62 兄弟
野盗と同じく、海賊も逃げ足の速さが生死を分ける。
その点、恥も外聞もなく逃げ出したラカムは、やはり、見事という他ない。
悔しそうにツイムを睨んでいたミラも、これ以上この場に留まることの無意味さを悟り、振り返ると「総員、撤収だ!」と命じた。
潮が引くように海賊たちの上陸用の小舟が消えると、入れ替わるように連合警備船団が追って行く。
そのうちの巡洋艇らしい一隻が船団を離れ、桟橋近くまで寄って来た。
日に焼けた男が甲板に立ち、大きく手を振っている。
「おおーい、ツイム、無事かーっ!」
相手が誰だかわかると、抱えていたウルスラをそっと下に降ろして柱に寄り掛からせ、ツイムも負けじと手を振った。
「大丈夫だーっ! 面倒をかけてすまない、兄上ーっ!」
「なんの! 今そちらに行く!」
桟橋に接岸すると、梯子を下ろすのも面倒とばかりに、日に焼けた男は甲板から飛び降りた。
そのままツイムに駆け寄ると、ガッシリと抱きしめた。
「マリシ将軍から手紙を貰って以来、この日をどれだけ待ったことか! おお、全く何年ぶりだろう!」
ツイムは苦笑いした。
「国を出てから、もう十六年になるよ、兄上」
「そうか。随分と立派になったなあ。しかし」
既に目を潤ませていたツイムの兄だったが、パッと離れて目を擦った。
少し怒った顔になっている。
「チクショウめ。なんでもう少し早く、せめておふくろが生きてるうちに、帰って来なかったんだ!」
「本当にすまない」
ツイムは深々と頭を下げた。
「こんなわたしを拾ってくれたマリシ将軍への恩義もさることながら、自分の犯した悪行の数々を考えると、とても故郷に顔出しできぬと思ったのだ」
「阿呆! どこの国に自分の息子の罪を咎める母親がいる? 最後の最後まで、おまえの帰りを待っていたのだぞ!」
「そうだったのか……」
想いに沈むツイムと違い、兄はすぐに気持ちを切り替えたらしく、「もう済んだことだ。後で、墓に香華でも手向けてくれれば、おふくろも喜ぶだろうさ」と弟を許した。
「それより、そこに寝ているのが、新バロード王国の遺児なのか?」
ツイムは何と紹介すべきか迷い、「ああ」とのみ答えた。
「そうか。だいぶ弱られているようだな。すぐにおれの船にお連れしよう」
「頼む」
二人掛かりで抱え上げ、巡洋艇の寝室に運んだ。
眠りが浅かったらしく、寝台に横たえた瞬間、薄く目が開いた。
そのコバルトブルーの瞳を見て、内心少し落胆してしまったことを、ツイムは申し訳なく思った。
「ウルスさま、もう大丈夫でございますよ」
「こ、ここは、どこ?」
その質問には兄の方が答えた。
「カリオテ海軍の巡洋艇、『南風号』にございます。そして、おれ、あ、いや、自分は艇長のファイムと申します。ツイムの二番目の兄でございます」
ウルスは少しだけ目を大きく開き、二人の顔を見比べた。
「ああ、そうなんだ。よろしく、お願いします」
「こちらこそ。さあ、今はゆっくりお休みください。お目醒めの頃には、わが祖国、カリオテに着いておりましょう。おお、そう言えば、お国では大変な英雄が出現したらしいですな」
「英雄?」
「若い傭兵のようですが、十倍以上のガルマニア帝国軍を破ったそうです」
今度こそ、ウルスの目がパッチリと開いた。
「すごい!」
「そうですな。ニノフという男ですが、ご存知ないですか?」
「さあ、記憶にはないけど。でも、会ってみたいなあ」
ウルスは興奮して、眠れそうになかった。
シャルム渓谷の戦いでは、実際にはプシュケー教団の力が大きかったのだが、バロードでは、ニノフを中心とした傭兵騎士団が喝采を以て迎えられた。
中でも、バロード人であるニノフが英雄として祭り上げられるようになったのは、当然の成り行きであった。
「どうして生粋のバロード人が、傭兵などやっているのだ!」
執務室で大量の書類に太い羽根ペンで次々に署名していた、削いだように頬がこけた陰気な顔の男が、大声で独り言ちた。
バロード共和国の総裁、カルボンである。
自分が雇っている傭兵の中に、金髪の若い男がいたことは微かに覚えていたが、そもそも文官出身のカルボンには、傭兵に限らず、兵士に興味がなかった。
勿論、正規軍に属さずに、傭兵として母国に雇われる例はなくはない。
だが、ここまで有名になると、正規軍側が面白くないと思うのも当然である。
先程も、将軍から苦言を呈されたばかりだ。
「どうだ、何か掴めたか?」
カルボンが部屋の隅に向かって話しかけると、暗がりに同化していた黒尽くめの衣装を身に纏った人物が、スーッと明るい方へ出て来た。
「凡そ、わかった」
「勿体ぶらず、早く言え!」
「ニノフ、という男、カルス王の、落とし子」
「何だとーっ!」
驚きのあまり、カルボンは執務用の机を押し倒してしまった。




