51 罠
ティルスは、また同じ夢を見ていた。
そこは城の中のようであった。ティルスの前を、パタパタと足音を立てながら幼い子供が走っている。ティルスと同じく、金髪でコバルトブルーの瞳をしていた。
「やだよ。ぼく、剣術の稽古なんかしたくない!」
「何をおっしゃるのです。最悪の場合に自分の身を護るのは、あなたさま御自身なのですよ」
男の子を叱っていたはずなのに、相手はいつの間にか女の子に変わっていた。
これもいつものことだ。
女の子の瞳は灰色に近い淡いブルーである。
「わたしには剣術なんか必要ないわ。魔道を使えばいいんだもの」
「人前で、それをしてはなりません!」
次の瞬間、女の子の手から見えない波動のようなものが迸った。
それがティルスの腹にドンと当たると、堪え切れずに倒れてしまう。
「うっ」
いつものように、呻きながら目が醒めた。
一瞬、自分がどこにいるのかわからなくなったが、ルキッフの計らいでティルスに与えられた個室の中だった。
いつもと違うのは、朝稽古に誘いに来たらしいベゼルが、目の前に笑って立っていたことである。
ごつい体つきに似合わぬ、うねうねと波打つ癖のある長い黒髪を、後ろで束ねている。
「随分楽しい夢を見ていたらしいな」
「楽しい?」
「ああ、ずっとニコニコしていたぞ」
「そうか」
笑うような内容の夢ではなかった気がするが、もう記憶が薄れ始め、ボンヤリとしか思い出せない。
しかし、それ以上夢のことを考えている余裕はなかった。『暁の軍団』との再試合が目前に迫っていたからだ。
二人で砦の中庭に出ると、木剣の素振りから始め、実戦に近い打ち合いまで熟し、近くの川で汗を洗い流した。
その後、長老のドメスの部屋に行って、朝餉を摂った。
今日は、雑穀を山羊の乳で煮た粥であった。
「このようなものしかなくて、すまん」
そう言って詫びるドメスを、ベゼルは笑って止めた。
「何言ってんだよ。おれたちにはこの上ない御馳走さ。なあ、ティルス」
「勿論だとも」
ドメスも嬉しそうに笑ったが、すぐに表情を引き締めた。
「今度の試合のことだが、用心してくれ」
「用心、とは?」
無邪気に尋ねるティルスの横で、さすがにベゼルは苦い顔をした。
「罠かもしれない、ということさ、ティルス」
「罠?」
ドメスが説明した。
「わしら『荒野の兄弟』は、野盗とは言っても、首領のルキッフの考えで、非道なことはしない。じゃが、『暁の軍団』は、団長のバポロの性格そのままに、儲けのためなら、誘拐だろうが虐殺だろうが、なんでもやる。そんな連中が、自分らの砦の中で開催する試合を、果たして正々堂々とやるじゃろうか?」
ティルスも嫌な顔をした。
「狡をするというのか?」
「わからん。まあ、わしもベゼルもなるべく近くで目を光らせるがな。それに、試合で不正をするぐらいならまだしも、それ以上の危険があるかもしれぬ」
「うーむ、わたしは無論よく知らない相手だが、バポロというのは、そんなに悪い奴なのか?」
すると、ベゼルが苦笑した。
「バポロだけが悪い人間というより、野盗の首領ってのは、大方そんなもんだ。うちの大将が例外すぎるんだよ」
ティルスも「確かに」と頷いた。
「記憶を失くし、身元もわからないわたしを、こうして代表闘士に選んでくれるのだからな。昔からそうなのか?」
急に二人が黙り込んだため、ティルスも、ルキッフの過去を訊くことがタブーらしいことがわかった。
以前、ルキッフがいつもしている黒い眼帯のことを、何気なく尋ねた時もそうだったことを不意に思い出し、ティルスはこれ以上穿鑿するまいと決めた。
一方、対戦予定地の『暁の軍団』の砦では、ガイアックことゾイアに負けた赤毛のザクブルが、団長のバポロの部屋に抗議に来ていた。
「どうしてあんな流れ者なんかに、大事な試合を任せるんだ? 今度負けたら、取り返しがつかないぜ!」
酒の飲み過ぎで鼻が赤く、下膨れで顎が弛み、頭髪も殆どないバポロは、狡猾そうな笑顔を浮かべて聞いていた。
「わかっておる。だが、勝負の結果がどうあれ、ルキッフたちを無事に返すつもりはない。だから、試合など、本当はどうでも良いのだ。あの流れ者だとて、話が違うと騒ぐようなら、どさくさに紛れて始末する。おまえも代表に選ばれなかったことを、むしろ感謝するんだな」
そう言うと、バポロは美味そうに葡萄酒の杯を飲み干した。




