60 海賊の島(4)
「あの声は、まさか……」
ツイムは声の主を確かめるべく、舟の縁から一瞬だけ顔を出し、すぐに頭を下げた。それだけで、相手の姿が目に焼き付けられている。
マリシ将軍に教えられた、斥候の技である。
随分老けていたが、間違いないと思った。
顔は上げずに、相手に話しかけてみる。
「久しぶりだな、ラカム親分」
「ふん。おめえのような裏切り者に、親分なんぞと呼ばれる筋合いはねえな」
「裏切り? わたしは、ただ気の毒な母子を逃がしただけだ。しかも、その後、拷問され、ザリガニに喰われかけた。そのわたしを責めるのは、逆恨みというものだろう」
「うるせえ! おめえを助けた何とかって将軍の肝煎りで、沿海諸国の連合警備船団ができたじゃねえか。お陰でこちとらの商売は上がったりよ。今じゃ昨夜みてえな嵐の日にも稼ぎに出なきゃなんねえんだ」
「自業自得だな」
「なんだと、こら! 死にてえのか!」
「いや、まだ死ねん。やるべき使命があるからな。それよりも、さっきから気になっていることがある。親分の言葉だけはやけに威勢がいいが、実際の攻撃は最初の一本の矢だけで、後が続かぬようだ。もしかして、親分一人きりで、この島で留守番しているんじゃないのか?」
返事の代わりに、舟の縁にカツンと矢が刺さる音がした。
「そうか、なるほど。仲間が戻るまでの時間稼ぎなのだな」
「ああ、そうとも。だが、矢はまだあるぜ。おめえがちょっとでも顔を出したら、目ん玉を射抜いてやる。その後、おめえの連れてる可愛い金髪のお稚児を高く売り飛ばすつもりさ。おれも若い頃は、随分無駄に人を殺していたが、今じゃ、人身売買が一番儲かる商売だと気がついた。新しく開かれた東廻り航路で、直接マオール帝国と取引きできるようになったしな」
「ほう」
ガルム大森林のさらに東にあるというマオール帝国は、別名を暗黒帝国とも呼ばれており、未だに奴隷貿易を行っていた。
しかし、それ以外のことは殆ど知られていない。
ツイムも噂でしか聞いたことがないので、つい、どのような国か想像してしまった。
「そうか、ガルム大森林を通らず、東廻りでマオールに行けるようになったんだな」
ラカムは、ツイムの注意が弛んだ隙を逃さなかった。
足音も立てずに接近し、舟縁の陰に隠れているツイムに、上から矢の先をピタリと向けた。
背中にウルスを庇うようにしながら、ツイムも改めてラカムの顔を睨んだ。
昔と違うのは、髪も髭も白いものが目立つようになっていることぐらいで、酷薄そうな冷たい顔つきは変わっていなかった。
ツイムが弓など持っていないか、舟の中を見回している。
「何か武器を持っているだろう! 出せ! ゆっくりとだ!」
ツイムは相手の目を見ながら、懐から船乗り用の小刀を出し、柄の方を下に向けて舟縁から桟橋の上に落とした。
ラカムは片頬を歪めて笑いながら、その小刀を足で踏みつけた。
「やっぱり、これを持ってやがったか。三つ子の魂ってやつだな」
だが、ツイムはラカムから目を逸らさずに、息を吐くように小さな声で、「ウルスラさま、お願いします」と囁いていた。
嘲笑うようにラカムが訊く。
「何て言った? おめえの神に祈ってるのか?」
ツイムはニコリと笑って「そうさ」と答えた。
と、ツイムの背後から小さな手が伸び、その掌から見えない何かが迸って、ドンとラカムの胸を打った。
堪らず仰向けに倒れたところを、舟から飛び出したツイムが殴りかかる。
さらに馬乗りになって、ラカムの両腕の付け根を膝で押さえながら、拳を振り上げた、その時。
「そこまでにしときな!」
声がしたのは、海の方からだ。
ツイムはその体勢のまま、首だけ捻って後ろを見た。
上陸用の小舟が何艘もズラリと並んでいた。
その先頭の舟の舳先に、腕組みをして仁王立ちしている人物が声をかけたのだ。
だが、その人物は。
「そんなヨボヨボでも、あたいの父ちゃんなんだ。それ以上殴るなら、あんたを針鼠みたいにしてやるよ!」
それは、日に焼けて化粧もしていないが、間違いなく若い娘であった。長い黒髪を後ろで一つに束ねている。
その手をサッと挙げると、並んでいる小舟に乗っている海賊たちが一斉に弓を構えた。
それでも、ツイムの視線はその娘の顔から離れなかった。
「もしかして、おまえは、ミラなのか?」
「久しぶりだね、ツイム兄ちゃん。子供の頃に遊んでもらったことは覚えてるよ。だけど、今は『ラカム水軍』の新しい首領なんだ。情けはかけないよ!」




