72 撃退
クビラ族の振るう戦大鎌は、鎌の部分が重過ぎるため、一度振り抜くと腕の力では反転できない。
再度攻撃するには、乗っている馬ごと戻って来るしかなかった。
そのため、最初の一撃を躱されることを見越して、複数で別の方向から攻めて来る。
しかも、攻めている間は、ほぼ無言であった。
かれらが、北方の死神と怖れられる所以である。
今しもゾイアの挑発にのって、三騎が三方向から同時に襲って来た。
左から来る大鎌は上体を反らしてやり過ごし、右の大鎌は大剣で弾いたものの、背後からの一撃は避け切れず、背中の鎖鎧が切り裂かれた。
「あっ!」
元々、剣の打撃に対する防御を想定して造られている鎖鎧は、鎌の切っ先に横から引っ掛けられてしまい、大きく裂けた。
露出したゾイアの肌には、一本の赤い線のような傷が出来ていた。
そこからじわじわと血が滲んでくる。
「ううっ!」
鎖鎧のおかげでさほどの深手ではなかったが、クビラ族の方は強敵に傷を負わせたことに競い立ったのか、次々に新手が大鎌を振るって来た。
「くそっ!」
ゾイアはそれを一々大剣で撥ね退けていたが、激しい動きで背中の傷が開き、さらに血が流れてきた。
と、背中の傷の両側がボコッと盛り上がり、両方から押すように傷を塞いだ。
同時に、露出している肌に、ポツポツと黒い点が無数に現れてきた。
「うおおおーっ!」
黒点は見る間に剛毛となった。
髪の毛は焦げ茶色に変わり、鬣のように首筋に流れた。
それと並行するように顔がボコボコと膨らみ、顎がヌーッと伸びてくる。
両目は爛々と緑色に光り始めた。
更に唇の隙間から大きな牙が生え出てきた。
手足の筋肉は岩のように盛り上がり、その圧力に負けて残っていた鎖鎧がブチブチと切れて弾け飛ぶ。
遂に、ゾイアの天地を揺るがすような野獣の咆哮が、辺りに響き渡った。
多少文明化しているとはいえ、迷信深い北方蛮族であるクビラ族に、恐慌が巻き起こった。
戦いの最中には決して上げなかった声を出し、われ先に西へ向かって逃げ始めた。
完全に獣人化したゾイアは馬から飛び降り、かれらの後を追う。
恐慌の波はどんどん西へ拡がり、クビラ族の大半は大鎌すら投げ捨てて逃げ去った。
何故急に敵が逃げ始めたのかもわからずに戦っていた北方警備軍の騎兵たちも、ゾイアの姿を見ると、凍りついたように竦んでしまった。
早々に眼前の敵を追い払ってスカンポ河からの上陸を阻止しに行こうと、声を掛けて回っていたペテオも、その姿を目にした。
驚きながらも、獣人と化したゾイアの体に纏わり着く鎖に気づいた。
「あの鎖鎧の欠片は、もしや」
ペテオは、勇気を奮ってクビラ族を追って咆哮しているゾイアに近づき、声を掛けた。
「おまえ、もしかしてガイアックなのか!」
ゾイアは振り向いたが、目は緑色に光り、剥き出された牙の間から、ダラダラと涎が垂れている。
ペテオは怖ろしさに怯みながらも、話しかけた。
「どうしておまえがそんな姿になったのかは知らん。しかし、お蔭で敵は去った。礼を言う。だが、今は一刻も早くスカンポ河に向かわなきゃならん。元の姿に戻ってくれないか、ガイアック!」
ゾイアの目の光が、スーッと暗くなってきた。
「ガイ、アック……?」
「そうだ。おまえ、ガイアックだろう?」
その間にもゾイアの顔は徐々に平らに戻り、剛毛も薄くなってきた。
「い、いや、われは、……ゾイア」
「ゾイア? それが本当の名か?」
「あ、ああ。いや、本当か、どうかは、わからんが」
ゾイアは、ほぼ元の姿に戻り、多少目と髪の色が濃い程度になった。
ペテオも少しは安心したようだが、まだ完全には警戒を解かず、用心しながら質問を続けた。
「わからん、とは、どういう意味だ?」
ゾイアは少し困ったように、「われにもわからんのだ」と笑った。
「ゆっくり説明してやりたいが、ペテオの言うとおり時間がない。スカンポ河に向かいながら話そう」
「あ、ああ。そうだな。ところで、おまえのことは、ゾイア、と呼んでいいのか?」
「もちろんだ。そう呼んでもらえると、われも嬉しい」
「そうか。では、ゾイア。急ごう!」
「おお!」
河湊からの早馬は、その頃漸くマリシ将軍の許に到着していた。
「あり得ん!」
将軍もペテオと同じ反応であった。
さすがに警備兵は言い返すこともできず、押し黙った。
「父上。早馬で駆けて来て、わざわざ嘘は申しますまい」
そう執成したのは、娘のマーサ姫である。
兜こそしていないが、やはり、真っ赤な鎧を身に着けたままだ。
「うむ」
「北方蛮族に、何かそうせざるを得ない事情があったのでしょう」
「そうだな」
「その理由が何であれ、事は急を要します。当然われらも迎え撃つ準備を始めねばなりませんが、先触れをすべきでしょう」
「おお、そうか。アーロンさま、いや、アーロン辺境伯閣下にお知らせせねば」
「はい。わらわが参ります故、父上の龍馬をお貸しください」
一瞬、マリシ将軍は迷った。娘の身の安全が心配になったらしい。
が、強いて頷いた。
「よかろう。龍馬は扱いが難しいぞ。心して行けよ!」
「はっ!」
マーサ姫は、長い金髪をサッとかき上げると、兜を被り、颯爽と厩舎に向かった。




