82 リード湊の攻防(4)
古来より、敵中を突破して逃げるという戦略がない訳ではない。
だが、この場合、たとえ敵の攻撃を防いで通り抜けたとしても、前方に待ち受けるのは、死の河とも呼ばれるスカンポ河である。
悲壮な顔で「御意!」と答える部下に、ニノフは不敵な笑みを浮かべて見せた。
「勘違いするな。自滅するつもりなど毛頭ない。皆にも伝えよ。密集した隊形で湊町を突っ切る。無論、途中でボローの隊を救出しながらだ。とにかく、スカンポ河ギリギリまで進撃するのだ!」
「はっ!」
他の者に知らせに行こうとした部下が、ふと立ち止まり、「河に着いたら、どうするのですか?」と尋ねた。
「心配するな。おれに考えがある」
嘘であった。
漠然と河まで行けば何とかなる気がしているだけだ。
しかし、時に正直は罪となる。
今は何も言わず、数々の修羅場を潜り抜けて来た己の勘に賭けるしかない、とニノフは覚悟を決めていた。
一方、あからさまに部下に動揺を見せてしまったボローは、窮地に陥っていた。
我先に逃げようとする者たちに、「留まれ! 隊列を乱すな!」と声を掛けて回っているが、一度敗勢になった流れを止められない。
そこへ、どっと一塊となったニノフの部隊が突進して来た。
華奢な身体つきに似合わぬ大音声で、ニノフが叫んでいる。
「ボロー、河に向かって走れ!」
「応!」
ボローは、十字槍を振るって強引に進路を作り、「皆、おれに続け!」と呼ばわって、馬に鞭を当てた。
河へ向かう理由など考えていない。
ニノフの言葉に、絶対の信頼を置いているのだ。
それに倣って、後続の部隊も一斉に河の方へ走り出した。
凡そ千騎が同一方向に駆け出したため、徒歩の蛮族たちは思わず左右に避けた。
すると、どこからか「ホウリャ! チャッセ!」と声がして、蛮族たちが剣を置き、一斉に半月弓を構えて「チャ!」「チャ!」と言いながら、矢を射掛けてきた。
ニノフは、馬で疾走しながら、左右から飛んで来る矢を細剣で弾き返していたが、蛮族に指示を与えているその声が気になった。
恐らく首長であろうが、その声に、妙に聞き覚えがあるような気がするのである。
だが、今はそれを穿鑿する余裕がない。
「密集隊形を崩すな! 矢が当たる前に駆け抜けろ!」
「おおおーっ!」
先頭を駆けていたボローの方は、すでに桟橋の近くまで進んでいた。
向こう側から、水面に反射してチラチラする光が射している。
と、その先に、巨大な船影が映った。
この位置からでも、船首に掲げられた北長城を描いた旗が見える。
「おお、あの旗印は、北方警備軍!」
ボローは、髭面をクシャクシャにして喜んだ。
追いついて来たニノフも、安堵の表情になった。
「しかし、変わった形の船だな、ボロー」
ボローも頷いた。
「ああ。おれも始めて見た。まるで、箱のようだな」
その箱のような巨船は、桟橋の横に停まると、正面の壁面が上から手前に倒れて来て、大きく口を開けたような形となり、その壁面がそのまま船と桟橋を繋ぐ架け橋になった。
丸見えになった船腹には、夥しい数の兵士が乗っており、続々と上陸し始めた。
その先頭に一人だけ馬に乗った体格のいい男がおり、ニノフたちの方へ駆けて来ながら、大きな声で呼び掛けてきた。
「バロード機動軍の方とお見受けする! われは北方警備軍千人長ゾイアと申す! 只今より援軍仕る!」
ニノフも負けじと大声で返答した。
「忝い! バロード機動軍のニノフだ! 敵は蛮族二千、さらに、野盗『暁の軍団』千名が迫って来ている!」
「了解した! とりあえず先着は二百名だが、残りは小舟で追って来ている! 一気に押し返そう!」
互いに大声を出し合いながら近づき、ハッキリ顔が見えてきたところで、ニノフが驚いた表情になった。
「おぬし、まさか、タロスどのではあるまいな?」
ゾイアはニヤリと笑い、「説明は後にしよう。もう敵がそこまで来ている」と、ニノフの後ろを指差した。
ニノフが振り向くと、漸く追いついて来た蛮族が、ズラリと半月弓を構えていた。
援軍というものは、その実数以上に心理的な効果を齎す。
先程まで敗走していたはずのボローが、「おお、蹴散らしてやろう!」と勇んだ。
ニノフは苦笑しながら、「では、ゾイアどの、後詰めをお願いいたす」と頼んだ。
「心得た」
ニノフは向き直り、全軍に聞こえるような声で命じた。
「これより反転し、攻勢をかける! 機動軍、奮え!」
地響きのような鬨の声が上がり、反撃が始まった。




