75 善後策
マーサ姫を先頭に、先遣隊の懸命の捜索にも拘わらず、スカンポ河を下ったはずの千艘の小舟の行方は、杳として知れなかった。
最初の北長城に接する河湊を通過した時以外は目撃者すらなく、河原から上陸した形跡もない。
一夜が明け、先遣隊と合流したアーロンの本隊が、虱潰しに近隣の村落を調べたが、蛮族の潜んでいる気配はなかった。
更に次の日の朝。
消耗の甚だしい龍馬を休ませるため、アーロンから借りた白馬に跨りながら、マーサ姫は兜を脱ぎ、長い金髪をかき上げて額の汗を拭った。
アーロンの姿を見つけ、白馬をそちらに寄せた。
「これはやはり、中原側に上陸したとしか、考えられませぬな」
並走しながらマーサ姫に同意を求められたアーロンは、悩ましげに眉根を寄せた。
「だとしたら、あの千艘の小舟はどうしたのでしょう? 河底に沈めた、とでも?」
今度はマーサ姫が悩む番だった。
「うーん、あり得ないでしょうね。あり得ないついでに申し上げれば、そのまま河を下って南の大海まで行ったのかもしれませぬ」
生真面目なアーロンも苦笑するしかなかった。
そこへ、自前の黒毛の馬に乗ったクジュケが駆け寄って来た。
切り揃えた銀色の前髪には、少しの乱れもない。
「わたくしの方に連絡がございました。ここより上流の中原側対岸にある、リードと申す小さな河湊の住民が周辺に逃亡して参ったそうです。恐怖に慄くかれらの話を総合すると、突如やって来た蛮族は、上陸と共に小舟を全て陸に引き揚げた、とのこと。すでに、町全体を制圧し、その小舟で周囲に防壁を作りつつあるとか」
アーロンは力なく天を仰ぎ、「何たることか」と嘆いた。
「辺境伯として力及ばず、蛮族を中原に侵攻させるとは。直ちに軍を編成し直して渡河させ、殲滅致します」
だが、クジュケは笑って頭を振った。
「それには及びませぬ。バロードに連絡を取ったところ、新しく創設された機動軍の初陣として、リード奪還に向かわせるとのことです」
「機動軍?」
「はい。お聞き及びかと存じますが、かのシャルム渓谷の戦いを勝利に導いたニノフという騎士団長が、新たに将軍に抜擢されて機動軍を任されました」
これにはマーサ姫が「おお!」と声を上げた。
「それは頼もしい。では、そちらはお任せし、わらわは一旦北長城に戻り、後続を断つ準備を始めまする」
アーロンは「そうしてくだされ」と促しつつも、苦渋の表情を浮かべた。
「亡き父に合わせる顔がございません」
クジュケは慰めるように「閣下のせいではありませぬよ」と声を掛けた。
「たとえ、かの聖王アルゴドラスがご存命だったとて、蛮族がスカンポ河を舟で下って一糸乱れず上陸するなど、想定外でありましょう。そのようなことが起こらなかったからこそ、千五百年の長きに亘って北長城が防壁として存在し得たのです」
マーサ姫も頷いた。
「わらわも戻り次第、今後の北長城の在り方について父と話し合う所存です。これからは、今までの考え方は捨てるべきです。きっと、わらわたちの想像もつかないことが、北方で起きているのです」
その北方と向き合う北長城では、豪傑めいた顔を顰めて、マリシ将軍が頭を抱えていた。
蛮族がスカンポ河を下ったことが知れ渡り、北方警備軍の中に自分たちの役割が終わったとの喪失感が蔓延しているのである。
一人執務室で溜め息を吐いているところへ、扉の外から声がした。
「お呼びでしょうか?」
マリシの表情が少し明るくなり、「おお、入ってくれ」と応えた。
「失礼いたします」
入って来たのはゾイアであった。
付き添うように、後ろにロックが控えている。
マリシは応接用の椅子を指し、「そちらに掛けてくれ、連れの若者もな」と告げると、自分も向かい合わせの席に座った。
「ペテオからあらましは聞いておる。不可思議な変身のこともな。それで、ペテオが新たに小隊長に推薦したいというのを断る際、その理由はわしに直接言いたいとのことだった。構わぬから、申してみよ」
ゾイアは小さく頭を下げた。
「有難い。実は、言いたいというより、尋ねたきことがありまする」
「ほう。何かな?」
ゾイアは、マリシの目を確り見つめた。
「この北長城に、バロード王家のウルス王子をお匿いではあるまいか?」




