65 苦渋の選択
再びニノフの顔が上下し、瞳の色がコバルトブルーに戻った。
「ニーナ、まだおまえの出る幕じゃない。今は国難なのだ。たとえ親の仇であろうが、利用できるものは利用する。だが、然るべき時が来れば」
顔が上下して、瞳が灰色に近い薄い青になった。
「わかりました。わたしは表に出られない存在。お兄さまにお任せします。でも、これだけはお約束ください。この先、どのようなお立場になっても、弟のウルスさまには危害を及ぼさないと」
ニノフに戻ると、苦笑いした。
「相変わらずおまえは家族想いだな。おまえを悲しませるようなことはせぬ。それより、この先、おまえの力が必要になる時が、きっと来るはずだ。それまでは、誰にも気取られてはならぬぞ。ん? いかん、もう出るな」
人の気配を感じたのか、ニノフは黙って座った。
すぐに扉を開け、ボローが入って来た。
「おお、ニノフ、何の話だった?」
「うむ」
カルボンの提案を掻い摘んで話すと、ボローは興奮して「凄いじゃないか!」と、ニノフの肩を抱いた。
ニノフは気づかれない程度に眉を顰め、「おれが将軍になることはどうかと思うが、機動軍は今後必要になるだろうな」と答えた。
「勿論さ、ニノフ。攻撃こそ、最大の防御と言うじゃないか。国外の状況次第で、われわれの出番も増えるぞ。おお、そういえば、ついさっき聞いたが、新しい辺境伯がわが国に同盟を申し込んで来たそうだ」
「ほう。新しい辺境伯といえば、アーロンさまだな。一度だけ、お顔を拝見したことがあるが、お父上似の凛とした面差しであった。しかし、思い切ったことをなさるものだ」
ニノフは、未来を見通そうとするかのように目を細めた。
「とても正気の沙汰とは思えませぬ!」
顎を覆う髭が真っ白な老人が、もう何度目かの叫び声を上げていた。
新しく辺境伯となったアーロンの傅役、シメンである。
シメンの息子よりも若いアーロンはウンザリしたように、「もう決めたことだ。いい加減わかってくれ」と、シメンを宥めた。
辺境伯領のクルム城はすっかり改装され、ガルマニア帝国軍と『荒野の兄弟』によって二度も落城した痛手から回復していた。
二人が話しているのは、その上に設えられた新しい望楼である。
「わかりませぬ! カルボンは、カルス王を死に追いやった裏切り者ですぞ!」
「改めて言われずとも、知っておるさ。だが、われらは、これより後、北方からの脅威に備えねばならん。すでに、北方蛮族の一部は南下を始めている。この状況で、またガルマニア帝国に攻め込まれるようなことがあれば、腹背に敵を迎えることとなり、とても応戦できん。今、中原でガルマニア帝国を牽制できる勢力は、シャルム渓谷で勝利したバロード共和国だけだ。ここと同盟するより他、選択肢はない。敵の敵は味方ということが、外交の基本なのだ」
「そのためには、悪魔とも手を結ぶのですか!」
アーロンも若干キレ気味に、「ああ、そうとも!」と答えた。
「亡き父の言葉を忘れたか! 『辺境伯の第一の役目は北方の警備、そして、第二以下はない』とな。万が一にも、北長城が破られるようなことになれば、事は辺境だけでは済まぬ。五百年前の『白魔の乱』の時のように撃退できれば良いが、失敗すれば、中原を含めた文明世界そのものが破壊されることになる。中原諸国の戦乱どころではない災厄に見舞われるのだ。カルス王にはお気の毒ながら、それに比べれば、バロードのことなど小事。場合によっては、ガルマニア帝国と同盟することさえ、なくはないのだ!」
いつになく激しいアーロンの言葉に、さしものシメンも我を折った。
「わかり申した。一時の方便として、受け入れましょう。それで、名を捨てて実を取るとして、同盟すれば、逆にこちらからも協力しなければならんのですぞ。そのような兵力の余裕がどこにあるというのです?」
激情は去ったらしく、アーロンは寧ろ普段以上に平静に答えた。
「既に、北方警備軍への志願者の募集はしている。さらに、クルム城の衛兵を追加募集するつもりだ。兵力に余裕を持たせ、いざバロード、という場合にも備えねばならん」
シメンも感情の昂ぶりを押さえ、実務者の顔になった。
「衛兵はともかく、最近では北方警備軍に入る者が極端に減っておるとか。如何されます?」
「場合によっては、おれが自ら検分に行っても良いと思っている。優秀な人材は、必ずいるはずだ」
アーロンは、望楼の上から遥か北を見つめた。
その北方警備軍の新兵募集は、北長城の最東端にある、スカンポ河の湊でも行われていた。
だが、応募者は逃亡犯や家出人が多く、とても実戦に耐えられそうにない。
「今日も碌な者はおらんな」
そう愚痴を零すと、受付の担当者は名簿を捲った。
「次の者は二人組か。旅芸人のレックスと、元闘士のガイアックだな。参れ!」




