屈強な男たちの草を掻き分ける、ザッ、ザッという音が響く。
「団長、おりましたーっ!」
突然、目の前に現れた追っ手の男に、タロスの剣が袈裟懸けに走った。
「ぐああーっ!」
絶叫とともに、相手はドサリと倒れ、生々しい血の臭いが辺りに漂う。
「気をつけよ! タロスは剣を持っておるぞ!」
追っ手の男たちも剣を抜く気配がし、ちょうど雲の切れ間から射し込んだ月光に、銀色の刃が光った。
ウルスとタロスの二人が逃げて行く方向から、徐々に水の音が大きくなってきている。
すると、草叢が不意に途切れ、石だらけの河原に出た。
二人の周辺には身を隠す場所もなく、河を背にして追い詰められた状態になった。
草叢の中から次々と追っ手が現れて来た。
中でも一際体格の大きな髭面の男がニヤリと笑い、一歩前に進み出た。
「タロス、観念せよ! すでに新バロード王国は滅びたのだ。中原はいずれにせよ、全てゲール皇帝のものとなる。さあ、ウルス王子をわれらに渡さば、命だけは助けてやろう! それとも、人食いザリガニだらけの河に飛び込み、泳いで向こう岸まで渡って、辺境地帯に逃げてみるか?」
タロスは、剣の切っ先をウルスに向けた。
「裏切り者のきさまたちに王子さまを渡すぐらいなら、この場で主従ともども命を絶つのみ!」
ウルスも覚悟を決めたように、目を瞑った。
だが、髭面の男は二人を嘲笑うように、「それでも良いぞ」と告げた。
「カルボン卿からは、ウルス王子を生きて連れて来いとは言われておらぬ。場合によっては、証拠に首級だけもらえばよい」
タロスは全てを諦めたように天を見上げて息を吸い、ウルスに向かって「お覚悟を」と告げて、剣を構えた。
ウルスは、このままここで死ぬのだと自分に言い聞かせ、再び目を閉じた。
が、自分でも思いがけないことに、激しい恐怖が湧き上がって来た。
「嫌だーっ! ぼくは死にたくなーいっ!」
自分の叫び声で目が醒めた。汗びっしょりになっている。
「ウルスさま、大丈夫ですか?」
目の前に知らない女の子がいた。
黒い髪に黒い瞳で、年齢はウルスと同じくらいだろう。
一瞬、自分がどこにいるのかわからなかったが、徐々に頭がハッキリしてきた。
ここは、ツイムの兄ファイムの家だ。
あれから海賊の島を出航し、ツイムの母国カリオテに、昨日到着した。
北長城を出て以来、長かった船旅が漸く終わったのである。
ところが、船を降りると、逆に地面が揺れているように感じて気分が悪くなり、休ませてもらったのであった。
海賊の島では何ともなかったから、やはり、緊張が弛んで、疲れが出たのだろう。
「ああ、うう、夢を見てたみたい。大丈夫だよ」
女の子は、ホッとしたように笑った。
「良かった。ご病気かと思って心配しましたわ」
「あ、あの、あなたは?」
「あら、ごめんなさい。昨日ご挨拶しようとしたのですけど、ご気分が悪そうで、それどころじゃないようでしたので。改めまして、ファイムの娘リサです」
リサの笑顔は、南国の太陽のように明るかった。
「ああ、そうなんだ。よろしく」
「何か飲まれますか?」
「そうだね。じゃあ、お水を」
「はい」
パタパタと走り去るリサを、思わずニコニコしながら見送っていたウルスは、ふと、自分の身体に違和感を覚えた。
「あれ? なんか変だな」
首を捻っていたが、突如、「あっ!」と叫んだ。
「ウルスラが、いない……」




